【デヴィッド・ボウイ追悼】名曲「HEROES」の制作秘話

サンレコ・アーカイブス by サウンド&レコーディング・マガジン編集部 2016年1月12日

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2016年1月10日(日本時間11日)、デヴィッド・ボウイが18カ月のガン闘病の末、この世を去った。サウンド&レコーディング・マガジンではボウイの追悼として、本誌2003年8月号掲載、エンジニア/プロデューサーのトニー・ヴィスコンティがアルバム『ヒーローズ』(1977年)からタイトル曲「ヒーローズ」の制作秘話を語ったインタビューを再掲載する。ヴィスコンティとボウイは、1980年代に入ると別々の道を歩み始めるが、21世紀になってその関係性を復活。ヴィスコンティは、ボウイの遺作となってしまった最新作『★(ブラックスター)』でも共同プロデュースとエンジニアリングを務めている。

▼サウンド&レコーディング・マガジン2003年8月号T.R.A.C.K.S Vol.21「”HEROES”」DAVID BOWIEより
Report:Richard Buskin Translation:Peter Kato Photo Courtesy:Tony Visconti

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レコーディングの開始から完成まで、さまざまなアーティストのサウンド・プロダクションを追っていくこのコーナー。今月は、今からさかのぼること25年、デヴィッド・ボウイが1977年にリリースした『ヒーローズ』の中から、タイトル曲「ヒーローズ」をピックアップしよう。ロックとエレクトロニクスを見事融合させ、美しいボウイの世界を提示するかの名曲について、共同プロデュース/エンジニアリングを務めたトニー・ヴィスコンティに登場いただき、その制作過程を振り返ってもらった。あの特徴的なフィードバック・ノイズの制作方法や意外な詞のアイディアなど、同曲の制作秘話が今、明らかになる。

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▲1978年当時のショット。左からデヴィッド・ボウイ、トニー・ヴィスコンティ、アシスタント・エンジニアのエデュ・メーヤー。背後にはさまざまなテープ・マシンの姿も見える

 グラム・ロック全盛期に最も大きな影響力を及ぼしたプロデューサー/エンジニアと言えば、デヴィッド・ボウイやT.レックス(ティラノザウルス・レックス)の代表作を手掛けたトニー・ヴィスコンティで決まりだろう。バッドフィンガー、ストローブス、スパークス、ジョン・アンダーソン、ブームタウン・ラッツ、シン・リジィ、ザ・ムーディー・ブルース、ジョン・ハイアット、ブライアン・イーノ、リック・ウェイクマン、シーホーセズ……などなど、グラム系以外のアーティストの作品でも有名な人物である。

 ヴィスコンティは1960年代半ばにニューヨークでギタリストとしてキャリアをスタートさせた。当時、地元のクラブで頭角を現し始めた彼だが、1968年にジョージー・フェイムのレコーディング・セッションを終えると同時に、ロンドンへと活動拠点を移すことになる。ヴィスコンティのロンドン時代はその後2~3年間続くが、プロデューサー/エンジニアとしての活躍はここから始まったのだ。その初期のプロデュース作品は、1968年にリリースされたティラノザウルス・レックスの『ティラノザウルス・レックス登場!!』『神秘の覇者』や、1969年に発表されたデヴィッド・ボウイの『スペイス・オディティ』などのいわゆるグラム・ロック系のアルバムであった。T.レックスのマーク・ボランやデヴィッド・ボウイとのコラボレーションはその後も続き、ボランの『電気の武者』『ザ・スライダー』や、ボウイの『世界を売った男』『ダイアモンドの犬』、そしてベルリン三部作と呼ばれる『ロウ』『ヒーローズ』『ロジャー』(筆者注:厳密には『ロウ』はフランス・レコーディング)など、いずれもロック・クラシックスと呼ぶにふさわしい作品のプロデュースを次々と手掛けていく。

 とは言うものの、1980年代に『スケアリー・モンスターズ』をリリースしてから20年以上、ボウイとヴィスコンティは本格的なアルバム・プロジェクトで顔を合わせることはなかった。2人がコンビを再結成するのは2002年。アルバム『ヒーザン』のレコーディングにおいてである。復活した仕事仲間の間柄はその後も続いており、彼らは現在、ボウイの次作をスタジオで制作している。

