第19回 ブライアン・イーノ―環境に溶け込む音と服

音楽家は服を着る by 青野賢一 2014年5月26日

ロキシー・ミュージックの一員としてデビューして以来、常に革新的なアプローチの表現活動を行っているブライアン・イーノ。カール・ハイドとの共同名義による最新アルバム『Someday World』も話題のイーノの音楽とファッションの関係について、「アンビエント」をキーワードに考えてみた。

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今でこそ一般的に使われる「アンビエント・ミュージック」という概念は、実は登場からまだ半世紀にも満たない。このアンビエント・ミュージックを提唱したのがブライアン・イーノである。

『Discreet Music』(1975年)に始まり、『Ambient 1 Music For Airport』(1978年)『Ambient 2 The Plateaux Mirror』『Ambient 3 Day Of Radiance』(ともに1980年)そして『Ambient 4 On Land』(1982年)のいわゆるアンビエント4部作で、アンビエント・ミュージック(当時、日本では環境音楽と呼ばれていた)の在り方を決定づけたブライアン・イーノは、これ以前は初期ロキシー・ミュージックに在籍していたことでも知られている。

1948年、イングランドはサフォーク州に生まれたブライアン・イーノは、美学校在学中に音楽活動を開始。ロキシー・ミュージックには、友人であったサックス&オーボエ奏者アンディ・マッケイに誘われるかたちで参加することとなった。1971年のことである。
イーノが在籍していたのは、ここから1973年まで。アルバムで言うと『Roxy Music』(1971年)、『For Your Pleasure』(1973年)の2枚だけである。この頃のライブ映像の幾つかはYouTubeなどで観ることができるが、グラム・ロックがシーンを席巻していたこの時代にあって、イーノの中性的でセンシュアルな佇まい(よく背中に羽根をつけていた!)はひと際目を惹く。当時はまだまだ珍しかったであろうシンセサイザーの電子音にも耳を奪われたに違いない。

ロキシー・ミュージック在籍時に、ロバート・フリップ(キング・クリムゾン)との傑作エクスペリメンタル作品『(No Pussyfooting)』(1973年)をリリースしたイーノは、脱退後の1973年、最初のソロ・アルバム『Here Come The Warm Jets』を発表。これは一聴するとロキシーの延長線上にあるようなグラム色の濃い内容であるが、メロディ、響き、音響処理はロキシーのそれとはまったく異なる、より実験的な要素の強いロックアルバムと言えるだろう。翌年にはジョン・ケイル(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)、ニコ、ケヴィン・エアーズ(ソフト・マシーン)との共作『June 1, 1974』、ソロ二作目となる『Taking Tiger Mountain (By Strategy)』をリリースした。

1975年は、後のイーノを考える上で重要な年だ。まず冒頭に記した『Discreet Music』。タイトル通り控えめな、それまでのロックの文脈とは全く異なるアプローチの音楽を提示したこのアンビエント・アルバムは、イーノ自身が設立したレーベル「Obscure」から発売された。このレーベルからは、ギャビン・ブライヤーズ、ジョン・ケージ、マイケル・ナイマンといった現代音楽家の作品をリリースしており、『Discreet Music』のB面には「パッヘルベルのカノン」が収録されている(極端にピッチを遅くしたり、楽器によって音の長さを変えたりして本来楽曲を成り立たせている関係性を壊しているが)のだが、いわゆるポピュラー・ミュージック外の音楽をポピュラー・ミュージック足らしめるような取り組みは、たとえば後にジョン・ハッセルやデヴィッド・バーンと共に行うことになる民族音楽との接触とも相通ずるものがあると言えるだろう。

同じ年、『Discreet Music』にやや先んじてもう一枚自身のソロ名義でリリースされたアルバムがある。『Another Green World』がそれである。一般的なポップスの展開を破棄し、ワンフレーズのリフに様々な楽器や歌、コーラスが配置される「Sky Saw」に始まり、エリック・サティを思わせる旋律のインスト曲「Spirits Drifting」で幕を閉じる本作は、アンビエント期との橋渡し的な作品として高く評価されているが、どこか牧歌的なメロディを音響的な実験精神で描き上げた「デッサン」のようなイメージのアルバムとも言えそうだ。デヴィッド・ボウイがこの『Another Green World』に触発され、イーノを招いて「ベルリン三部作」を制作したのはよく知られた話である。

ブライアン・イーノのキャリアを詳細に追っていこうとすると、膨大な文字数を費やしてしまうことになるので、以降、やや駆け足で記すと、1977年ソロアルバム『Before And After Science』をリリース。翌年『Music For Films』、そしてアンビエント・シリーズの一作目『Ambient 1 Music For Airport』を発表する。

70年代後半からはプロデュースワークも増え、ディーヴォ、トーキング・ヘッズ、U2といった面々のアルバム制作を行っている。80年代中盤から90年にかけては若干のブランクはあるものの、90年代以降はコンスタントにアルバムを発表。近年では『Before And After Science』から約28年ぶりとなるボーカル・アルバム『Another Day On Earth』(2005年)や、『My Life In The Bush Of Ghosts』(1981年)以来久々にデヴィッド・バーンとタッグを組んだ『Everything That Happens Will Happen Today』(2008年)、そして最新作となるカール・ハイドとの『Someday World』まで、衰えのないクリエイティヴィティを発揮している。

70年代のイーノは、先にも述べた通り奇抜なファッションでも注目を集めていたが(ロキシー時代はブライアン・フェリーよりも)、アンビエント・ミュージックに傾倒してゆくにつれて、ファッションは落ち着いた、より普通なものへと変化していった。
そもそもアンビエント・ミュージックという概念の発見は、イーノが交通事故に遭い、ベッドから動けなかったときの出来事に起因する。友人が持参してくれたレコードをどうにかこうにか苦労してレコードプレイヤーに載せ、鳴らしたが、アンプのボリュームが小さく絞られていたので、聴こえるか聴こえないかというような状況が生じた。起き上がってボリュームを上げるのも難儀だったので、ごく小さな音のまま、その音楽は流れ続けた。こうした出来事の後に作られたのが、ちゃんと聴くこともできるし無視することもできる、環境音のような『Discreet Music』であるわけだが、これを研ぎ澄ませてゆくなかで、ファッションも「無視することもできる」ような、普通で地味なものに移っていくのがおもしろい。

妙なニューエイジ思想にはまらず、むしろテクノロジーによる人間の機能拡張に注目し(それはマーシャル・マクルーハンからの影響も大きい)、創作活動に取り組んできたイーノの現在の姿は、ミュージシャンと言うよりはどこかIT企業の偉い人のようにも見える。奇を衒(てら)ったものでなく、ごく普通、でも粗悪でないきちんとしたものを、これまたあまり特徴がないように着こなすイーノを見るにつけ、昨今ファッションシーンでよく聞かれる「ノームコア」(究極の普通)とはこういうことではないかと思うのだが、いかがだろうか。

青野賢一

青野賢一

BEAMS クリエイティブディレクター
BEAMS RECORDS ディレクター
1968年東京生まれ。明治学院大学在学中にアルバイトとしてBEAMSに入社。卒業後社員となり、販売職を経てプレス職に。〈BEAMS RECORDS〉立ち上げや、ウェブ・スーパーバイザー兼務などの後、2010年より個人のソフト力を活かす、社長直轄部署「ビームス創造研究所」所属。執筆、編集、選曲、DJ、イベントや展示の企画運営、大学での講義など、BEAMSの外での活動を行う。著書に『迷宮行き』(天然文庫/BCCKS)がある。



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