第2回 セルジュ・ゲンスブール – 振り回される男

音楽家は服を着る by 青野賢一 2013年5月16日

1991年に亡くなってからも、音楽やファッション、その存在自体が影響力を放って止まない男、セルジュ・ゲンスブール。氏のスタイルの変遷を、1968年を境に考えてみる。

©Jean-François Bauret

©Jean-François Bauret

多くのひとが、セルジュ・ゲンスブールの名前を聞いて思い浮かべる姿といえば、無造作にかき上げた髪、無精髭に煙草(もちろん「ジタン」だ)、胸元を大きく開けたデニムシャツ(季節によってはこの上にジャケットなどを羽織る)、リーバイスのジーンズに”repetto”の「ジジ・オム」を素足履きしている、というものではないだろうか。これは確かにひとつの正解である。さまざまなメディアで彼の写真を見て行くと、前述のようなスタイルの他に、若い頃の姿も見つけることができるのだが、そちらはというと、髪も短めで、端正にスーツを着こなしているものがほとんどだ。パブリック・イメージとしてある姿と若い頃の姿には、明らかに大きな(見た目上の)断絶がある。それは大まかに言って1968年までと、それ以降とである。

1958年『第一面のシャンソン』がアルバムデビューとなるセルジュ・ゲンスブールは1928年パリに生まれた。シングル「リラの門の切符切り」リリース以前は、「ピガールの性転換者たちが集まるキャバレーでピアノを弾いていた」(P-Vine BOOKS刊、アルノー・ヴィヴィアン著『セルジュ・ゲンスブール写真集 馬鹿者のためのレクイエム』より)ということである。
ボリス・ヴィアンがステージで先鋭的な言葉を吐き出して歌う姿を見たセルジュは大いなるショックを受け、それは後のアーティスト活動に多大な影響をおよぼすことになる。ヴィアンの著書『日々の泡』の巻頭言を引くまでもなく、彼はジャズに心酔していたし、セルジュもまたそうだった。『第一面のシャンソン』に収録の「ジャズと自動車事故」などは、タイトルもさることながら、そのスリリングなサウンドはまさにジャズとしか言いようのないものだ。ここから『ゲンスブール・パーカッション』(1964年)あたりまでは、音楽的にはジャズの影響下にあったと言っていいだろう。

この次のオリジナルアルバム『ボニーとクライド』(1968年)までの間は映画『アンナ』(1967年)などの映画音楽やTVの音楽を中心に手掛けていたセルジュは、TVでの「ブリジット・バルドー・ショー」をきっかけに(それ以前も映画で共演はしている)ブリジット・バルドーと不倫関係に陥る。
バルドーはセルジュに「あなたが考えられる一番美しいラブ・ソングを私に書いてちょうだい」(前出『馬鹿者のためのレクイエム』より)と言い、果たして「ボニーとクライド」「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」が出来上がった。現存する映像や写真で見る限り、この頃のセルジュは、ファッションにおいてはそれまでと大きくは変らないスタイルを貫いている。が、バルドーが曲を「書かせた」ということは大きなことだった。生涯、自分の容姿を卑下していたセルジュは、ここで「女に振り回されることで自身の存在を確固たるものとする」という逆説的な方向に人生のハンドルを切った。
短いバルドーとの交際期間の後に出会う、ジェーン・バーキンもまた、セルジュのそうした側面に拍車をかけたのではなかっただろうか。

冒頭に触れた、一般的に想像されるセルジュの姿は、実はジェーン・バーキンが仕掛けたものだ。
セルジュと出会った頃のジェーンは20歳そこそこ。一方のセルジュは40歳に手が届くか届かないかであった。ジェーンは、60年代の終わりのパリ(五月革命は1968年だ!)にイギリスからやってきて、70年代を先取りするかのような自由さを振りまいたという(あの自然体のファッションは昔からなのだ)。
セルジュは、そんな新しい価値観に振り回されようとして、シャツのフロントボタンを外し、中途半端に髪を伸ばし、無精髭を生やした。個人的には、若い頃のすっとしたファッションも好きだし、後年ののんしゃらんとしたたたずまいにも惹かれるのだが、やはり68年以降のセルジュには、何とも言えない凄みやおもしろさがある。女に振り回されながらも、それを自家薬籠中(じかやくろうちゅう)のものとしてアイデンティティに昇華するというひねくれたあり方は、彼がその作品でショパン、ドヴォルザーク、ピカビア、パウル・クレーらから「いただいた」断片を、新しい価値観として組み立てる作業にとても似ている。そう、それはセルジュが心惹かれていた「ダダ」の手法に他ならない。

青野賢一

青野賢一

BEAMS クリエイティブディレクター
BEAMS RECORDS ディレクター
1968年東京生まれ。明治学院大学在学中にアルバイトとしてBEAMSに入社。卒業後社員となり、販売職を経てプレス職に。〈BEAMS RECORDS〉立ち上げや、ウェブ・スーパーバイザー兼務などの後、2010年より個人のソフト力を活かす、社長直轄部署「ビームス創造研究所」所属。執筆、編集、選曲、DJ、イベントや展示の企画運営、大学での講義など、BEAMSの外での活動を行う。著書に『迷宮行き』(天然文庫/BCCKS)がある。



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