 

In Berlin

 ボウイがアバンギャルド・ポップスの傑作と名高い『ステイション・トゥ・ステイション』をリリースした後、ベルリンへと活動拠点を移したのが1976年。コカイン中毒からの脱却、美術に対する関心の高まり、欧州表現主義への耽溺、シンセ・ベースを主体としたR&Bへの傾倒など、さまざまな変化がボウイの中で起き始めた時代でもある。

 こうした変化はボウイの作品にも当然現れた。例えば、1977年初頭にリリースされたアルバム『ロウ』。この作品は、ロキシー・ミュージックがボウイの前座を務めていたころからの知り合いとなるブライアン・イーノが、ボウイのプロジェクトに初参加しているが、ポップスとアバンギャルドを巧みに融合させた手法はイーノならではのもので、極めて実験的かつ影響力の大きなエレクトロニック・アルバムに仕上がっている。

 ボウイとイーノのコラボレーションは、次なるアルバム『ヒーローズ』でさらに大きく花開く。ボーカル曲とインスト曲を半々にフィーチャーするアプローチはそのままに、より過激なサウンドを分厚く重ねた仕上がりには、『ロウ』以上の斬新さが感じられる。ロバート・フリップがギターで参加し、作品に多大な貢献をした点も見逃せない。彼のギター・ワーク無しでは、あそこまで独特なサウンドは得られなかっただろう。一度聴いたら忘れられない、宙を漂うような雰囲気を持ったタイトル・トラック「ヒーローズ」が世界中で大ヒットしたのも、そうした斬新なサウンド・アプローチがあったためと考えられる。

 「デヴィッド・ボウイと一緒に仕事をする場合、スタジオだけの付き合いでは済まされない」とヴィスコンティが言う。「私生活すべてを捧げなければならないんだ。一緒に食事をし、ライブにも連れ立って行く。もちろんクラブ遊びなんかも一緒で、とにかく彼と共に周りの文化や風俗に浸らなければならないんだ。デヴィッドはいつもそうして自分の求める“何か”を探していた。それが彼の仕事のやり方なんだ。そうした意味で、当時のベルリンは彼にとって格好の街だったと言える。彼が当時求めていた“何か”がいかにも転がっていそうな雰囲気だったからね。昼は荒涼としてちょっと不気味な感じが漂っていたが、夜になると急に活気づく不思議な街だった。ナイト・ライフは実にエキサイティングだったよ。トルコ人街などエキゾチックな遊び場所もいっぱいあったし、そうした場所にタンジェリン・ドリームなど知り合いのアーティストがいつも群れていた。一緒に曲作りをしていたブライアン・イーノを含め、僕とデヴィッドはいつもつるんで行動していた」

 

Backing Tracks

 『ヒーローズ』制作に当たって、ボウイとイーノはベルリンのハンザ・スタジオでレコーディングに入る前から、曲のベーシックな枠組みを練り上げていたという。もちろん歌詞もメロディも付いていない単なる枠組みだが、「ヒーローズ」はその中でも、ほかよりしっかりした枠組みのものが進化した曲らしい。最終バージョンでは6分強の長さになっているが、レコーディングされた時点では約8分の大曲だったという。

 「平歌からさらに2つの平歌、そしてサビから大サビへと続く1セットがとても長い上、それを延々と繰り返しながらレコーディングしたためだ」とヴィスコンティが曲の長さについて振り返る。「曲の頭から4分くらい経ったところでようやくブリッジに突入するといった具合になってしまってね……。こういうレコーディングをした後は、大抵、編集で曲を短くしなければならなくなるんだ。そして当時の編集と言えば、カミソリの出番さ。当時のマルチトラック・テープの継ぎはぎ跡を見れば一目瞭然だが、この曲にはかなりの編集が施されている。「ヒーローズ」だけじゃない。このアルバムに収録された曲は、実際にレコーディングされた状態よりも短く編集されたものがほとんどだ。かなりの曲でオーバー・レコーディングをしてしまったからね。もっともそれが役に立ったこともある。例えば、あるテイクの後半部のサビの方が、前半部のサビより優秀だった場合などがそうで、そうした場合、ほかのレコーダーへ曲をマルチでコピーし、後半のサビ部分を前半部へ移したりした。もちろんPro Toolsなど存在しない時代のことだから、こうしたテープの継ぎはぎ作業にはそれなりのリスクが伴った。同じ箇所を何度も編集したりすれば、その部分のテープが傷んで使い物にならなくなってしまうんだ。同じ箇所ではせいぜい2回程度の編集がやっとだったと思う。ただし僕らは、思うような編集ができないのならその曲はボツにした方がマシだと考えていたから、編集はかなり大胆に進めた。リスクは承知していたが、それほどビビッていたわけでもなかったね」

