第22回 ドナルド・フェイゲン―魔法のようにラジオに入り込んだもうひとりのわたし

音楽家は服を着る by 青野賢一 2014年9月22日

1982年にリリースされた『ナイトフライ』は、発売から30年以上が経過してもなお、わたし達にとって魅力的であり続けている。このアルバムのアートワークとコンセプトを中心に、ドナルド・フェイゲンの精密な世界を覗いてみよう。

 

Donaldfagen

秋の到来は、日中、晴れた空に浮かぶ雲の様子からももちろん窺い知ることは出来るが、そのことをより実感させられるのは、夜、それも深夜ではないだろうか。夏の夜のざわついた空気感は、落ち着かないまま早々に太陽を引き連れて幕引きとなる一方、秋の深夜はしっとりとした質感でわたし達をたっぷりと抱きとめてくれる。秋の夜長とはよく言ったものである。

この季節になると、我が家のターンテーブルにはドナルド・フェイゲン『ナイトフライ』が載る機会が増える(むろん、深夜に)。アルバムの冒頭を飾る「I.G.Y.」のシンセサイザーによる裏打ちが印象的なイントロの肌触りは、実に秋の夜に相応しいし、何より午前4時9分時点でまだ夜が留まっているということが大切なのである。

『ナイトフライ』のリリースは1982年だが、そこに至るまでの道のりを簡単に振り返ると、ニューヨークのバード・カレッジ在学中からの友人であるウォルター・ベッカーとのグループ、スティーリー・ダンとしてのファーストアルバム『キャント・バイ・ア・スリル』の発売が1972年。このアルバムからシングルカットされた「ドゥ・イット・アゲイン」は全米で6位を記録するヒットとなった。1977年のアルバム『彩(エイジャ)』では、ウェイン・ショーター、スティーヴ・ガッド、リー・リトナー、チャック・レイニー、ラリー・カールトン、トム・スコットといったジャズ~クロスオーヴァー文脈のミュージシャンが顔を揃え、緻密、それでいてポピュラーミュージックとしての聴きやすさを兼ね備えた音楽を具現化した。このアルバムは初年度で300万枚以上を売り、ビルボードチャートでは全米3位まで上り詰めたスティーリー・ダン最大のヒット作として知られている。

そうした成功を手に入れた『彩(エイジャ)』の次のアルバム『ガウチョ』(1980年)は、ウォルター・ベッカーの薬物依存、様々なトラブル、新たなテクノロジーへの戸惑い、そして前作を越えるものを作らねばならないプレッシャーなどの要因が絡み合い、制作に2年もの歳月(と途方もないコスト)が費やされた。この『ガウチョ』を以て、スティーリー・ダンは長い活動休止期間に突入することとなる。

スティーリー・ダンの活動休止後に制作されたドナルド・フェイゲン初のソロアルバムが『ナイトフライ』だ。このレコードのインナースリーヴには、こう書かれている。

The Songs on this album represent certain fantasies that might have been entertained by a young man growing up in the remote suburbs of northeastern city during the late fifties and early sixties, i. e., one of my general height, weight and build.

要約すると「このアルバムの楽曲は、1950年代後半から60年代のはじめ、アメリカ北東部の街の辺鄙な郊外で育ったある若者――言うなればわたしのような一般的な背格好の若者が抱いたであろうあのファンタジーを表している」といったところだろうか。様々な評論でも取り上げられている有名なテキストであり、「わたしのような」とは言いながらも、少年時代のドナルド・フェイゲン自身の空想を表現した自伝的な性格を持つアルバムであるということも各所で記されている。

ドナルド・フェイゲンよりも20歳年下であるわたしが子供の頃に思い描いた(というか、本やTV、映画といったメディアを通じて想像した)未来像が、テクノロジーの進化だけでなく大気汚染、公害、人口過密といった諸問題をも孕んでいたのと同様に、フェイゲンが考えたファンタジー=未来像も決して明るいだけのものではなかった。フェイゲンがニュージャージー州ケンドールパークに転居したのが1958年。米ソの冷戦構造が核兵器と宇宙開発という技術の進歩を互いの牽制材料として持ち出したのがちょうどこの時代である。薔薇色の未来を約束するはずのテクノロジーが、実は第三次世界大戦(これはSF作品の主要なモチーフのひとつでもある)を引き起こし、世界を終わらせる可能性もあるアンビヴァレントなものだということが明らかになった。1962年にはキューバ危機。ケネディ政権下におけるベトナム戦争への積極介入もこうした時期に重なる。そうした時代に少年期を過ごして今や大人になったフェイゲンが、少年時代に想像した未来を語るという、実に捻れた構造が『ナイトフライ』を特別なものにしているのは言うまでもないだろう。

『ナイトフライ』のサウンド面に関しては、冨田恵一氏の労作『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』(DU BOOKS)に詳しいが、簡単に言うとジャズのエッセンス(ジャジーな、といった雰囲気の話ではなく音の響き、コード感)を偏執狂的な緻密さと当時のテクノロジーの力でポップスとして表現した、というところだろうか。大幅なシンセサイザーの導入、レコーディングエンジニア、ロジャー・ニコルズ制作のサンプリングマシン“Wendel Ⅱ”を駆使した生ドラムのループといった80年代前半における進歩した技術と、名うてのミュージシャンの演奏センスの共存、と書くとまるでYMOのようであるが、ジャズそしてブルースを根底に持つフェイゲンのアウトプットはやはりどこかしっとりとした質感を保っているのである。

