第1回 ポール・ウェラー – アイビー・スタイルから読み解く英国人の矜持

音楽家は服を着る by 青野賢一 2013年4月25日

ポール・ウェラーがザ・ジャムを解散し結成したバンド、ザ・スタイル・カウンシル。お洒落なオブラートに包まれたその音とスタイリングの向こう側にあるものを探る。

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日本でも随分市民権を得た小物のひとつに、白いリネン(いわゆる麻)のポケット・スクエア(ポケット・ハンカチーフのこと。英国ではスクエアと呼ぶ)がある。
スーツやジャケットの胸ポケットに端正に収まるこのアイテムが広まっていった背景には、イタリアのメンズファッションの存在が大きい。セレクトショップを中心とした日本のファッション業界がイタリアのクラシックブランドを取り扱い、それがメディアを通じて広く知られていったのが、ここ15年ほどだろうか。これによって、かつてはお洒落過ぎると敬遠されていたリネンのポケットスクエアも、今やあまり抵抗なく差している方が多い。
もうひとつの大きな理由のひとつに、ここ数年のアメリカン・トラッドやアイビー・ブームもあるのだが、そこまで立ち入っている余裕がなさそうなので、気になる方はショップや雑誌などで確認してもらえればと思う。

イタリアのクラシックなブランドは、スーツやジャケットなどのテーラード・アイテムが売りである。このテーラード、英国の仕立て屋=テーラーが源流なのはよく知られたところだろう。ところが、そのラテン気質からか、華やかな着こなしをよしとするイタリア人に比べ、英国のクラシック・スタイルはというと、実に簡素なのだ。ネクタイを締めるとき、ディンプル(結び目の下のくぼみ)は作らないし、シルクのポケット・スクエアなどは、”余程の洒落者”でないと差さない。イタリアや日本でポピュラーな白いリネンのポケットスクエアは、最もフォーマルなものなので、そういう場面でしか登場することはないのである。

ここでポール・ウェラーだ。
パンク・ムーブメントの真っ只中に登場しながら、あえてモッズ・スタイルを掲げ一時代を築いたザ・ジャムを解散し、元デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズのミック・タルボットと共にザ・スタイル・カウンシルを結成。デビューシングル「スピーク・ライク・ア・チャイルド」が1983年に発表された。ザ・ジャムのサウンド(とりわけ初期の)とは異なり、ソウル、ファンク、ジャズに焦点を当てたスタイル・カウンシルの 音楽性は、そのままポール・ウェラーの嗜好の発展ととらえていいだろう(これらアメリカの黒人音楽は、モッズ達にはお馴染みのものでもあったが)。
デビューアルバム『カフェ・ブリュ』は、やりたかった音楽をすべて詰め込んだ内容で、トレイシー・ソーンやベン・ワット(ともにエブリシング・バット・ザ・ガール)らをゲストに迎えた、スタイル・カウンシルのプロデューサー的側面がはっきりと出た作品であり、その”青いジャケット”のアートワークとともに、人々に大きなインパクトを与えたものであった。

この時代のポール・ウェラーのファッションに目を移すと、ジャムの頃の細身のスーツ、細いタイというモッズ・ルックから、ブレザー、ボタンダウンシャツ、白いコットンパンツ、タッセル・ローファーといった、アメリカのアイビー・ルック風のものに変わっていったことが分かる。
アイビー・ルックとは、アメリカ東海岸の名門私立大学8校のカレッジ・ルックから派生したもので、1950年代半ばからアメリカで、日本では10年程遅れて流行したスタイルである。”将来の白人エリート”をイメージさせるアイビー・ルックをまとい、アメリカ黒人音楽に影響を受けた音楽を奏でるのは、英国労働者階級の家庭出身のポール・ウェラー。何ともシニカルで捻れたおもしろさがあるではないか!
そしてよく見ると、ブレザーやジャケットの肩のラインは非常に構築的な英国ならではのラインを描き(アイビーではナチュラルショルダーだ)、胸には”英国の洒落者”らしくシルクのポケットスクエアがあしらわれていることが多いのもまた絶妙である。

ちなみにスタイル・カウンシルが活躍した83、4年頃は、日本でもポール・ウェラーのファッションに影響された若者が多かった。日本のデザイナーズ・ブランドが盛り上がりを見せる中で、60年代の日本でのアイビー・ブームを経験していない世代には、こうした直球でないアイビー・スタイル(フレンチ・アイビーなどと呼ばれた)は新鮮に映ったのだ。まだまだ5、60年代あたりの良質な古着が入手しやすかった時代である。

The Style Council – Solid Bond In Your Heart

青野賢一

青野賢一

BEAMS クリエイティブディレクター
BEAMS RECORDS ディレクター
1968年東京生まれ。明治学院大学在学中にアルバイトとしてBEAMSに入社。卒業後社員となり、販売職を経てプレス職に。〈BEAMS RECORDS〉立ち上げや、ウェブ・スーパーバイザー兼務などの後、2010年より個人のソフト力を活かす、社長直轄部署「ビームス創造研究所」所属。執筆、編集、選曲、DJ、イベントや展示の企画運営、大学での講義など、BEAMSの外での活動を行う。著書に『迷宮行き』(天然文庫/BCCKS)がある。



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