 幾層にも重ねられたマルチレイヤー・リズムと、渋い低唱のような低域からヒステリカルな絶唱のような高域までを自在に操るボウイのボーカルにより、『ヒーローズ』はボウイの作品の中では“催眠効果の最も高い”作品になった。リスナーをいつの間にかその独特な世界に引きずり込むような魔力がこのアルバムには感じられるのだ。ギターのカルロス・アロマー、ベースのジョージ・マレー、ドラムスのデニス・デイヴィスといったバック・バンドの並外れた力量はもとより、本作ではボウイがピアノでオケ作りに参加したことで、さらに音の幅も広がっている。ちなみにこのバック・バンドの3人は、ベルリンに10日間ほど滞在しただけでレコーディングを済ませたという。当時のボウイのプロジェクトとしては普通のことだ。

 「デヴィッドはバッキング・トラックの演奏に加わるのが好きでね、いつも我を忘れて演奏していたよ」とヴィスコンティが説明する。「しかしバック・バンドはいつも1週間かそこらしかスタジオに居ない。カルロスだけは2~3日長く残ってギターのオーバーダブをしてもらったが、それでもせいぜい10日かそこらだった。「ヒーローズ」に関しては、バンドのライブ・テイクの上にオーバーダブを何回も重ねる作業を1週間ほど続け、曲を徐々に構築していった。このオーバーダブ作業では、ブライアンが持ち込んだEMS Synthi AKSというブリーフ・ケース型のシンセサイザーが大活躍した。ブライアンはその鍵盤部を使わず、代わりにジョイスティックや3基のオシレーター・バンクに1つずつ設けられたロータリー・ノブなどを使ってそれをコントロールしていた。ロータリー・ノブを使って、“ライブ・ダイアリング”なるリアルタイム操作を披露していたね。ブライアンは自分のことを“ノン・ミュージシャン”だと言ってはばからないんだ。パスポートの職業欄にそう書いて却下されたことがあるほど“ノン・ミュージシャン”であることにこだわっている(笑)。しかし、彼がアーティストであることに変わりはない。デヴィッドと同じく、とても斬新な思考回路を持ち、凡人とは全く異なる次元で物事をとらえるからだ」

