101歳のウクレレ・レジェンド、ビル・タピアが語る!(1)

インタビュー by 取材:ウクレレ・マガジン編集部/撮影:星野俊/通訳:金子みちる 2009年8月10日

101歳のビル・タピアが初となるジャパン・ツアーを敢行。呟くような味わい深い歌声とジャジィなウクレレ・プレイで、各地を大いに賑わせた。高齢にもかかわらず元気でおおらかな彼の姿と言葉をお届けします。

なんでこんなに元気なの!? というほど精力的なビルさん。都内某所で行なわれたインタビュー時も、じゃんじゃんしゃべってくれました。ありがたいお言葉なので、2回に分けてアップしていきますー。

第2回「うまく学ぶコツは、あまりたくさん覚え過ぎないこと」

 

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 —お目にかかれて光栄です! 私たちはウクレレ・マガジンだけでなく、アコースティック・ギター・マガジンも製作しているんですよ(見本誌を渡すと…)。

ワシはギターをずっと弾いていたんじゃ。ウクレレを始めたのは7歳だったが、15歳の頃にはすでにウクレレに飽きてしまって、持っていたウクレレをすべて人にあげちまった。それからは、ずっとビッグバンドでギターをプレイしていたんじゃよ。
でも、2001年に妻と娘を亡くし、ギターの演奏を一切やめた。そしてある日、孫息子のギターの修理のために楽器店を訪れたら、そこで誰かがウクレレを試し弾きしていて、”ワシもちょっと試してみたい”と言ったんだ。
久しぶりにウクレレを弾いてみたら、何かしっくりくるものがあった。この56年間、一度もウクレレに触っていなかったのにね。そうしてワシはウクレレを再び弾くようになり、あちこちでコンサートをやるようになった。だから逆に今ではもう7~8年ギターをプレイしていない。今はギターよりウクレレを弾いた方が稼げるんじゃよ(笑)。

—今はなぜウクレレがいいのでしょう? サウンドが好きとか、楽器が小さいとか、理由が何かあるのですか?

長いブランクがあったけど、再びちゃんと弾いてみると、ウクレレは最も素晴らしい楽器だと思えたんじゃ。というのも、小さいのでどこにでも持って行けるし、ピアノのように歌いながらコードを弾いたり、メロディを弾いたりするのに非常に適している。ウクレレは、ピアノやギターと同じくコードが山ほど弾けるんじゃ。実のところ2,000以上のコードがあるんだが、ワシはそれらのコードをすべて知っているよ。

—今でもウクレレを教えているんですよね?

ああ、いまだに週に22~24人の生徒を教えているよ。今は、教えるよりもコンサートをもっとたくさんやりたいと思っているが、教えることもやめたくない。というのも、ワシがやっているようなウクレレの弾き方をもっと人々に伝えたいんでね。
今はサンフランシスコの近くに住んでいるんだが、85歳頃はサンフランシスコ界隈で誰よりもたくさんの生徒を抱えていた。実際、当時は週に105人の生徒にプライベート・レッスンをしていたんじゃ。

—あなたがウクレレを始めた頃は、まさにウクレレという楽器自体が誕生したての頃でもありますが、どのように習得したのですか?

始めた当初は、ウクレレの弾き方はほとんど知らなかったのでレッスンを2回だけ受けたが、それ以外は他の人の演奏を見て覚えたよ。当時、近所にはハワイ人が大勢いて、ほとんど皆ウクレレかギターを弾いていた。だから何かわからないことがあると、まわりの人に聞いて覚えたのさ。
1918年の第一次世界大戦の頃、ワシはまだ10歳だったが、すでに最初に2回ウクレレのレッスンをしてくれた人に逆に教えるようになっていたよ(笑)。それにクラーク・ゲーブルを始め、シャーリー・テンプルとか、当時の映画スターにもウクレレを教えていたな。

—当時の映画スターは、なぜ皆ウクレレを習いたがったのですか?

彼らは始終パーティをやっていたので、そのパーティでお客を楽しませるために、よく2~3曲ウクレレを弾いて歌ったりしていたんじゃよ。そのためにウクレレを習いたかったんだ。プロのミュージシャンなるためでは決してなかった。

—ルイ・アームストロングなど、いろいろな方と共演したそうですが、どういう状況で一緒に演奏したんですか?

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若い頃からジャズが大好きで、金をすべてはたいてルイ・アームストロングのレコードを買い集め、それを聴いて彼みたいに演奏できるようになりたいと思っていた。そしてビッグバンドの一員としてロサンゼルスで演奏していた1931年に、ルイが近くで演奏する機会があり、ワシは休みをもらって彼を観に行った。何しろ彼はワシのアイドルだったからね。で、演奏を観たあと、ルイに握手を求め、”ハワイ出身のギタリストであなたの大ファンです。あなたのレコードを全部持っていて、どの曲も覚えました。もしよければ、1~2曲一緒に弾かせてもらえませんか?”と言った。ルイも最初は1~2曲だけ一緒に演奏するつもりだったんだけど、観客にウケたので、好きなだけ演奏してもいいと言ってくれてね。とても良い気分だったよ。
そういう感じでルイと友達になった。その後、昔の友達に会いにホノルルに帰った際、ちょうどルイとエルヴィス・プレスリーがホノルルに来ていて、その時はエルヴィスとも一緒に演奏したよ。他には、1936年にビング・クロスビーと一緒にレコーディングをしたり、とにかくいろいろな人と演奏した。

—当時、ウクレレ奏者で交流のあった人は?

若い頃アーネスト・カアイというウクレレ奏者と一緒にプレイしたことがあったが、当時彼は最も評判の高いウクレレ奏者だった。彼はイギリスを始め、世界中で演奏していたんじゃ。ツアーにワシを連れて行きたがっていたんだが、結局実現しなかったな。

—若いウクレレ・プレイヤーは誰かご存知ですか? 例えばジェイク・シマブクロとか?

ああ、知っているよ。4~5年前にサンタクルーズで一緒に演奏したことがあったが、その時ジェイクはジャズを習いたがっていたね。今では彼も何かしらジャズについて勉強したようで、そういったプレイもできるはずだ。ジェイクはとても素晴らしいプレイヤーだよ。ものすごく速く演奏できるから、皆、彼の演奏に惚れこんでいる。ワシも若い頃はそういった見せ場のあるプレイをしたり、ステージを飛びまわりながらプレイしたりしたものだったが、今ではもうできないね。

[続く]

第2回「うまく学ぶコツは、あまりたくさん覚え過ぎないこと」

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LYMANA BILL TAPIA MODEL

▲オアフ島のウクレレ製作家ライマン・アシカワがビルのために手がけたカスタム・モデル。
サイズはテナーで、0フレット仕様。ピックアップを内蔵しており、肩口にボリューム・コントロールが付けられている。
ビルはこの赤いフィニッシュのモデルとは別に、白いライマナも所有。

【プロフィール】 ビル・タピア
ハワイ・ホノルル出身。1908年1月生まれ、現在なんと 101歳。10歳からプロとして活動し、1930年代からはアメリカ西海岸で、ジャズ・ギタリストとして活躍。共演アーティストは、ルイ・アームストロン グやビング・クロスビー、キング・バニー・ナワヒなどなど、まさに生ける伝説。2006年にはドキュメンタリー映画『TO YOU SWEETHEART, ALOHA』が制作され、現在も現役ウクレレ・プレイヤーとして活躍中だ。


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左:『Duke of Uke』(輸入盤)
Moonroomレーベル/2005年2月8日発売

右:『Tropical Swing』(輸入盤)
Moonroomレーベル/2004年3月2日発売

 

 

 

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