時代を翻弄する華麗なる天才ギタリスト、プリンスの肖像(ギター・マガジン2010年9月号より再掲載)

ギター・マガジン・アーカイブス by 文:森哲平 2016年4月22日

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2016年4月21日、稀代の音楽家プリンスがミネソタ州ミネアポリス郊外の自宅で死亡していたことが明らかになった。享年57歳。ギター・マガジンではプリンスの追悼として、本誌2010年9月号の表紙巻頭で特集した記事『プリンス 不滅のグルーヴ・ギター』から、波瀾万丈の音楽人生をたどるバイオグラフィー、愛用ギター解説を特別編集版で再掲載する。

魅惑のグルーヴを生み出すファンキーなダンス・ナンバー,過剰なエロチシズム,楽曲を輝かせる斬新なアプローチ,人々を惹きつけてやまないカリスマ性……禍々しくも美しい独特のサウンドで観る者すべてを魅了する天才アーティスト,プリンス。2010年7月にはヨーロッパの新聞に無料添付する形で『20TEN』を発表,未だ衰えない創作意欲を見せつけている。数々のヒット・ナンバーを世に送り出し,時代をリードする先鋭的な音像をクリエイトする彼の腕には,いつもギターが抱かれていた……。

スキャンダラスなルックスを含む強烈過ぎる個性ゆえか“ギタリスト”としてプリンスを語る機会は少ない……が,彼のくり出すプレイは実に多彩である。作品の中で彼は,至高のカッティング・ワーク,強烈なドライブ感を演出するロック・ギター,指板の上を疾走する速弾きフレーズ,最高のエモーションを叩きつける泣きまくりのソロなど,アンサンブルを躍動させる魔法のプレイを見せつけているのだ。時代を翻弄する華麗なる天才ギタリストの素顔に迫る。

INTRODUCTION

文:森哲平

2007年。アメリカのローリング・ストーン誌は『歴史上最も過小評価されている25人のギタリスト』という特集を組む。そこで見事1位の栄光に輝いたのが,我らが殿下,プリンスだった。

ーー過小評価されているーー多くの人がそう思っているなら同誌の“偉大なギタリスト特集”にも少しはランクインしていていい気がするのだが,こちらでは上位100位にすらその名前を見つけることはできない。ランキングの順位や妥当性はともかくーー“ギタリスト=プリンス”ーーまだまだ,過小評価されていることは間違いないだろう。

プリンスのギターは本当にうまい。これは誰しも異論のないところだろう。例えば00年の映像作品『レイヴ・アン・2・ザ・イヤー2000』を観てみよう。「レッツ・ゴー・クレイジー」,「ユー・ガット・ザ・ルック」といったヒット曲で冒頭からギターを弾きまくっているのだが,指の動きもなめらかでスピーディ……そしてパフォーマンスも絵に描いたようなギター・ヒーローっぷり。ギターのことをまったく知らない人でも,パッと見たその絵面から“この人の弾くギターはすごい”と感じるはずだ。彼の“うまさ”は非常に“わかりやすい”のである。

また,弾きまくり系のロック・ソロから,ファンキーなカッティング,ジャジィなフレージングまで使いこなす“引き出しの多さ”も特筆すべきポイントだ。「戦慄の貴公子」でのシャープなカッティングや「ピーチ」で女性の喘ぎ声をバックに“ブルース・ロック縛り”で,これでもかとリックをキメる様など,そのあり余る才能に脱帽してしまう。これだけ楽しいフレーズを惜しみなく1曲にブチ込んでくれるサービス精神にも頭が下がる思いだ。

さらに,周知の事実だがアレンジ能力も高い。楽器の使い方がとにかく巧みで,「Kiss」では最小限で非常に効果的なギターを組み込むことで展開ごとにノリを変える見事なアレンジ・テクニックを披露している。 テクニック,パフォーマンス,引き出し,アレンジ……いずれにおいても,素晴らしい才能をお持ちの殿下なのだが,冒頭に述べたようにギタリストとして“過小評価”されているのはなぜなのか? おそらく“ポール・マッカートニーのギターがヤバいくらいうまいのは誰しも認めるが,ポールと聞いても咄嗟にギターと出てこない”のと同様の現象なのではなかろうか? それに“(ほとんど)全楽器できる”という点も,ギター専門のプレイヤーからすれば,正直あまりいい気はしないだろう。少なくとも,わざわざギターを取り上げてその能力を信奉しようなんて気にはならないのもうなずける。要するに“ギター野郎美学”を感じにくいのだ。