 また、イーノと同様にロバート・フリップのギター・ワークもこの曲の斬新なサウンドに大きく貢献しているそうだ。

 「ベース・ラインと重なるギターや、サビ前のメロディ・ラインなど、バッキング・トラックでカルロスが奏でた旋律はいずれも美しさに満ちていた。そのバッキングを録ってわずか1週間後、オーバーダブ作業の開始と共に現れたロバートは、全く別のアプローチでバッキング・トラックに大きな手を加えた。ロバートとブライアンは以前からさまざまなプロジェクトで一緒に仕事をする仲で、ギターをSynthi AKSにつなぎ、ロバートがギターを弾きながらブライアンがSy
nthi AKSを操作するといったアプローチでコラボレーションを重ねていた。2人は「ヒーローズ」でも同じようなセッティングでオーバーダブ作業を進め、だれもがE-Bowを使ったと思うであろう独特のサウンドを作り上げた。あのサウンドは、ロバートがギターのボリューム・レベルとアンプ・スピーカーに対する自分の立ち位置を調整しながらフィードバックをコントロールして得たものなんだ。ギターとアンプ・スピーカーの距離をどの程度に保てば、欲しい音程のフィードバックが得られるかということを研究した上でね。例えば“Aの音ならスピーカーから1.2m離れた位置に立つ”とか“Gなら1m離れた位置に立つ”といったノウハウをちゃんと把握していたわけさ。ロバートはより確実なギターのフィードバック演奏をするため、ノート名を記した定規状の板を持ち込んでアンプ・スピーカーの前の床に置き、それを目安に立ち位置を変えていた。この方法で見事なまでにフィードバックをコントロールし、驚くほど高いレベルの演奏を披露してくれたんだ。ただし大音量で鳴り響く、まるで天から降り注ぐような美しいその旋律は、ロバートのギター・ワークだけによるものではないんだ。ブライアンのSynthi AKSによるエンベロープ操作や、フィルターの調整があったからこそのサウンドでもある。このロバートのギター・パートは、合計3テイク重ねてある。1つのテイクをそのまま使っただけでは、不自然な継ぎ目が生じてしまうからだ。バックに流れる、一度聴いたら忘れられないあの独特で滑らかな多層メロディと、ギターのフィルター・チェンジやフィードバックがそのままでは音同士がけんかしてしまうんだ。しかし3つのテイクを重ねるとそうした不自然さが消え、ギターがバックにスムーズに溶け込むような感じになった。CDで聴けるあのサウンドだ」

 

Recording And Mixing

 ミュージシャンたちがこうした作業をする間、ヴィスコンティはハンザ第2スタジオのNEVEコンソールに陣取ってレコーディングをフォローすると共に、刻々と進化するアレンジに対するコメントや、全体の方向性が正しいかなどといったプロデュース方面のアドバイスを行ったという。エンジニアリング的には、音量レベルが過激に変化する中、かなりヘビーなコンプレッションをかけなければならなかったらしい。また、より多くのトラックを使うために、24トラックに録った素材をピンポンしなければならない局面も多々あったという。

 「シンセのフィルター・スウィープをしているとき、特に中域ではそうなんだが、音量がかなり激しく変化する。15dBくらいは軽くね……」とヴィスコンティが説明する。「そんな調子だったんで、テープにきちんと録るためだけに、すべてのサウンドをコンプレッサーに通さなければならなかった。それと同時に、ピンポンを頻繁にしなければならなかった。例えば、「ヒーローズ」ではロバート用に3本のトラックを用意していたんだが、それでもいつ何時トラックが足りなくなるか分からないという心配から、3本のトラックに入った素材を2本にまとめるなどして、常に空きトラックを確保するよう配慮した。当時は使えるトラック数が今ほど豊富じゃなかったからね。限りあるトラックをいかに有効利用するかも大切な仕事だったんだ。ドラムに関しても同じで、最初は8~9本のトラックに録音したんだが、タムを2本にまとめるなどして6本のトラックにしている。「ヒーローズ」が徐々にスケールを増しながら発展していく曲であることは、最初の方の段階で気付いていた。だからこそピンポンやサブミックスはまめにやるよう心掛けていたんだ。数週間後に到達するであろうこの曲の最終形を頭に描きながら、1つ1つの素材のレコーディングの仕方を考え、サブミックスする。終始そんな具合だったね。かなり綱渡り的な作業であったことは確かだ。何せ一度サブミックスしてしまうと、元には戻れないからね。おかげでいつも“レベルはこれで合ってるだろうか?”“ギターのバランスは大丈夫だろうか?”と、そんな心配ばかりしていた。

 実はあの曲、最初はノリが悪かったんだ。リズムがもたついているような感じで、それを何とかミックスで修正しようとした。いろいろ試した結果、キックの音量を抑えると曲がエネルギッシュになることが分かったんで、その線で修正を加えてみた。通常ならキックはスネアと同程度の音量で前面に押し出すのがセオリーだ。しかしあの曲の場合、キックを抑えてベースを強調した方が、テンポに少なからず影響を与えている微妙な振動効果と相まって全体のノリがよくなり、エネルギッシュな感じになったんだ。キックがほとんど聴こえないようなミックスをすることは滅多に無いんだが、「ヒーローズ」はそうしたミックスを施した数少ない曲の1つとなった。キックを抑えるだけで、これだけ大きな変化が生じるとは思わなかったね」

