現役クリエイターが赤裸々に語る、創作の秘密。今回のゲストは、今井大介さんです。ブラックミュージックに造詣の深い今井さんが目指すクリエイティブとは、いかなるものなのでしょう?
AI、Hearts dales、Chemistry、鈴木雅之、中島美嘉、倖田來未など、錚々たるアーティストに楽曲を提供している今井大介さん。そんな彼は作家であると同時に現役アーティストであり、本格的に音楽ビジネスにも取り組むという、稀有なポジションに立っています。その立ち位置から見えてくるビジョンとは、どのようなものなのでしょう。インタビュー前編は、ビジネス面にフォーカスした形でお届けいたします。なおこのインタビューは、ミューズ音楽院で行なわれている無料セミナーシリーズ“作曲家リレートークvol.4”の模様を再構成したものです(イベント開催日:2013年11月9日)。
MIハリウッド校でつかんだチャンス
山口 まずは今井さんの経歴から伺いたいです。音楽に目覚めたのはいつごろですか?
今井 音楽を作り始めたのは、高校1年か中3のころで、ROLANDのD-5とTASCAMの4TR MTRを買って……。
山口 当時だとカセットMTRですよね?
今井 ええ。その後もカセット時代はずいぶん続いて、20歳でアメリカに留学して、その学校でコンピューターミュージックの学科を専攻して、Digital Performerを習うまではソフトウェアのDAWには触れていませんでした。
山口 高校は日本の高校だったのですか?
今井 そうですね。大学も日本の大学に入ったんですけど、2年で中退しちゃって(笑)。それで、アメリカのコミュニティカレッジに入学したんです。
山口 では、アーティストとしてのデビューのきっかけは?
今井 そのコミュニティカレッジのライバル校でもあるMusicians Institute Hollywoodでボーカルコースを取っていたときに、ジョーイ・カルボーンっていう現地のプロデューサーがいて、その彼が日本人の歌手を探していたんですけど、僕がおメガネにかなったんですね。それで彼とプロダクション契約をして、最初に手を挙げていただいたBMGアリスタ(ジャパン)からデビューすることになったんです。
山口 ジョーイ・カルボーンが日本人をプロデュースして日本でデビューさせたいと思っていて、アーティストを探していたわけですね。
今井 当時は宇多田ヒカルがバーンって売れて、MISIAも売れて、みんな「次は男だ!」と思っていた状況で。僕がR&Bの専門と言っても良いくらいR&B/ヒップホップ系なので、それでBMGと契約したという感じですね。ただ、各メーカーが同じことを考えていたから、2000年になったら、平井堅さんを始めとして、こぞって男性ボーカルがデビューしてしまった(笑)。
山口 ジャパニーズR&Bという言葉が広まった時代ですね。その中で、アーティストとしての今井大介の成績はどうでした?
今井 Fですね!
山口 Fということはないでしょう。僕は注目していましたよ。話題にもなっていました。
今井 でも、2年間でアルバム2枚の契約は、更新されませんでしたからね。
山口 ちょうど、レコード会社に、3年、5年掛けて、ヒットを出すという姿勢が無くなった頃かもしれませんね。
アーティストとしての気持ちは続いている
山口 では、そのまま自然にプロデュース業/作家業に移行していった感じですか?
今井 実は僕は、アーティストデビューと作家デビューが同じ日なんですよ。2000年の11月22日なんですけど、AIがRCAからデビューして、そのカップリング曲の詞曲編曲は僕なんです。で、その次もカップリングを書いている。
山口 それは珍しいパターンですね。同じBMGで、レーベルは違うけど、同じ日にアーティストと作家としてデビューしている。AIとは、アメリカに留学しているミュージシャン仲間ということだったのですか?
今井 「日本人ですごい女の子がいて、大介に紹介したい」という流れで、だから紹介ですよね。で、仲良くなって、彼女がBMG RCAと契約した。「すごいねー!」って言ってたら、3ヶ月後には僕もBMGアリスタと契約して、偶然にもデビューの日が一緒だったということですね。
山口 すごいストーリーですね! アーティストとしての経験は、プロデュース業や作家業をする上で役立っていますか?
今井 当時は一緒に歌っていた子ばっかりだったので、向こうも安心してくれましたね。AIをプロデュースしてても、倖田來未に書いてても、Crystal Kayにしても、もともとは一緒に地方をドサ周りしてた仲間ですから。今はもう、僕が歌手だと知らない子も多くなってはいますけど。
山口 アーティスト今井大介については、現状ではどういうスタンスで考えてらっしゃいます?