本稿では,そんな殿下の音楽と性愛の歴史を,素晴らしいギター・プレイの数々とともに振り返ってみよう。

殿下生誕

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本名,プリンス・ロジャーズ・ネルソン。1958年6月7日,ミネソタ州ミネアポリスに生れる。殿下も人の子。生まれた時はほかの赤ん坊と同じく,一糸まとわぬ姿だった。30年後,真っ裸の写真をあしらった『Lovesexy』がレコード店に置いてもらえない屈辱を味わうことになるなど,この時は知るよしもない。

父親はジャズ・バンドのピアノ奏者,母親はシンガーという典型的な音楽一家に彼は生まれた。“プリンス・ロジャーズ”という名前は,父親がリーダーをしていたバンド“Prince Roders Band”から取られたという。その後,このプリンス・ロジャーズから自身の芸名を“プリンス”と命名。自ら“王子”と名乗るなんて一体こいつはどんな自意識野郎なんだ?! と思ってしまうが,ベック・ハンセンがBeckと名乗るのと(本人にしてみれば)まったく同じことなのである。

7歳の時に両親が離婚。“初めて弾いた楽器は,父親が地下室に残していったピアノだった”。そして彼はドラム,ギター,ベースなどの楽器を独学で習得し,その才能を開花させていく。中学校に入学し,12歳で初のバンドを組むとともに,155cmの小柄な体格をものともせず,当時はバスケットボールでも優秀なプレイヤーとして活躍していたようだ。が,結局,バスケではスタメンに入れず。以後,音楽活動に専念することになる。中学時代のあだ名は“チビ”ーーそのまんまだ。中学卒業後はセントラル・ハイスクールに進学。高校卒業時の進路相談用紙には“就職:音楽”と記し,その頃からプロになることを心に決めていた,迷いなき殿下であった。

 

稀代のアーティスト“プリンス”誕生

高校卒業後,レコード会社に何度かアプローチをくり返すうち,ついにその才能は大手ワーナーブラザーズの目に留まることになる。“レコード3枚で100万ドル”という破格の内容でワーナーと契約を交わしたプリンスだが,さらにこの19歳は生意気にも絶対に譲れない条件として“プロデュースは自身で行なう”ことをレーベルに約束させようとする。さすがに腰の引けたワーナーは,ゲイリー・カッツ,ラス・タイトルマン,テッド・テンプルマンらビッグ・ネームのプロデューサーたちに掃除夫の格好までさせ,お忍びで偵察させるが,殿下はこのテストにも難なく合格。のちに殿下はインタビューで“現時点での目標は?”と聞かれ“掃除夫になりたい”という名言を残している。

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①『フォー・ユー』(78年)

78年には晴れて『フォー・ユー』(①)でデビュー。当時,殿下は19歳だったが“スティーヴィー・ワンダーの再来”というイメージを強調するためサバを読み“17歳”だと主張していた。この殿下版“17歳の地図”(年齢詐称)は作曲/全楽器演奏/プロデュースをすべてひとりでこなした文字通りのワンマン・アルバムである。タイトルの表記が“4 U”ではなく,普通に“For You”とされているところからもうかがえるように,後年の“プリンスらしさ”は薄い。アレンジも未整理な部分が多いし,リズム的なおもしろさも弱い。しかし,アルバム冒頭のひとりクワイアや,崩しの少ないスモーキー・ロビンソンなファルセットなど,殿下音楽のキーワードがチラホラする興味深い内容となっている。「ソー・ブルー」でのジミヘン・ライクな三味線フレーズから,ジャジィに展開するギターもかわいらしい……が,全米チャートでは163位,パッとしない成果に終わる。

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②『愛のペガサス』(79年)        ③『ダーティ・マインド』(80年)

翌年には自らの名を冠したアルバム『Prince』を発表。ジャケットには裸の上半身,裏ジャケでは翼の生えた白馬にまたがる全裸の殿下の写真が掲載されている(邦題も『愛のペガサス』(②)と見事な迷走ぶり)。肝心の音のほうはアレンジも洗練され1stと比べてかなりキャッチーで聴きやすくなっている。米国内R&Bチャートで見事1位を獲得した「ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー」や,のちにチャカ・カーンによるカバーでヒットした「アイ・フィール・フォー・ユー(恋のフィーリング)」など代表曲も収録されている。「ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー」でのカッティングの良さもさることながら,「つれない仕打ち(Why You Wanna Treat Me So Bad?)」やファンにも人気の高い「バンビ」などでは激しいギター・ソロも聴くことができる(音色の安っぽさ,ペラペラ感は駆け出し時代のご愛嬌ということで)。