 ヴィスコンティはレコーディングとミキシングの同時進行を当然のように行っていたようである。後戻りできない決定をそれぞれの段階で下し続けなければならないプレッシャーは相当なものだっただろう。しかし話を聞く限り、本人はそれを苦に感じたことはないようだ。
「とても楽しい作業方法だったよ。デヴィッドもそうした仕事の進め方が大好きだったしな……」とヴィスコンティが言う。「デヴィッドはよくこう言ってたよ。“一度決めたことを変更するのは嫌いだ”ってね」

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▲2001年に撮影されたヴィスコンティ&ボウイのショット


 

No Effects

 『ヒーローズ』のレコーディングが開始されてから約2週間半(アルバム制作期間の約1/3の期間)、ブライアン・イーノがプロジェクトから離れた。残された2人の共同プロデューサーは“次に何をすればいいか?”と自問自答した末、「ヒーローズ」の大サビで浮上するスタックス風のホーン・サウンドを入れることにした。そしてChamberlainという楽器のブラス・パッチ・サウンドに白羽の矢が立てられた。ChamberlainはMellotronの後継機的な存在で、ボウイもアルバム『ダイアモンドの犬』で使ったことのある楽器である。いささか安っぽいサウンドではあったが、当時としては人間が吹くサックスやトランペットの代替サウンドが鳴らせる数少ない楽器の1つだった。

 「トランペット・サウンドをイメージしてChamberlainを使ったのは確かだ。しかし実際のそのサウンドは、管楽器というよりはバイオリンのような音になっている」とヴィスコンティが認める。「それでも僕らはあのサウンドをとても気に入っていた。風変わりで面白いサウンドだったからね。“奇妙でいいじゃん、コレ”って感じで、デヴィッドも管楽器の音に似ていないことを全く問題にしていなかった」

 Chamberlainサウンドに対するこうした柔軟な姿勢からも分かる通り、ヴィスコンティとボウイの2人は、ほかにもさまざまな即興的判断を状況に応じて下している。例えばカウベルのサウンドだが、手元にカウベルが無かったため、急きょドイツ製のテープのリール缶をカウベル代わりにたたいたという。ハンザ・スタジオのラージ・ルームで、金属製のリール缶をドラム・スティックで形がなくなるまでたたきまくったのがあの曲で聴けるカウベル・サウンドなのだ。かなりエコーがかかったサウンドだが、人工的なリバーブ処理は一切施していないらしい。スタジオのナチュラル・リバーブだけであの音になったのだという。

 「テープのリール缶は、手で持ってたたいたからかなり痛かった」とヴィスコンティが当時を振り返る。「大型スタジオを使う場合、その部屋の音響特性を生かしたレコーディングをするように心掛けている。ちなみにハンザのラージ・ルームでたたいたリール缶のアンビエンス・サウンドはNEUMANN U87で録ったものだ。U87は僕にとって万能ナイフみたいなマイクロフォンでね。あらゆる機会に使っている。アンビエンスを録るのにマイクを2本使うこともあるが、トラック数に限りがあった当時、アンビエンス用に2トラックを使うのはかなりのぜいたくだったね。もし「ヒーローズ」を現在の5.1ch環境でレコーディングしていたとすれば、間違いなく後方スピーカーにアンビエント・チャンネルを割り当てただろう。ステレオでは再現できない部屋の大きさや空間的な広がりが、これでぐっと増す。話がそれたが、あのカウベル・サウンドはテープのリール缶をマイクから約5.1m離れた位置でたたいたサウンドだ。ちなみにタンバリンもマイクから同じくらい離れた位置でたたいている。これだけ離れれば、ルーム・サウンドも一緒に録れるからね。それにしても、ハンザのラージ・ルームのような部屋にはなかなかお目にかかれない。人工的なリバーブ処理を施さなくても、素晴らしいナチュラル・リバーブが得られるんだ、あの部屋は。パーカッション系のアンビエンス・サウンドはもちろん、ギター録りにもピッタリだった。マイクをアンプに近い位置にセットして録ると、とてもいい感じのサウンドが録れたんだ。さらにあのラージ・ルームは、エコー・チャンバーとしても十分使えた。コンソールのエフェクト・センドから送った信号を部屋に置いたスピーカーから鳴らし、そこにセットしたマイクロフォンで部屋のサウンドを録ってコンソールのエフェクト・リターンに戻せば、立派なエコー・システムになったんだ」

