2007年、2枚のアルバムを発表した。
9月にリリースされたアルバムは、日本のエレクトロニック・ミュージックを代表する老舗レーベルPROGRESSIVE FOrMから『HOORAY』。その2か月後の11月にはアメリカWestern Vinylから『OK Bamboo』。
リリースの順序とは逆に、2ndアルバム『OK Bamboo』、3rdアルバム『HOORAY』。これは制作し、完成した順番を優先にしたために逆にした。
1stアルバム完成直後から『OK Bamboo』の制作を開始した。
というのも、1stアルバムはアメリカ中心の、例えばニューヨークにあるOTHER MUSICのようなインディペンデント・ミュージックを取り扱うマーケットでの音楽だと勝手に思い込んでいた。しかし実際は、東京を中心とした日本のCD・レコードショップでも大きく取り扱ってくれたのだった。
無名の新人である僕が『現代音楽・ニューエイジ』と呼ばれるコーナーに作品を置いてもらえたことに素直に感動した。
そんなシンプルな嬉しさが、すぐに次作への制作に僕を動かしたのだと思う。
前作の環境音主体の構成から少し変わって、『OK Bamboo』はメロディーに重点を置き、色々な音を複数のレイヤーに細かく分け、時間を合わせるように、作っていった。
音の素材をさらに視覚的に扱うことによって、かなり複雑なレイヤーを持っている楽曲を軽妙な構造に組み立てていくことができた。
コンピュータ・ディスプレイと2つのモニタースピーカを前に、視覚と聴覚を最大限に集中して作業することは、自分にとってとても新鮮な行為だった。
このアルバム制作ではさらに電子音の生成プロセスを前進させた。
僕はいわゆるコンピュータに内蔵してある既存のソフトシンセやシークエンスは一切使用しておらず、SuperColliderやMax/MSPなどのアルゴリズムを使って制作していた。
ちなみに現在もMIDIも使用せず、すべてオーディオ素材で構成している。
当時はものすごい集中力で毎日自分のアナログシンセサイザーを作っているような感覚でプログラミングのパッチや言語を書いていた。
これらのソフトウェアの最大の魅力は、やはり機械が音を出すこと、マシンと音の間に「人間」という仲介者が存在しないこと。
マシンが音を生成し、出力するのだから、インプロビゼーションが可能になる。
それは、人間が想像する以上の偶然性をサウンド・パフォーマンス表現に取り込めるかもしれない、ということだ。
連日の録音と編集、コンピュータでの電子音生成の作業を終えて、ついにアルバム『OK Bamboo』が完成した。
しかし、それと同時に息を引き取るようにコンピュータが大クラッシュしてしまった。
完成音源は幸いなことにバックアップができていて安心したが、その他のすべてが壊れてしまったのだ。
そこで僕は、コンピュータが壊れてしまったという、ネガティヴな要素をどうやって今の制作のレールへ活かせるのか、ということを考えていった。
何かを起こすとき、作るとき、には必ずといっていいほど、アクシデントやマイナスと思えるような出来事が存在する。
そんなネガティヴな事象を自分にとってのポジティヴなことへ。起こったことを受け入れること。
このような思考方法で自分の作品やパフォーマンスと向き合っていくようになったのは、この時期からだった。
では、実際にどう行動したのか。
クラッシュ前に大量に生成した電子音の素材をすべてサンプラーに入れ、その素材のみで音楽アルバムを作ろうと思い立ったのだ。
電子音が入ったサウンド・バンクをすべてサンプラーへ移行し、その中で音楽を作っていくことにした。
『OK Bamboo』制作で鍛えた視聴覚を共に研ぎ澄ますようなプロセスではなく、再び左右の耳のみを作って、シークエンスを組み立てていく。
そして、2週間かけて一気に完成させたアルバムが『HOORAY(ホーレイ)』。
自分のことながら、アルバム制作は、毎回新しい経験をさせてくれる。
こんなに早く、考えつきもしなかった方法で制作に没頭し完成にまで進むことができたこと、自分でも驚いた。
そんな電子音の集合体のようなアルバムがレーベル・PROGRESSIVE FOrMから発表出来るチャンスを得られたことも大変光栄なことだった。
どんなアクシデンタルなことが起こっても、柔軟に受け入れて、考えて、動いていく。2011年の今も変わりない。
音楽だけでなく、今を生きている普段の日常でも言えることだと思う。
『ミュージック トゥデイ アサヒ』
2011年7月18日 アサヒ・アートスクエア
撮影:後藤武浩(ゆかい)
蓮沼執太