完成度の高いアルバムを出し,ヒット曲も出て勢いづいた殿下であったが,マネージャーのスティーブン・ファグノーリのアドバイスにより,今度は1本のデモ・テープをアルバムとして発表する。際どい猥褻歌詞が全米に論争を振りまいた『ダーティ・マインド』(80年/③)だ。アソコもっこりビキニにレッグウォーマー,上からトレンチコートを羽織っただけという,まんま変質者な写真をあしらったジャケットも“いかがなものか”だが,32歳のお姉様との近親相姦をテーマにした「シスター」や,バージン花嫁とのオーラルセックスを歌った「ヘッド」など,保守派の感性逆撫で必至の楽曲は,当然のことながら全米各地で放送禁止になった。これに対し殿下は“僕が書く詩は,自分のまわりでしょっちゅう耳にする日常的な話だ。それをかけないラジオ局は,大衆が生身の人間だってことを否定しているだけさ”とクールに返答している。

ただ,問題大アリの歌詞もさることながら,保守派を一番イライラさせたのは,スペシャル・サンクスとして真っ先に“God”をあげる,プリンスのクリスチャン・アピールだったのではないかと推測するがどうだろう。本作はデモ・テープというだけあって仕上がりは粗く,かなりのピコピコ感が漂う。プリンス=完璧主義というイメージで語られがちだが,この頃から“いい加減/いい塩梅”なリリースをするクセもあったのだ。音楽の構造としては,白人聴衆にもわかりやすいキャッチーなメロディの楽曲が多く,例えば,「シスター」からはクイーンを連想させるなど,“白いプリンス”のお里が知れて興味深い。

翌81年にはローリング・ストーンズの前座も引き受けている。だが,聴衆はプリンスの音楽を理解せず,演奏するプリンスとそのバンドに対して物と罵倒の言葉を投げつけた。そのため,演奏は20分ほどで中止に追い込まれることになり,プリンスは飛行機に乗り家に帰ってしまう。これに対し,ミック・ジャガーが“プリンスの偉大さをお前らは理解していない”とファンに向け語ったのは有名な話だ。

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④『戦慄の貴公子』(81年)         ⑤『1999』(82年)

同年,プリンスは4枚目となるアルバム『戦慄の貴公子(Controversy)』(④)を発表。タイトル曲では,自身に対するゴシップを題材に,“黒だろうが白だろうが,ストレートだろうがゲイだろうが,神を信じてようが自分を信じてようが,どうでもよい。人が言うことなんて理解できない”と歌い,音数の少ないミニマルな7分間ファンクの中で,真摯でユーモラスなメッセージを伝えている。また,切実なファルセットでまっすぐに性愛を訴える「ドゥ・ミー・ベイビー」の名演も忘れてはならないだろう。

続いて発表されたのが,初の2枚組となる『1999』(82年/⑤)だ。基本的には従来通りほとんどのパートをプリンスが演奏しているが,コーラスやギター・ソロなど,いくつかのパートでは,自身のバックバンド,レボリューションのメンバーも参加している。実は今聴くと,音が一番古臭く感じられるのが本作だったりする。冗長な展開の曲も多いし,キーボードの音色も相当時代を感じさせる。が,ロマンチックな感触をこれまで以上に強烈に押し出した,ある種の“プリンス色”が成立したのも本作が初めてだろう。収録曲の音楽性も幅広い。ドラマティックなタイトル曲,そしてこれまた大仰な展開を見せるロック・バラード「リトル・レッド・コルヴェット」はMTVでは黒人として初めてヘヴィ・ローテーションとなり大ヒットを記録した。チープなアレンジの茶目っ気あふれるロカビリー・ソング「ディリリアス」など,のちのライブでも披露される殿下お気に入りの楽曲もあれば,シンセの音色やテンポ設定にクラフトワーク的な意匠が見え隠れする「オートマティック」,「サムシング・イン・ザ・ウォーター」なども収録。一向に懲りる気配のない性愛絵巻「レディ・キャブ・ドライヴァー」での,ジル・ジョーンズとの小芝居,ギター・ソロを交えた展開も素晴らしい。

時代の寵児となった黄金期

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⑥『パープル・レイン』(84年)

『1999』の好セールスを受け,84年には,ついにプリンス史上最大のヒット作となる映画『パープル・レイン』が公開される。主演のプリンスを始め,出演者のほぼ全員が演技のド素人だが,それでも映画は大ウケ。“苦悩するミュージシャンである主人公キッドが父親の自殺未遂を機に,バンド・メンバーとの協調の重要性に気づき,音楽的にも精神的にも成長を遂げる”というわかりやす過ぎる(ツッコミどころ満載の)青春ストーリーゆえか,はたまたロックなサウンドを前面に押し出した“わかりやす過ぎる”音楽性ゆえか,7,000万ドルもの興行収入を生み出したタイトルとなった。同名のサウンドトラック(⑥)も全世界で1,400万枚を売り上げ,映画においても音楽においても,プリンス最大のヒット作となる。