「ニューヨークのジャズクラブに通いはじめたのは12、3歳のころのことで、最初はマイクとジャックという年上のいとこがいっしょだったが、その後、ひとりで行くようになった」(ドナルド・フェイゲン著、奥田祐士訳、DU BOOKS刊『ヒップの極意』所収「クラブにて」より)。

「それを聞いたことがきっかけで、わたしはもっとジャズや、ジャズ的な生活の音楽以外の所産について知りたいと思うようになった。マンハッタンから放送される深夜のジャズDJを聞き、トップ・プレイヤーのライヴ写真が満載されていた『ダウンビート』誌を定期購読した」(同「ヘンリー・マンシーニのデラックスな無規範状態」より)。

後に引用した文の「それ」は、TVの『ピーターガン』シリーズとそのスピンオフ番組『ついてる男(ミスター・ラッキー)』の音楽を集めたヘンリー・マンシーニのアルバムのことで、フェイゲンは彼の音楽がモダンジャズへの入り口となったと述べている。このように若い頃(というか少年の頃)からジャズへの傾倒を見せていたフェイゲンだが、上の引用部分で注目したいのは「深夜のジャズDJ」という箇所だ。これを念頭に置いて、『ナイトフライ』のジャケットの話に移ろう。

右手には“チェスターフィールド・キング”。左手でリボンマイクをたぐり寄せ今にも語り始めようとするDJ=レスター・ザ・ナイトフライの前に置かれたターンテーブルにはソニー・ロリンズ『コンテンポラリー・リーダーズ』(1959年)が載る。先に引いた『ヒップの極意』の中でフェイゲンは、自身が扮する『ナイトフライ』のジャケットのキャラクターは特定のジャズDJがモデルだったわけではないが、実在したラジオパーソナリティの要素を幾つかミックスしたものだと言っている。フェイゲンが一番贔屓にしていたWEVDのオールナイトDJ、モート・フェガや、WADOのDJ ”シンフォニー・シド” トーリン、WORのジーン・シェパードなど、まさしく『ナイトフライ』のストーリーの時代、すなわち1950年代後半から60年代のはじめにフェイゲンが聴きまくっていたラジオのDJのイメージをサンプリングして作られたのがレスター・ザ・ナイトフライというわけである。「彼はまちがいなく大人だったが、にもかかわらずわたしに語りかけていた――つまり、12歳の感性を持ったまま、25年余計に人生経験を積んだもうひとりのわたしが、魔法のようにラジオに入りこんで、腰を下ろし、ネクタイをゆるめて、直に語りかけているような感じだったわけだ」(『ヒップの極意』所収「わたしはジーン・シェパードのスパイだった」より)。これはジーン・シェパードのトークを表したフェイゲンのことばであるが、先に述べた「大人になったフェイゲンが、少年時代に想像した未来を語る」という捻れた設定をずばり表現している。『ナイトフライ』の裏ジャケットを見るとランチスタイルの住宅の二階の窓だけがぼんやりと光を放っている。この部屋で少年ドナルド・フェイゲンがラジオにかじりついているのである。

『ナイトフライ』のジャケットはスタイリングも完璧だ。いかにもアメリカ製らしい、オックスフォード地と思われるボタンダウンシャツに小紋柄のタイ。おそらくスーツを着ていて上着を脱いだのだろう。全体的な雰囲気は例えばノーマン・ロックウェルのいわゆる「家族の肖像」シリーズのそれを想像してもらえれば分かりやすいかと思う。サウンドや歌詞の驚異的な緻密さと同様、こうしたスタイリングや撮影小道具まで抜かりないのがドナルド・フェイゲンなのである。

作り込んだビジュアルは、ともすればコスプレとなってしまう可能性を秘めているわけだが、そうならないのは、着ているものがベーシックでスタンダードなアイテムだからに他ならない。マイクやターンテーブルからはヴィンテージ感が漂い、ファッションも50年代後半のムードを踏襲しているにもかかわらず、着用アイテムがベーシックなもので構成されていることから、古めかしいイメージではなくタイムレスな魅力を放っているのである。

スティーリー・ダンの活動期の中心であった1970年代は、長髪にジーンズという当時の若者の典型的なファッションだったドナルド・フェイゲンは、1982年の『ナイトフライ』でこざっぱりとした佇まいへと変わる。現在は黒を基調とした控えめなスタイルを好んで着ているようだが、『ヒップの極意』にはファッション好きなら思わずにやりとしてしまうような箇所も見つけることが出来るので、フェイゲンも結構なファッション好きなのではと踏んでいるがいかがだろうか。

なお、『ナイトフライ』に関しては、先に挙げた冨田恵一氏の著書の他、ウェブマガジン『モダンファート』の細馬宏通氏の連載「うたのしくみSeason2」第5回でも取り上げており、秀逸な歌詞とコーラスの分析を行っている。またウェブマガジン『CONTRAST MAG.』でファッションブランド〈Yuge(ユージュ)〉のデザイナー弓削匠氏(彼はことばの意味通りのナイトフライ・フリークである)が『ナイトフライ』への愛情を余すところなく綴っているテキストも興味がある方は読んでいただければと思う。

 

青野賢一

青野賢一

BEAMS クリエイティブディレクター
BEAMS RECORDS ディレクター
1968年東京生まれ。明治学院大学在学中にアルバイトとしてBEAMSに入社。卒業後社員となり、販売職を経てプレス職に。〈BEAMS RECORDS〉立ち上げや、ウェブ・スーパーバイザー兼務などの後、2010年より個人のソフト力を活かす、社長直轄部署「ビームス創造研究所」所属。執筆、編集、選曲、DJ、イベントや展示の企画運営、大学での講義など、BEAMSの外での活動を行う。著書に『迷宮行き』(天然文庫/BCCKS)がある。



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