 『ヒーローズ』では、レコーディング時にエフェクターはあまり使われなかったようである。前作『ロウ』で、ヴィスコンティがボウイやイーノに“時間構造をガラッと変えっちまうんだ”と自慢しながらドラムにかけたEVENTIDEのハーモナイザーでさえ使われておらず、数曲のミキシング時に使われただけだという。「ヒーローズ」に至っては、一切使われていないそうだ。

 

Vocal Recording

 一方、作詞をするときのボウイはどのような感じだったのだろう?

「すごくピリピリしていた」とヴィスコンティが証言する。「歌詞については自分1人で責任を負わなきゃならないからね。周りの空気が変化するというか、プレッシャーを感じている様子がありありと分かった」

 実はヴィスコンティは、自分でも知らないうちに「ヒーローズ」の作詞作業に大きく貢献した上、歌詞の中にまで登場してしまったという。作詞がなかなか思うように進まないボウイから、“しばらく1人にしてほしい”との要望を受けたヴィスコンティは、バック・シンガーで恋人でもあったアントニア・マースと共にスタジオを抜け出し、近所にあるベルリンの壁に沿って散歩をしていた。2人は壁に沿った静かな場所に出ると、だれも見ていないと思ってキス・シーンを演じ始めたらしいのだが、それがたまたまスタジオの窓から外の景色を眺めていたボウイの目に留まったという。そう、“壁際でキスする恋人たち~”なる歌詞の一節は、この2人のキス・シーンから生まれたものなのだ。

「僕とアントニアは全く気付いていなかったんだが、デヴィッドからは丸見えだったらしく、その様子が壁際でキスする恋人たちとして歌詞に書き込まれてしまった」とヴィスコンティが告白する。「デヴィッドは、あの曲の歌詞を考えている間、ずっとハンザ・スタジオの窓から外を眺めていたらしい。数時間後、スタジオに戻って仕事の進み具合はどうかと尋ねると、デヴィッドは“ああ、終わったよ”と言っただけで僕らのことを歌詞にしたことなどおくびにも出さなかったが、デヴィッドのアシスタントのココ・シュワブが僕を部屋の隅に連れていってそっと教えてくれた。“君とアントニアが歌詞の中に出てくるよ”とね。実は当時、僕には妻が別に居たんで、“壁際でキスする恋人たち”が僕とアントニアだということは公にできなかった。しかし年月が経った今、やっと本当のことが話せるようになったんだ」

そんな逸話もある「ヒーローズ」だが、実際のボーカル録りに際して、ヴィスコンティとボウイはどのように作業を進めていったのだろうか?

 「マイクに向かって歌うボーカルと共に、ルーム・アンビエンスも一緒に録ったら面白いんじゃないかとデヴィッドに提案したんだ。デヴィッドもこの案に賛成してくれ、ボーカル録りには合計3本のマイクをセットした。とはいえ、そのときの空きトラックが2~3本しか残っておらず、またバッキング・ボーカル用にどうしてもトラックを1本確保しておく必要があったんで、3本のトラックにそのまま録音するというわけにはいかなかった。それどころかピンポンさえままならないような状況だった。本当はそれぞれのマイクにトラックを1本ずつ割り当て、大きな声で絶唱するときはルーム・アンビエンスを上げ、普通の状態のときはオンマイクのボーカルを上げるという感じでメリハリをつけたかったんだが、トラック数の都合でそれはできない。そこでどうしたかと言うと、デヴィッドが途中から絶唱することがあらかじめ分かっていたんで、デヴィッドの目の前にセットした第1マイクにかなりヘビーなコンプ処理を施す一方で、ルーム・アンビエンスを録る第2マイクと第3マイクにはゲートをかませ、3本をミックスしながら1本のトラックで録るという方法を試みた。細かいセッティングについては自分の勘だけが頼りといった前代未聞の作業で、デヴィッドもユニークな試みにワクワクしていた。何であれ、変わったアプローチ、特に前代未聞なんていう世界初の試みには異常なまでの関心を示す男だからね。僕もどうせならライブで録ってしまえと思ってね、ボーカルについてはこのセッティングで録った。たとえ途中でミスをしても、デヴィッドは同等のパフォーマンスを幾らでも再現できる優秀なシンガーだ。常に一定水準以上のパフォーマンスを披露し、それが彼と一緒に仕事をしていて楽なことの1つだ。正確な音程と情熱的な歌い方で、アリーナ・ステージの上で歌っているかのような素晴らしいパフォーマンスをいつも見せてくれる」