本作で殿下はオスカー賞とグラミー賞を同時獲得。まさにプリンスが“時代のヒーロー”だった。 ストレートなロック・ギターを弾き倒すオープニング「レッツ・ゴー・クレイジー」,ベースレスの不協和音ダンスナンバー「ビートに抱かれて(When Doves Cry)」も相当に狂っている。ラストを飾る大団円のタイトル曲では,プリンスのロマンチックなギター・ワークを心ゆくまで楽しめる。殿下本人は,ほとんど全曲でギターを弾きまくっており,作品自体も全体的にライブのノリで進行するのが本レコードの魅力だ。特にB面のメドレー(「ダイ・フォー・ユー」以降)は掛け値なしのライブ録音。意外なことだが,02年の『One Nite Alone…Live!』までプリンスの公式ライブ盤はなく,本盤はそうした意味でも大変貴重だったのだ。また,映画も(物語自体は正直あまりおもしろくないが)ダンス,マイクさばき,ギターのパフォーマンスなど,プリンスのライブの素晴らしさを映像によって見事に伝えることに成功している。

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⑦『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』(85年)

これだけ売れたのだから,しばらくはこの路線を歩むだろうと誰もが思いきや,突如プリンスはライブ活動の一時休止を宣言。“4月に雪が降ることもある”,“梯子を探しにいく”などと意味不明なことを言い残し,スタジオに籠もってしまう。そして完成したのが,自身のレーベル“ペイズリー・パーク”からの第1弾『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』(85年/⑦)だ。 わかりやすいノリのロック・サウンドは姿を消し,本作ではスタジオでのサウンド実験を凝らした奇妙な作風を押し出すことで,前作の“売れ線”を期待していたファンに見事な肩透かしを食らわせた。

“「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」のオープニングを「レッツ・ゴー・クレイジー」の最後のギター・ソロで始めるのがどんなに簡単だったか,想像がつくだろ?  違うキーで同じことをやるのだって簡単だったさ。そういう風にやれば,このアルバムが,あれより半分もパワフルじゃない,と言った連中を黙らせることにもなっただろう。でも,僕は,前のアルバムに似ているものは作りたくなかったんだ”という殿下の言葉どおり,本作は中近東風の旋律の笛音とネットリとしたシャウトで幕を開ける。そしてスカスカのドラム・サウンドの上を,不安定な音程のキーボードやフェイザーを効かせたギターなどが調子はずれに寄り添ったり,離れたりする摩訶不思議な「ペイズリー・パーク」へと進んでいく。ルックスも前作から大きく変化した。『パープル・レイン』での紫ジャケットを脱ぎ捨て,今度は青空のスーツに身を包み,髭も剃って髪も短く整えた姿に……そう『サージェント・ペパーズ~』あたりのビートルズをかなり意識しているのだ。「ラズベリー・ベレー」のPVも,もろに「愛こそはすべて」,「イエロー・サブマリン」などのオマージュであると推測される。

この時のプリンスについて“ヒット作の直後であるにもかかわらず,二番煎じは狙わずにアーティスティックに攻めた”としばしば言われるが,要はこれ,プリンス流ビートルズということで,英国市場を意識した作品であるとも言えるかもしれない。事実,英国チャートでは5位と,前作の7位以上に健闘している。そういう意味では“80年代のサージェント・ペパーズ”のコピーにも頷ける部分がある。

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⑧『パレード』(86年)

プリンスの攻勢は止まらない。86年にはまたしても映画制作に乗り出す。しかも主演プリンス・監督プリンスという二足の草鞋(わらじ)だ。しかし,このフランスを舞台にした全篇モノクロの力作映画『アンダー・ザ・チェリー・ムーン』は,興業的には散々の結果となってしまう。結果,今度はオスカーではなく,ラズベリー賞総ナメの不名誉を味わうことになる……が,映画とは異なり,そのサウンドトラックという位置づけの『パレード』(86年/⑧)は出色の出来だ。プリンス作品の中でも,サウンド的には最も先鋭的なアルバムと言ってもいい。

ジャズ歌謡や独自のファンク・チューン,ロック・ナンバーなど,楽曲の振れ幅も激しいうえに,先が読めない展開,妙にハイテンションで気分よさげな躁状態の歌唱・演奏は,プリンス・ミュージックのひとつの極北を示している。“うわ,気持ち悪い”と思いつつも,その“気持ち悪い”がクセになるイタ気持ちよさがあるのだ。映画はコケたが,本レコードからはシングルカットされた「Kiss」が全米1位の大ヒットを記録。“服の脱がせ方を教えてあげるよ”と歌いながら,自ら服を脱ぐ殿下のPVも楽しい。

