UNITED 30th ANNIVERSARY SPECIAL INTERVIEW Part.2

インタビュー by 編集部 2011年6月3日

結成30周年を迎え、ますます血気盛んな”ジャパニーズ・ヘヴィメタル界のゴジラ”ユナイテッドの特別インタビュー第2弾!

ギター・マガジン6月号に掲載しきれなかった、濃厚なユナイテッドのギター・チャンネル・インタビューの第2弾は、ベーシストであり曲作りの要である横山明裕を迎え、弦楽器隊3人がバンドにそろうまでの話を掲載。”懐かしいな〜”と思いにふける、ベテラン・スラッシャーの皆さん、お待たせしました!

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横山明裕(b)、大谷慎吾(g)、吉田良文(g)

Photo:Hiroya Fukuda

 

 

 

当時は金髪なんていなかったから、”スゲー、こえー”って思ったよ(笑)。—–横山

 

●本年30周年を迎えたユナイテッドですが、キャリアが同じくらいのバンドとなると、どのアタリになるんでしょうか?

横山明裕 国内だと、音的にも近いのがアウトレイジだよね。歳は……一緒くらいかな。

吉田”HALLY”良文 平均年齢は、ウチのほうが低いんじゃないの(笑)。 ※20代のKen-Shinが加入したため

横山 海外だとどれくらいだろう? エクソダスの1stはユナイテッドに入ってから、リアルタイムで聴いているからね。あ、ボン・ジョヴィだ! だってボン・ジョヴィは”スーパー・ロック84″で新人だったでしょ。

大谷慎吾 じゃあ、ボン・ジョヴィってことで(笑)。俺は加入してから21年なんだけど、先輩(吉田のニックネーム)は?

吉田 23年。俺も以前は自分のバンドをやってたんです。割りと点々としていたほうではありますけどね

横山 なんだかんだで、オリジナル・メンバーはいないから。俺が27年で、最初の3年間は、誰かが勝手にやっていてくれた(笑)。

大谷 出会うべくして出会ったのかな。ただの呑み友達だったというノリから始まったという話もありますけど。

●今おっしゃっていただいたように、皆さんはすでに活動していたユナイテッドに、順々に加入していきます。その加入当時、バンドとそのまわりのシーンはどのような感じだったんでしょうか?

横山 俺は横須賀に住んでいたからTENSAWとか子供バンドはいっぱい観ていたけど、リアルタイムでのメタルってのはそんなになくてね。東京のロック・シーンは全然知らなかった。10代で横須賀から東京に行くってのは、”東京に行って来ます!”って感覚だったから。

大谷 ラウドネスが出てきて、アンセムなんかがどんどのメジャーと契約していった時代じゃないですかね。

横山 ユナイテッドに入るきっかけは、当時サーベルタイガーっていうのちにX(X JAPAN)に入るHIDEがいたバンドがあって、そこのドラマーと一緒に車の教習所に通っていたの。ふたりとも髪が長くって、ライダースと黒いスリムを着ていたから、目立つわけだ。そこで”今バンドやっていて、ドラムとベースを探しているんだ”って軽いノリで話しかけてきたヤツがいたんだよ。それがユナイテッドのボーカルだった。その頃俺がやっていたのは、キーボードがいる5人編成のバンドだったんだけど、ギターふたりのバンドがやりたかったから、”一回スタジオ行きます”って答えたの。ブラック・サバスのコピーをしてスタジオに行ったら、そこにいたのは全員金髪のヤツなの。当時は金髪なんていなかったから、”スゲー、こえー”って思ったよ(笑)。

 

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▲1983年時のメンバー写真。左からふたり目が横山だ。

 

 

音を合わせて、そのあと呑みに行った勢いで入っちゃった(笑)。—–吉田

 

●吉田さんはどうですか?

吉田 確か22歳の時に入ったと思います。その前はディメンシアってバンドをやっていて、ユナイテッドともよく対バンしていたんです。ただメンバー・チェンジがあったりで、何もできない期間が1年くらいあったかな。ユナイテッドにはその間に誘われて、ギター持っていたって感じでした。前任のギタリストはマーチャン(原正樹)っていうカリスマみたいな人だったから、”同じようには弾けないだろうな。でもまぁ行ってみるか”くらいで(笑)。それで音を合わせて、そのあと呑みに行った勢いで入っちゃった(笑)。

横山 忘れもしない、中野の白木屋でのことだ。ダマくらかして酔っぱらわせて、”お前は入れよ”、”やるよ”って感じでね。

吉田 それで23年……この年までやるとは思わなかった。

●その頃のユナイテッドの印象というと?

吉田 ディメンシアはジャパメタの延長みたいな感じがあったけど、ユナイテッドは全然そうじゃなくて。メタル専門誌にもいい評価されていたから、すごいなと思っていました。

 

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▲1988年時のメンバー写真。一番左が吉田で、その隣に横山。

 

 

当時対バンもしているんだけど、怖くて話せなかった。でも横センだけは気さくに声をかけてくれて。—–大谷

 

●大谷さんはどうですか?

