第3回 カート・コバーン – 流行はオルタナティヴをぶっ潰す

音楽家は服を着る by 青野賢一 2013年5月23日

1991年の『ネヴァーマインド』の大ヒットにより、その音楽、ファッションが多くのひとに影響を与えた、ニルヴァーナのボーカリスト兼ギタリスト、カート・コバーン。彼を通して「流行る」ということを考えてみる。

レーガン大統領時代(1981-1989)のアメリカは、いわゆる「双子の赤字」、貿易赤字と財政赤字に悩まされていた。レーガンの経済政策「レーガノミクス」は、減税、規制緩和、歳出転換などを通じて、スタグフレーション(インフレ状態と不況状態が併存する経済状態)の解消を図ろうとしたが、結果的に抜本的な改善は果たせなかった。80年代中盤には失業率はやや低下したものの、貿易赤字は増加の一途をたどり、また、福祉から軍事支出への歳出転換(レーガンはこれにより「強いアメリカ」を目指した)は、国民の不信感を募らせることになった。レーガン政権を引き継いだジョージ・H・W・ブッシュの在任中には、湾岸戦争が勃発している。

現在、グランジ・ロックという範疇(はんちゅう)にくくられるバンドやアーティストが現れるのは、ちょうどこの時期に合致する。音楽的には、パンク~ハードコア・パンク、ポスト・パンクの系譜と考えて大きくは違わないであろう彼らの中でも、最もインパクトのあったバンドであるニルヴァーナの大ヒット作『ネヴァーマインド』が、メジャー・レーベル「ゲフィン」よりリリースされたのが1991年。それまで、シアトルのインディ・レーベル「サブ・ポップ」周辺で蠢いていた、アンダーグラウンドでオルタナティヴな音楽が一気に爆発した瞬間である。

パンクロックが、単なる商品と化したロック(と、それを商品として成立させている社会)に「NO」を突きつけたのと同じように、80年代後半あたりに蔓延していた、どれも同じようでつまらないメジャーなロックに反旗を翻した、純度の高いニルヴァーナの音楽は、当時の若者を中心に共感を呼び、音楽シーンを席巻した。YouTubeにアップされているインタビュー映像を観て印象的だったのは、結成当時、CCRのカバーバンドをやっていて、次第に街の労働者階級にウケるようになったので続けてみようと思った、とカート・コバーンが言っていることだ。
大資本を投下して作り上げた「偶像」を、MTVなどのメディアを通じて一気に届けるようなやり方ではなく、やりたい音楽を生で伝えていき、その結果多くの人の心を揺り動かした。そこにはもちろん、レコード、CDとしてその音楽を複製したレコード会社の判断をはじめ、さまざまな要因があったことは否めないが、とはいえ、表現する主体であるカートの姿勢がこういったものであったことは、冒頭に述べたような経済状況のアメリカにおいて、労働者や若者にまず受け入れられた大きな理由のひとつではなかっただろうか。

アルバム『ネヴァーマインド』が大ヒットしたからといって、バンドそしてカートの基本的な姿勢は大きくは変わらなかった。しかし、周りの環境は一変した。カートの薬物依存はそうした中にあってヘヴィーなものになり、1994年4月5日、シアトルの自宅で自らショットガンの引き金を引き、27年という短い人生に幕を下ろしたのだった。存命中のカートのファッションは、どこでも買えそうなネルシャツ、穴の空いたボロボロのデニムに代表されるように、特別なものではなかった。それは、彼のオルタナティヴな態度の表明でもあったし、単純に、そんな程度でよかったのである。

セレクトショップ「オープニングセレモニー」の東京店(移転前)で開催された、写真家ジェシー・フローマン撮影によるカート・コバーンの写真展に寄せたジェシーのインタビュー(『ELLE ONLINE』に掲載)によれば「彼らは好きなものを着て、好きな音楽をしていただけなんだ」ということである。それが、レコードセールスに伴い、自分の意志とはまったく関係なく偶像化されていった。雑誌やMTVといったメディアがそれに加担した。

「グランジ」などという括りは、後からついてきたようなもので、その渦中にいた面々は、そんなジャンルの意識などみじんもなかった。音楽においてはそうである。しかしそれがファッションという側面から切り取られることで、そこだけが遊離したものとして浮かび上がってきた。デザイナーが作る数万円のネルシャツ、あえてボロボロに加工した数万円のジーンズは、音楽の本質からは大きく外れたものである。かつてのパンクがそうであったように、外見の記号だけがコピーされ続けることで、ファッション=流行となるのだ。ずっと身につけていて空いてしまったような穴やほころびは、今や完璧に再現可能であり、そうした技術の進歩は、流行を広げてゆくのには非常に大切なことである。最初は、ニルヴァーナの音楽を好きになった人が、その精神性も含めて真似ていくことから始まったのかもしれないが、それがひとたび消費社会における流行りになってしまったら、その亡霊のような服だけが街を彷徨い歩くのだ。

グランジと呼ばれる音楽ジャンルがわずか数年で失速していったことの理由のひとつは、そのスタイルだけを真似た音楽が、雨後の筍さながらに登場したことだった。オルタナティヴ(型にはまらないこと、異質なものの意)は、その性格上、流行=ファッションになった途端、放逐されざるを得ないのである。

青野賢一

青野賢一

BEAMS クリエイティブディレクター
BEAMS RECORDS ディレクター
1968年東京生まれ。明治学院大学在学中にアルバイトとしてBEAMSに入社。卒業後社員となり、販売職を経てプレス職に。〈BEAMS RECORDS〉立ち上げや、ウェブ・スーパーバイザー兼務などの後、2010年より個人のソフト力を活かす、社長直轄部署「ビームス創造研究所」所属。執筆、編集、選曲、DJ、イベントや展示の企画運営、大学での講義など、BEAMSの外での活動を行う。著書に『迷宮行き』(天然文庫/BCCKS)がある。



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