傑作『サイン・オブ・ザ・タイムス』の完成

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⑨&⑩『サイン・オブ・ザ・タイムス』(87年)

映画に失敗したプリンスは,今度は突然,自身のバンドであるレボリューションを解散させてしまう(ほとんど一方的な解雇だったようだ)。ひとりスタジオに籠もり音楽制作に没頭する中で,創造性がピークに達した殿下は『Crystal Ball』,『Camille』,『Dream Factory』などと呼ばれる複数のプロジェクトを併走させる。が,これらも完成には至らず,結局プロジェクトは停止することになる(のちに4枚組アルバム『クリスタル・ボール』としていくつかのマテリアルが発表される)。そして,この複数プロジェクトの中からトラックを選り集め完成させたのが,プリンス二度目のダブル・アルバムにして大傑作の『サイン・オブ・ザ・タイムス』(87年/⑨)だ。

タイトル曲では,音数の少ないストイックな構成にもかかわらず,音数が少ないからこその沈み込むようなファンクを,ギターと喉で紡ぎ出していく。麻薬や銃が出まわり,人殺しが日常茶飯事となってしまっている時代をシニカルに憂いたあと,次曲「プレイ・イン・ザ・サンシャイン」では“マルガリータやエクスタシーなんか使わずに,日の光を浴びてプレイしよう”とポジティブなロックンロール・ナンバーを演奏。曲終盤の美しいコーラスを“Shut Up Already Damn!”と叫んで遮り,突如始まるのは“JBのファンクを煮詰めていったら自然とラップになっていた”といった風情の「ハウスクウェイク」。そして見事なコード進行の短篇語り物「ドロシー・パーカーのバラッド」へ……と,レコードA面の展開だけを見ても,ここでのプリンスはすごいとしか言いようがない。

特に1~3曲目の流れは,ラップという新ムーブメントへの,プリンスによるこれ以上ないくらい見事な回答になっている。それはクイーンが,当時のパンク勢力の台頭に対し“負け犬に用はない”,“最後まで戦い続ける”(「伝説のチャンピオン」)と歌ったあと,「シアー・ハート・アタック」(ともに『世界に捧ぐ』収録)のパンキッシュな演奏で答えたのと相似形だ。“大きい人も小さい人も すべての問題は十字架が取り去ってくれる”と歌うロック調アンセム「ザ・クロス」など,自身のコンプレックスや悩み(チビ)を隠すどころか,前面に押し出す真摯さにも心打たれる。

また,同作の曲を中心としたライブ映像作品『サイン・オブ・ザ・タイムス』⑩:(殿下二度目の監督作品)も屈指の出来だ。「プレイ・イン・ザ・サンシャイン」や,ほとんど青春歌謡の「プレイス・オブ・ユア・マン」を始め,殿下のギター・ソロも満載。シーラ・Eのセクシーな衣裳とパワフルなドラムも見どころだが,「ビューティフル・ナイト」ではそのシーラ・Eに代わり,小指を立てながらドラムを叩く殿下の姿も(しかもうまい)。途中に挿入される小芝居は正直言ってよくわからないが,そのパフォーマンスには一切文句なし! ノリにノッたプリンスの音楽を存分に楽しむことができる。

同87年には,アルバム名表記もアーティスト表記もない,真っ黒なジャケットのファンク金字塔『ブラック・アルバム』を匿名で発表しようとするも,発売1週間前になって急遽リリース中止になるという事件が起きる。“恐れをなしたレコード会社が発売を渋った”,“あまりにネガティブな内容に,殿下自らマズいと考え引っ込めた”など諸説あるが,すでにプレスされてしまったレコードは世に流出。“世界一有名なブートレッグ”の名を欲しいままにした本作はレコード屋で高額取引されることになる(が,94年にはワーナーとの契約消化のため,あっけなく正式リリース)。

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⑪『Lovesexy』(88年)

『ブラック・アルバム』の発売停止に対し“もっとポジティブなものを”と考えた殿下は,今度は急遽『Lovesexy』(88年/⑪)を制作。ところが,この作品がまたもや問題を呼び込むことになる。まず,そのジャケットだ。真っ暗だからと電気をつけたら,そこにはお花をバックにした全裸の殿下が。このジャケットは,素晴らしすぎた(?)がゆえに“猥褻”であるとされ,一部の大手チェーン店から“一切店頭に置かない”,“販売はするが店頭には並べない”との厳しい対応を受けることになってしまう。また,CDでは曲間信号を一切入れず,各曲の頭出しができない仕様になっているため,冒頭からノンストップで聴くしかないという,実に不親切な作りになっていたこともあり,セールスは予想外の不振に終わる。