今井 3枚目のアルバムを2011年に出していて、だから「一応まだやっているよ!」っていう感じですね(笑)。で、今の仕事が順調に続けば、「また40歳になったらもう1枚出すんだ」とは思っています。やっぱりアーティストとしての気持ちは続いているし、自分の表現したいものを自分で歌うのが一番うまくいく。まあ、歌手っていうか、作り手として表現してくれるのが自分だから。それで、作り手という意識が強いんでしょうね。ただ、人前で歌ったりするのは面倒くさいかな(笑)。
山口 ライブはNGですか?(笑)。
今井 昼だったら良いですけど、僕らがやるとしたら夜中じゃないですか。いわゆる、クラブプロモーション。そうすると本番前に飲んじゃうから、もう全然歌いたくなくなっちゃう(笑)。
山口 プロモーションはしたくないけど、作りたいという気持ちはある。
今井 インタビューは好きですけどね(笑)。だから原盤は自分で作って、出してくれるところから出す。3枚目もそういう形だったので、次も自分で作って、どこか出してくれるところから出してもらうつもりです。
山口 ちなみにBMGの契約が終わったときは、どういうお気持ちだったのですか?
今井 それはショックでしたよ。1年半やめていた煙草を、その場で吸いましたから。それくらいショックでした(笑)。ただ、もうそのときにはマーチンさん(鈴木雅之)とか中島美嘉ちゃん、ケミストリーに曲を書いていたんで、「まあ、どうにかなるかな」って。実際、どうにかなりましたし(笑)。でも、「絶対に後悔させてやる!」くらいの気持ちはありましたよ。

今井大介氏(L)と、聞き手の山口哲一氏(R)
プロデュース軍団が一大ファミリーを作る感覚
山口 音楽ビジネスに関しても伺っておきたいのですが、2005年にはフォーミュラレコーディングスを立ち上げて、レーベル運営を始められていますね。
今井 フォーミュラレコーディングスは宮地大輔が社長で、今でも存在する会社なんですけど、僕は設立当初は副社長で、今は社外取締役です。実は2004〜2005年ごろに、作家でいることに飽きたというか、他のことをやりたくなったんですよ。ビジネス志向も強かったので、知人を通じて宮地大輔を紹介してもらって、意気投合して一緒に出資して、会社を作ったんです。
山口 宮地さんも作曲家ですよね。
今井 そうです。で、フォーミュラレコーディングスで目指していたのは、アーティストを自前で作って、出すということでした。ただ最初はライセンスが多くて、アメリカのバンガローレコーズと提携してK-Ci & JoJoのK-Ciとかパティ・ラベルを出したり。K-Ciは来日させたので、すごい感動したし、勉強にもなりました。そうこうする内に社長が映画とか韓国にハマりだしてきて、僕はそれがあんまり面白くなかったので、会社を出て、自分の個人会社を立ち上げた。それが今の会社、ワンオーシックスですね(2008年設立)。
山口 日本だとアーティストがビジネスを行なう場合に、あまり“切った張った”のところに出て行かない傾向があります。でも今井さんは、肩書だけの社長ではなく、当事者としてビジネスをしている感じが、遠くから見ていてもあるんですね。この辺は、ご自身ではどう思われています?
今井 それって黒人文化なんですよね。で、アメリカでもいまだにそれをやってるのって黒人しかいないんですよ、ほとんど。
山口 なるほど。よく分かります。
今井 ただそれも80年代にはなくて、アップタウンにいたパフ・ダディがクライブ・デイビスから20億円引っ張ってバッド・ボーイ・レコードを作って、自分も演者だけどプロデューサーでもあり……というところから始まって、どんどんフォロワーが出てきた。ジャーメイン・デュプリとか、今では帝王となったJay-Zとかがそうですよね。そうしたら、そのプロデュース軍団が一大ファミリーを作る。そういう感覚ですよね。これはアメリカの中でも、イタリア人と黒人にしかない文化ですけど。
作家事務所をやるつもりはない
山口 そういう文化を、今井さんは肌感覚として身に付けているわけですね。
今井 特に、アトランタのコーナボーイズっていうプロデューサーとそのクルーとは、すごく仲が良いですね。アトランタに行って、ティニーシャ・ケリーをプロデュースしてフィーチャリングした件で仲良くなったんですけど、そこが一番身近じゃないですか。
山口 僕もニューヨークの黒人ミュージシャンたちと仕事していた時期があります。ゴスペルのアルバムを作るので、普段はR&Bをやっているけど、日曜日は教会で演奏しているような人たちとレコーディングしました。黒人ミュージシャンのネットワークの感じっていうのは独特ですよね。生活の場というか、本来の意味でのコミュニティがベースにある。CDのクレジットに人の名前がいっぱい書いてある理由が理解できました。ファミリーで作っているから、コーヒーを入れるだけのヤツでも、「そりゃあクレジットするよね」っていうのを肌で感じましたね。
今井 僕は今、それをやろうとしているんですよ。だから、まずは会社をむやみに大きくしない。こういう時代なので、なるべくコンパクトにやる。例えば、アーティストが多少売れても、会社をどんどん構えたりはしません。日常のコストはなるべく削いで、スリムにして、原盤をメーカーに供給する。だから、メジャーデビューの意味をメーカーにも持たせるというか……。
山口 そうすると、アメリカ型にだいぶ近くなる。その場合、現状で一番の問題は何ですか?