大谷 小岩のスタジオで店員をやっていて、ディメンシアとも仲が良くって、先輩とも18歳の頃から付き合いがありました。その頃の俺は金髪でメイクもしていて、元Xのメンバーとロンメルってバンドをやっていたんです。ほかに元ディメンシアのドラムがいたりとか、Xや俺ら、ディメンシアってみんな世代が一緒で。でもユナイテッドはちょっと年上って感じだったんです。メイクもしてないしジーンズにTシャツでライブやっていたしで、”こえー”って思っていたら、そこに先輩が入っちゃったわけですよ。スゴイ音出しているバンドに入っちゃったものだから、”先輩大丈夫?”なんて。聞けば”1日のスタジオ代が7〜8千円かかる”とか言っているから、随分いいところ使っているんだなって思ったら、”2千円のスタジオ代と、毎回呑み代が5千円くらいかかる”って(笑)。

●体も財布も持ちませんね(笑)。

大谷 当時、ユナイテッドとは目黒の鹿鳴館とかで対バンもしているんだけど、”俺ら化粧しているし、殴られそうだ”って怖くて話せなかったですもん。でも横セン(横山のニックネーム)だけは気さくに声をかけてきてくれて……もうそれすら怖くて覚えてないんだけど。

横山 俺は覚えているよ、声かけたの(笑)。使っていたギターを観て”アイアンバードかっこいいよね”って言ったら、”は、はぁ”ってさ。

大谷 そんな感じだったんだけど、先輩が入ったことによってもっと身近に感じるようになったんです。それで自分たちも音楽的な部分を充実させていこうって話になり、化粧とかやめちゃったんです。バンド名も変えて(ロンメルからエンペラーへ)、それでまたユナイテッドと対バンする機会ができて……その頃からですかね、方向性も近くなっていった。

●どんな音だったんですか?

大谷 ウチらは少しテクニカルなスラッシュのアプローチだったんだけど、ユナイテッドはもっと塊でドーンと出てくる感じでしたね。88年くらいに一緒にツアーもまわったんですよ。その頃は東京のバンドふたつでのカップリング・ツアーなんて、なかなかできる時代じゃなかった。実はそのツアーで、ウチのバンドは解散が決まっていたんです。そのあとはどうしようって考えていた時に、俺の前のギターのガンちゃん(古沢巌)から”実家の仕事をやることになったから、ユナイテッドはお前が弾けよ”って話をされて。

横山 知らない間にギターが決まっていたんだよね。

大谷 俺に弾けるかな、弾けないこともないけど……先輩もいるし大丈夫だろうって。それが89年の暮れくらいだった。その時には1stアルバムを作る話もあって、4月からは全国ツアーも決まっていたから、曲を覚えつつ作ってレコーディングして……それから21年(笑)。

 

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▲1990年のメンバー写真。一番左が大谷、センターに吉田、その右が横山。

 

 

俺らはロックンロール系のバンドとかとも一緒にやっていたから。分け隔てなくやっていた。—–横山

 

●3人がそろったユナイテッドの音と、その頃メイン・ストリームで流行っていたメタルのスタイに違いはあったんでしょうか?

大谷 ラウドネスは海外進出も終えてメンバー・チェンジもしていた頃ですね。アウトレイジもメジャーでガンガンやっていた。Xがもうスゴイところでやるようにもなっていたし。

横山 でもアウトレイジともやったりと、スラッシュのシーンもあったんだよね。ちょうど盛り上がってきた頃かな。アンダーグラウンドのスラッシュ・バンドはいっぱいいて、イベントとかも成立していた。俺らはそういうところともやっていたけど、そうじゃないロックンロール系のバンドとかとも一緒にやっていたから。分け隔てなくやっていた。

●ユナイテッドの音は、多くのメタル好きのニーズにシンクロしてきたという感じなんですね。

横山 ハウリング・ブルってレーベルが設立されたのがきっかけで、盛り上がった部分もありますよね。若いスラッシュ・バンドがいっぱい出てきて、そこからいろいろリリースされたりもしたから。

大谷 セルショックやサクリファイス……みんな同じようなシーンで。”メタリゼーション”なんてイベントもやったり。もういない人も多いですけど。

吉田 去っていった人も多いですね。しょうがない。

●そんな中、ユナイテッドが30周年を迎えられた要因は何でしょうか?

横山 頑張ってなかったからよかったのかもしれない。逆に言うと、自然にやっていた。ものすごく頑張りすぎていたら、空回りとか……実際にそういう時期もあったし。どのバンドもみんな、ものすごい期待して頑張るわけじゃないですか。でもどっちかというと、俺らは売れるためにやっているというよりかは、いい音楽をクリエイトしたいって部分が大きかったから。

大谷 CDが何千枚、何万枚売れることよりも、自分たちの音楽を出してライブをやって、少しでも聴いてもらえるだけでも満足感はあったかな。それでお金が稼げなくても、みんなアルバイトもしていたし。そういう状況じゃなかったら、続いてなかったかもしれない。

吉田 運がよかったのと、まわりのおかげってのもありますよね。

 

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▲1992年時。左から大谷、横山、古井(vo)、吉田、内野(d)。

 

 

弦楽器隊3人のバンド加入経緯を紹介したところで、インタビュー第2弾は終了。次回第3弾は、3人がそろったユナイテッドが、ヘヴィ・ミュージック・シーンを突き進み牽引していった90年代の話、ツアー回想録をお届けします。お楽しみに!

 

 

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