アルバムを受けて組んだツアーも振るわず,この時期には“プリンス破産説”まで出てくる始末。楽曲はどれもポップだし,性愛と天国に対するポジティヴィティ満載のメッセージも優れているが,演奏や殿下の声にどことなく疲れも感じてしまうのは,筆者だけだろうか。

怒濤のリリース・ラッシュ

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⑫『バットマン』(89年)

そんな瀕死の殿下を救ったのがティム・バートン監督映画『バットマン』のサントラ(89年/⑫)のヒットだった。大のプリンス・ファンであったバートン監督が,大のバットマン・ファンであった殿下に声をかけて実現したこの企画,シングルカットされた「バットダンス」は全米2位と大ヒット。さらに,映画のヒロイン役を務めたキム・ベイジンガーとプリンスのふたりも恋仲にまで発展。ゴシップ誌を大いに賑わせる。サントラ収録のベイジンガーとのデュエット曲「スキャンダラス」も,まさかの“組曲”にまで発展し,『スキャンダラス・セックス・スイート』(89年)というミニ・アルバムとして発表された。キム・ベイジンガーの“とても演技とは思えない”熱の入った喘ぎ声に,気合い入りまくりの長尺ギター・ソロで応答する殿下世紀の名演はやはり必聴。

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⑬『ダイアモンズ・アンド・パールズ』(91年)⑭『ラブ・シンボル』(92年)

ヒットもあれば,女優とのロマンスもありと好調な殿下だったが,90年には再び1,000万ドルをかけた大作映画『グラフィティ・ブリッジ』を制作,監督業に手を出し,またもや手痛い大失敗をしてしまう。しかし殿下はその後も続々と新作をリリース,怒涛のオラオラ・ラッシュを続けるが,90年代に入り,作品が変質した感があることはどうしても否めない。ひと言“プリンス汁”が薄まったという印象なのだ。

その印象は特に『ダイアモンズ・アンド・パールズ』(91年/⑬),『ラブ・シンボル』(92年/⑭)の2作に顕著だ。映画の負債を取り戻すためもあってか,この2作では,ラップやブラコンなどコンテンポラリーな作風も取り入れた,いわゆる“売れ線”の音になっている。凝ったPVや,念入りなマーケティング戦略も手伝い作品はヒット。プリンスに多大な売上をもたらした。が,正直に言って,従来のファンが,最も多く離れていったのもこの時期だろう。 ラッパーやソウルフルな女性ボーカル,ロージー・ゲインズも備えた新バンド,ニュー・パワー・ジェネレーションの演奏はパワフルだし,シングル・ヒットした「ダイアモンズ・アンド・パールズ」,「クリーム」,「7」などの楽曲はキャッチーで親しみやすい。また,「ストローリン」でのジャジィな感覚や,「Sexy MF」のファンキーなホーンなど,その音楽性はやはり広い。

が,音数と音圧と勢いで押し通すかのようなスタイルは(押し通せるのがすごいが),これまでのプリンスの音楽にあったイマジネイティブな側面も同時に押しつぶしてしまっているように感じられてしまう。作品の質が低いわけでは決してないが,何かが足りないと思ってしまうのは,ファンの我儘だろうか。

レーベルとの確執,そして改名

93年,プリンスはワーナー・ブラザーズとアルバム6枚の再契約を交わす。その際,なんとワーナーの副社長にも就任するという,文字通りの“特別扱い”を受けるのだが,表面上の厚遇とは反対に,制作活動への規制も強化され,このあとワーナーとの関係は急激に悪化することになる。のちにプリンス自身が語るところによれば,もっぱらその原因は,マスターテープの所有権がワーナー・ブラザーズにあり,アーティストの管理下にないことにあったようだが,そのほかにもアーティストとの共演が自由にできないこと,新作を制作しても発表時期を自由にできないことなどが,かなりのフラストレーションになっていたようだ。 怒った殿下は売上低迷を理由にペイズリーパーク・レーベルを閉鎖させると,新たにインディー・レーベル,NPGレコードを発足させる。そして,このレーベルから,チャカ・カーンやラリー・グラハム,自身も匿名で参加したバンド,ニュー・パワー・ジェネレーションなどのレコードをプロデュース&リリースし,水面下の活動も活発に行なっていくことになる。さらに“今後新たにレコーディング活動は行なわない”と宣言するなど,ワーナーに対し,反抗の姿勢を明確に打ち出していく。 15:COME(dlp)

