第24回 ビング・クロスビー―アメリカ黄金時代の体現者

音楽家は服を着る by 青野賢一 2014年12月26日

アメリカのポピュラーカルチャーのなかでも最も成功した人物のひとり、ビング・クロスビー。彼の音楽が作り出したイメージを考察しながら、戦争を経て豊かな国へと発展していったアメリカの文化からの影響を振り返ってみたい。

極私的な話から始めてしまい恐縮だが、私にとってのアメリカは、1960年代あたりのイメージが支配的である。これは、子供時代に観たアメリカ産TVドラマの影響だ。『奥様は魔女(原題:Bewitched)』『ニューヨーク・パパ(原題:Family Affair)』などの劇中に見られる暮らし方は、子供だった私の目にも実に華やかに映ったものだ。家の広さ、間取り、家具や調度品、そしてそこで繰り広げられる食事のシーンや大人が寛ぎながらアルコールを飲むシーンなどは、十分憧れに値するものだった。

これらのTVドラマは音楽からも豊かさが感じられた。ビッグバンド・スタイルによるラウンジ・ジャズ、オーケストラ編成であるが重厚なクラシックではなく軽やかさのある劇伴などは、映像を補って余りある効果を発揮していたのである。私が観ていたのは1970年代の前半から終わりにかけて、つまり再放送なのだが、時代遅れな印象はなく、先に述べた豊かな暮らし方という側面が強くインプットされることとなった。だからだろうか、こうした音楽を今聴いても、どこか満たされた贅沢な心持ちになるのである。

第二次世界大戦後から1960年代いっぱいあたりまでは、アメリカ資本主義の黄金期といわれている。大量生産・大量消費が大衆に浸透し、メディアは消費を煽った(『奥様は魔女』のダーリンが広告代理店勤務なのは象徴的である)。ベトナム戦争、移民問題、公民権運動など、国内の情勢は決して順風満帆とはいかなかったが、中産階級は消費社会のただ中に身を置き、豊かなアメリカを謳歌していたのだ。そうした時代の空気は、TVドラマや音楽といったポピュラーカルチャーにも反映されていたのだろう(いうまでもなくプロテストソングとしてのフォーク、そしてロックンロールは時代の空気へのユースカルチャー側からのアンチテーゼである)。

ビング・クロスビーは1903年、アメリカ・ワシントン州に生まれた。大学の頃からジャズ・バンドを結成し、1926年にはポール・ホワイトマン楽団に歌手として入団。1931年の「アイ・サレンダー・ディア」のヒットにより、ソロ・シンガーとしての本格的なキャリアをスタートさせることとなる。戦前から戦後の時代の移り変わりを身を以て体験してきたビング・クロスビーだが、ひときわ知られているのが「ホワイト・クリスマス」をはじめとするクリスマス・ソングだろう。フレッド・アステアとビング・クロスビーが共演した1942年の映画『スイング・ホテル(原題:Holiday Inn)』のなかで歌われたこの曲は、SP盤が発売されると人気に火がつき、結果ビルボード・ポップチャートのトップに11週にわたって留まり続けたのみならず、シングル盤の再発が功を奏し、後年のクリスマスシーズンにもトップの座に輝いている。

この「ホワイト・クリスマス」、オーケストラ・サウンドがドリーミーなムードを表現する一方、クロスビーの歌唱はやや憂いを帯びた調子で進む。「ホワイト・クリスマス」には、素敵なクリスマスを夢想する戦時中の人々の気分が実によく表されているのではないだろうか。子供の頃にこの曲を聴いた私は、当然ながら歌詞は理解出来ず、その音の響きに煌びやかな印象を持った。そうして前述のアメリカ産のTVドラマとも混じり合い、1960年代あたりの豊かなアメリカのイメージ(実際には「ホワイト・クリスマス」は異なる年代なのだが)を形作ることとなったのである。

映画俳優としても、ボーカリストとしても、ビング・クロスビーのファッションは端正にタイドアップしたスーツ、ジャケット姿が思い浮かぶ。とりわけ1950年代後半から1960年代の細いラペルのジャケットに細身のタイというスタイルは私好みだ。こうしたスタイルはこの時代の流行であったのだが(『奥様は魔女』のダーリンのファッションは典型的な1960年代スタイル)、ビング・クロスビーはリーバイス®のジーンズも愛用していた。友人とカナダへハンティング旅行に出たクロスビーは、バンクーバーのホテルでその汚れた身なりからチェックインを断られた(このとき、デニムの上下を着ていたという説もある)。当時、すでに有名だったクロスビーだが、着ているもので判断されたのである(従業員の一部が気付いて無事宿泊出来たという話も)。そのことを聞いたリーバイス社が、デニム素材のタキシードジャケットを作り、1951年、ビング・クロスビーに贈呈したそうだ。このジャケットは6つボタンのダブルブレストで、タキシードジャケットよろしくデニムの裏面をシルクの拝絹に見立て、フラワーホール部分にはレッドタブをリベットでまとめたブートニエール調の装飾がつき、胸ポケットにはバンダナがポケットスクエア代わりに入れられているものだ。2014年春「リーバイス®ビンテージクロージング」がこのジャケットをリプロダクションしたので、そちらをご覧になったという方もおられるのではないだろうか。

リーバイス®ビンテージクロージングがリプロダクションしたビング・クロスビー - デニムタキシード
リーバイス®ビンテージクロージングがリプロダクションしたビング・クロスビー -デニムタキシード

 

1951年というとマーロン・ブランドの『あばれもの』(1953年)、ジェームス・ディーンの『理由なき反抗』(1955年)に先んじること数年。まだまだジーンズは大人が街で穿くべきものではなかった時代であるわけだが、ワークウエアとしては着用されていた。ビング・クロスビーはハンティングなどのアウトドア・スポーツを嗜んでいて、そうした場面でリーバイス®のジーンズを愛用していたのである。このような余暇の充実は、戦後のアメリカらしい動向だといえるだろう。

ずいぶんと話が逸れてしまったが、ビング・クロスビーの楽曲、ファッションからは、冒頭に記したアメリカのTVドラマ諸作と同様にアメリカの黄金時代のムードが漂ってくる。ドリーミーで華やかなイメージからか、年末の賑やかな雰囲気にも実にしっくりくると思うのだがいかがだろうか。いつもよりドレスアップして食事に行くという口実も作りやすいこの季節、お出かけ前に豊かな気分を盛り上げるため、クロスビーの曲を聴くのもいいかもしれない。

どうぞ素敵な年末年始を。

 

青野賢一

青野賢一

BEAMS クリエイティブディレクター
BEAMS RECORDS ディレクター
1968年東京生まれ。明治学院大学在学中にアルバイトとしてBEAMSに入社。卒業後社員となり、販売職を経てプレス職に。〈BEAMS RECORDS〉立ち上げや、ウェブ・スーパーバイザー兼務などの後、2010年より個人のソフト力を活かす、社長直轄部署「ビームス創造研究所」所属。執筆、編集、選曲、DJ、イベントや展示の企画運営、大学での講義など、BEAMSの外での活動を行う。著書に『迷宮行き』(天然文庫/BCCKS)がある。



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