 このときのボーカル・マイクとして第1マイクにはNEUMANN U47を、またゲートをかませた第2、第3マイクにはU87が使用されたという。

 「第2マイクはデヴィッドから4.5mほど離れた位置に、第3マイクは部屋の隅にセットした。第2マイクと第3マイクにかけたゲートの設定は異なり、第2マイクの方が第3マイクより小さなレベルでオンになるよう設定され、第3マイクは絶唱に近いレベルにならないとオンにならないようになっていた。つまりデヴィッドの声の大きさに応じて第2、第3マイクがオンになり、ルーム・アンビエンスの割合が増えたり減ったりするという仕組みだ。だからボーカルにかかっているリバーブは部屋のナチュラル・リバーブを100%利用したもので、人工的なリバーブ処理は一切していない。おかげで最初の2つのサビのボーカルは、デヴィッドが目の前で歌っているかのようなドライな感じに仕上がった。あんな大きな部屋で録ったボーカルとは思えない、輪郭のハッキリとしたサウンドだ。しかしデヴィッドの歌声が大きくなると共に、ボーカルの空間的な広がりも大きくなっていく……。僕のアイディアは見事に成功したというわけさ。レコードに使ったのは、確か3番目に録ったテイクだと思う。そしていいテイクが録れた瞬間、そこでボーカル録りを終えることにした。全力を傾けて歌っていたデヴィッドが、くたくたに疲れてしまっていたからだ。そうでなくても、あの曲はかなりエモーショナルな歌だ。作詞にも相当苦労していた。歌詞の完成と共に、そのままボーカルのレコーディングに入ったという経緯もある。仕事に邁進するデヴィッドを止められる者はだれもいないんだよ。その後、音程が狂っていた数ノートをパンチ・インで手直ししたが、ほぼ完璧な出来だったね」

 さらにヴィスコンティは、このときのボウイの神懸り的な集中力についてこう続ける。

 「繰り返すが、ボーカル録りは歌詞が完成してすぐに行われた。それなのにボーカル録りが終わると共に、デヴィッドは“じゃあバック・ボーカルを録ろうか”と言い出したんだ。デヴィッドは僕を何でも屋みたいに考えていてね、ギター・パートをやりたいときにギタリストが居なけりゃ僕にギターを弾かせるし、同じことはベース、キーボード、そしてバック・ボーカルに関しても言えた。そのときだって例外じゃない。結局、僕はデヴィッドと共にあのアルバムの2曲ほどでバック・ボーカルを歌った。僕のことはどうでもいいとしても、驚くべきはデヴィッドの集中力とスタミナだ。何せ、作詞を書き、リード・ボーカルを録り、そしてバック・ボーカルのレコーディングまで約5時間ですべてこなしてしまったんだからね。さすがのデヴィッドでも、こうしたことは滅多に無い。その後、仕事で一緒になったほかのバンドにこのときのデヴィッドの仕事ぶりを話すこともあったが、ライバル心を燃やして同じことをやろうとする者が続発してしまったんで、控えるようになったよ(笑)。スタジオで歌詞を完成させたその足でボーカル録りに入り、たった数テイクで素晴らしいパフォーマンスを残せるような人間はそんなに居ないんだよ。デヴィッドは、地球上でそれができる数少ない人間の1人なんだ」

 
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(初出:サウンド&レコーディング・マガジン2003年8月号
 

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