⑮『Come』(93年)

そして93年,殿下は人種差別や幼児虐待などについての自身の考えを明らかにした傑作『Come』(⑮)発表を最後に“Prince”の名を封印。『Come』のジャケットでは“Prince1958-1993”と表記され,“プリンスは一度死んだ”と自らの死亡を高らかに宣言した。

プリンス崩御。オーケー。では,崩御宣言している彼は一体誰なのか? 殿下が新たに指定した芸名はヘンテコなシンボルだけであった。その読み方は公式に一切指定されていなかったため,“The Artist Formally Known As Prince”だとか,略して“The Artist”としか呼びようがなく,ファンやメディアを大混乱させる。ちなみに,プリンス自身がこの記号の公式な呼称を指定していないため,本稿では引き続き殿下と呼び続けることにする。タイトル曲は10分以上続くファンク。精魂込めた丁寧なホーンアレンジや,前2作ではあまり見られなかった,ネッチョリとした殿下の歌が戻ってきているのがうれしい。

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⑯『ゴールド・エクスペリエンス』(95年)  ⑰『Emancipation』(96年)

95年には新名義第1弾となるアルバム『ゴールド・エクスペリエンス』(⑯)を発表する。キャリア30年にもなるベテランとは思えない瑞々しさと,ヒネリのないストレートなラップや,歌謡曲かとツッコミも入れたくなる直球ロック・ナンバーやバラードを取りそろえた,ファンにも人気の高い傑作だ。BECKあたりを意識したような,ミクスチャー感の高いヘンテコ・ラップ「Now」を始め,K-1グランプリのテーマ曲としてお馴染みの「エンドルフィンマシン」,ほとんど芸能歌謡の「アイ・ヘイト・ユー」,これまたベッタベタ(当然すべて褒め言葉)のポップ・ナンバー「ゴールド」などで,殿下の抑えきれないギターと情感ツユダクものの歌唱を聴くことができる。特に「アイ・ヘイト・ユー」ラスト30秒の高カロリーなギター・ソロはこちらに負い目があると気恥ずかしくなるくらいドラマティックで,聴きごたえ抜群だ。

続く96年には,スパイク・リーの映画『ガール6』に新曲も含んだサントラを“プリンス”名義で発表。“その名は封印したんじゃないのかよ”と誰もがツッコミを入れただろうが,そんな常人の安直な発想にはお構いなしのプリンスだった。同年にはたった2日でレコーディングしたという『カオス・アンド・ディスオーダー』もリリースし“ワーナーとの契約はとっとと終わらす”気マンマン。ニール・ヤングのように荒削りな採れたての演奏をそのまま市場に並べた鮮度の高さにもかかわらず“完成度が低い”と評論家からの評判は今ひとつだった。 怒りも込めた作品ラッシュもすごいが,プライベートでは自身のバンド,ニュー・パワー・ジェネレーションのダンサーであったマイテ・ガルシアと電撃結婚をしてファンを驚かせる。と思ったら,速攻で離婚届けを提出。“ふたりの愛の前に紙切れなんか無意味”ということらしい。“ルールを作れ,作ったら破れ,だってキミが最高なんだから(「クリーム」)”という自身の信条を実践したまでのようだ。

ワーナーとの契約を消化した殿下は,同年その抑えきれない解放感を3枚組の超大作『Emancipation』(⑰)としてリリースする。“この作品を作るために僕は生まれてきた”と殿下自身が宣言する力作は,マイテとの愛の日々を赤裸々に綴ったDisc2が特に胸を打つ。スタイリスティックスやデルフォニックスの愛情溢れる“初のカバー曲収録”も話題となった。

衰えぬ創作意欲

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⑱『レイヴ・アン2・ザ・ジョイ・ファンタスティック』(99年)

⑲『レイヴ・アン・2・ザ・イヤー2000』(99年)

99年にはシンボル名義でありながら,プロデューサー名に“プリンス”とクレジットした『レイヴ・アン2・ザ・ジョイ・ファンタスティック』(⑱)をアリスタから発表,同年には,ペイズリーパーク・スタジオでのパフォーマンスを映像作品『レイヴ・アン・2・ザ・イヤー2000』(⑲)としてもリリースしている。ギターや,ベースに,シンクラヴィアにと自身もマルチに楽器をこなしつつ,ヒット曲を交えた構成のライブは格別だが,やはり見どころは何と言っても“スライ&ザ・ファミリーストーン再結成”だろう。ラリー・グラハム,ジェリー・マティーニ,シンシア・ロビンソンらファミリーストーンの元メンバーとともに,スライの「エヴリデイ・ピープル」,「アイ・ウォント・トゥ・テイク・ユー・ハイヤー」を演奏する様は,スライこそ不在だが,誰が何と言おうとファミリーストーン。ギターでラリーらのサポートに徹する殿下のスライに対する愛は半端ではない。メイシオ・パーカーを交えたセッションでは,珍しく殿下のブルース・ギターを聴くこともできる。