今井 問題というか……作家事務所ではやっていけないし、僕は作家事務所をやるつもりはないというところですかね。もちろん、抱えている作家がコンペを通ればうれしいし、彼らにとっても自分にとっても良いことではあるけど、それをビジネスにするつもりは無いんです。その先にある、アーティストを抱えて、彼らを出すということを考えているわけで、そのための“自分のチーム”という意味で作家を抱えているんですね。それはなんでかと言えば、やっぱり出版を持っていないから。今の段階で作家事務所をやろうとしてもビジネスにはならないし、それだったら自分で書いてビジネスにした方が……ってなっちゃいますよね(笑)。
山口 アーティストがビジネスをやると“良いとこ取り”になって、周りが陰で苦労することも多いのがこれまでの日本の現状でした。今井さんみたいな考え方のアーティストプロデューサーには、本当に期待したいです。
(後編に続きます)
POSTSCRIPT by 山口哲一
初めて、ゆっくりお話しをさせてもらいました。勝手なイメージで、米国で育った帰国子女かハーフだと思っていたので、東京育ちと聞いて、少し驚きました。そんな風に思うほど、“本場感”があるアーティストです。
シンガーとしてもクリエイターとしても、ブラックミュージックがうわべだけは無く、深くしみ込んでいるし、ビジネスのとらえ方も、米国的なクレバーさと良い意味での割り切りを感じます。ミュージシャンシップとビジネスマインドを両立させているアーティストプロデューサーは、日本では珍しいので、今後の活躍に期待しています。次の時代を切り拓いていくために、一緒に何かやりたいです。
今井大介(いまい・だいすけ)
2000年デビューから、倖田來未、BENI、SMAP、遊助、AI、CHEMISTRY、東方神起など錚々たる50組を超えるアーティスト達に250曲以上の楽曲を提供。これまでにレコード大賞金賞、9個のゴールドディスク、13個のプラチナディスクを獲得してきたJ-R&B界のモンスターヒットプロデューサー。歌手としても活動し2011年5月、9年振りのアルバム『room106』をavexよりリリース、BENIをフィーチャーした『L.O.V.E』は数々の配信チャートで1位を獲得。2012年より制作チーム106Inc.を本格始動させ、日本のみならず世界での活躍が期待される。
山口哲一(やまぐち・のりかず)
1964 年東京生まれ。(株)バグ・コーポレーション代表取締役。『デジタルコンテンツ白書』(経産省監修)編集委員。プロ作曲家育成「山口ゼミ」主宰。j-Pad Girlsプロデューサー。SION、村上“ポンタ”秀一など の実力派アーティストをマネージメント。東京エスムジカ、ピストルバルブ、Sweet Vacationなどの個性的なアーティストをプロデューサーとして企画し、デビューさせる。プロデュースのテーマに、ソーシャルメディア活用、グローバ ルな視点、異業種コラボレーションの3つを掲げている。2011年頃から著作活動も始める。2011年4月に『ソーシャルネットワーク革命がみるみるわかる本』(ふくりゅうと共著/ダイヤモンド社)刊行。2012年9月に『ソーシャル時代に音楽を“売る”7つの戦略』(共著/小社)刊行。最新著作は2013年9月刊行の『世界を変える80年代生まれの起業家』(スペースシャワーブックス)。
『プロ直伝! 職業作曲家への道』の詳細はこちら(リットーミュージック)
『ソーシャル時代に音楽を“売る”7つの戦略』の詳細はこちら(リットーミュージック)