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⑳『ミュージコロジー』(04年)

㉑『プラネット・アース』(07年)

㉒『Lotus Flow3r』(09年)

㉓『レインボウ・チルドレン』(01年)

プリンス名義を復活させたそのあとも,殿下は活発なリリースを続けている。インターネットを通じた大量のお蔵出し音源,新曲の発表,通常の販売のほかにライブ・チケットを買うとアルバムも付いてくるという特殊な形態でリリースし,見事全米チャート1位を記録した『ミュージコロジー』(04年/⑳),英国の新聞に付属させ,アルバムそのものは無料配布した『プラネット・アース』(07年/㉑),レコード会社を経由せず,大手ディスカウント店を通じて破格の値段で販売した『Lotus Flow3r』(09年/㉒)など独自の販売戦略を採用しながら,チャート上も高い成績をあげている。 一方で,近年のプリンスの質の高いライブ活動も見逃せない。02年には,宗教的でスピリチュアルなコンセプト・アルバム『レインボウ・チルドレン』(01年/㉓)を引っさげたツアー“One Nite Alone”を行ない,公演の模様は,プリンス初のライブ盤『One Nite Alone…Live!』として発表された。演奏に若干の疲れが見える点が気になるが,ピアノ弾き語りによるバラード群など聴きどころも多い。公演後に小さなライブハウスを借り切って行なわれたアフターショーでの演奏は実に楽しそうだ。

また,07年には,アメリカンフットボールの祭典“スーパーボウル”のハーフ・タイム・ショーに出演。このショーは全米放送され,アメリカ史上3位の高視聴率を記録し大きな話題となった。紫の雨が降りしきる悪天候の中,“Can I Play This Guitar?”と言って弾き始める「パープル・レイン」の破壊力抜群のギター・ソロはとにかく感動的だ。

同年にはロンドンにて21夜の連続公演も行なっており,そのアフターショーの模様は,写真集『21 Nights』の付属CD『Indigo Nights』で聴くことができる。こちらは、メンフィス・ソウルを意識しながらも,ジャズやファンクなどジャンルの間を自由に往来する充実したレビュー・ショーといった趣だ。またレッド・ツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」のカバーも収録している。

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㉕『20TEN』(2010年)

そして2010年7月には,ベルギー,イギリスの新聞に無料添付する形態で最新作『20TEN』(㉕)が発表された。前作『LotusFlow3r』でもギターをフィーチャーした穏やかな作風を見せていたが,「ディリリアス」直系の楽しいポップ・ナンバーの「Compassion」や,低音の歌い出しから,ギターの合いの手とコーラスで静かに盛り上げていく美しいバラード「Future Soul Song」を始め,機軸となるリズムマシーンにシンセサイザーとギター・リフを絡ませたコンパクトで親しみやすい作風は,まさに往年の“ミネアポリス・サウンド”とも言えるものだ。 新聞への作品無料添付,インターネット配信,ライブにと,さまざまな形態で発表されるプリンスの多彩な音楽活動は今後も一向に止みそうにない。ライブではギター・ソロが“聴きモノ”となり,アルバムでもギターはアレンジの主要な一部となっている。今後も殿下の音楽にギターは重要な位置を占め続けるだろう。

“ベイビー,キミを愛してるけど,ギターのようには愛してないんだ”

(「ギター」from 『プラネット・アース』)。

CLOUD GUITAR

princeギター

撮影:三島タカユキ

プリンスのトレードマークのひとつ、CLOUD GUITAR。H.Sアンダーソン製“マッド・ キャット”を購入したミネアポリスのクヌート・コゥピー・ミュージック・ストアのギター・ルシアー,デイヴィッド・フセイン・ルサンが製作したモデルだ。 本器は,映画『パープルレイン』で初登場し,ストーリーの重要なアイテムとなった。ちなみに最初に作られたホワイト以外 に,バットマンのマークが指板に入れられたブラックやブルーなど, 数本しか存在しないと言われている。 写真は、東京六本木のハードロック・カフェに展示されているもので、このイエロー・タイプは 『ダイアモンド・アンド・パールズ』(91年) リリース時のツアーで使用されたもの。ポジション・マークは ラヴ・シンボルのデザインで、ピックアップはEMG製SA&81が搭載。

 

 

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