第14回 ケイト・ブッシュ―ゴシック・ロマンスの歌姫

音楽家は服を着る by 青野賢一 2013年11月28日

1977年、シングル「嵐が丘」でデビューしたケイト・ブッシュ。特徴のある歌声と複雑なメロディ、文学的な詩作でいまも高い評価を受けている彼女の作品の不思議な魅力はどこからやってくるのだろうか?

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イギリス人ほど幽霊の好きな国民はなく、イギリスほど神秘と恐怖の物語に富んだ国はない。すでに18世紀の末から、この国ではゴシック・ロマンスと呼ばれた恐怖小説が流行していた
(澁澤龍彦編、世界文化社刊 世界の文学別巻1『世界幻想名作集』所収「幻想文学について」より)

12世紀半ば頃から15世紀にかけて、まずフランスで、やがてヨーロッパ諸国に見られるようになった建築様式の呼称がゴシックである。幾つか有名なゴシック建築の建造物を挙げてみるならば、フランスのサン=ドニ大聖堂、ノートルダム大聖堂(いずれもパリ)、ドイツのケルン大聖堂、イギリスのカンタベリー大聖堂などだ。尖塔アーチ、飛び梁などを特徴とするゴシック建築は、ルネサンス期の古典主義の勃興とともに廃れてゆくわけだが、時を隔てて18世紀の後半から19世紀にかけて、ゴシック・リヴァイヴァルが興る。中世ヨーロッパを範とするロマン主義が、ゴシックの亡霊を引き摺り出したのだ。

イギリスの貴族であり小説家、ホレス・ウォルポール(1717-1797)は、自身の別荘をゴシック様式に改築した。「ストロベリー・ヒル」という名のこの別荘には、かつての「驚異の部屋」さながら、古代からの美術品、珍品奇品がぎっしりと陳列されていたという。ある晩、ウォルポールは夢を見て、そこからイメージを膨らませ一冊の小説を書き上げる。これが世界で最初のゴシック・ロマンス(ゴシック小説)とされている『オトラント城奇譚』(1764)であり、この作品は、後にメアリー・シェリー(シェリー夫人)が『フランケンシュタイン』(1818)を記すのにインスピレーションを与えたということである。

ゴシック・ロマンスの特徴は「日常的な現実の支配する世界に、突然、あり得べからざる不可能が闖入(ちんにゅう)してくる」(前出「幻想文学について」)ところにある。わかりやすく言うなら、超現実、怪奇、幻想、夢幻といった要素がある小説、であろうか。そこにはもちろん、中世風の様式、考え方が入り込んでいる。こうしたゴシック・ロマンスの特徴をうまく取り入れたのが、エミリー・ブロンテ『嵐が丘』(1847)だ。イギリス・ヨークシャーの人里離れたところに建つ館「嵐が丘」を舞台にした、愛憎と欲が絡み合う復讐劇であるこの小説のTVドラマから想を得て作られたのが、ケイト・ブッシュのデビュー・シングル「嵐が丘(原題:Wuthering Heights)」である。

ケイト・ブッシュは1958年、イギリス・大ロンドンのベクスレーヒースに生まれた。「アーツ・アンド・クラフツ運動」で知られるウィリアム・モリスが1859年に自邸「レッドハウス」を建てた街だ。19世紀末からヨーロッパに興る芸術運動、アール・ヌーヴォーは、とりわけフランスでの建築において、ゴシック建築の合理的解釈を行った建築家、ヴィオレ・ル・デュクの影響も大きいのだが、ご存知のようにアール・ヌーヴォーは、ウィリアム・モリスの「アーツ・アンド・クラフツ運動」が礎(いしずえ)になっており、この地でケイト・ブッシュが生を受けたのは興味深い一致と言えよう。

1977年の「嵐が丘」は、デビューシングルにも関わらず、全英で4週連続1位を獲得し、続いて発表されたアルバム『天使と小悪魔(原題:The Kick Inside)』も大成功を収めた。その後『ライオンハート』(1978)、『魔物語(原題:Never For Ever)』(1980)、『ドリーミング』(1982)などのアルバムをコンスタントにリリースし、その高みから注ぐような歌声とソングライティングセンス、独特な世界を提示する詩作(とルックスも相まって)で人気を揺るぎないものにする。

ファーストアルバム『天使と小悪魔』のオリジナルジャケット(上記2つ)を見ると、東洋趣味が強く感じられる(下の日本盤は、ルックスも込みで売ろうとしたのか、彼女のバストアップの写真だ)。どこか謎めいた、幻想的なこの路線は、後の作品にも一貫して現れていて、非常にゴシック的なわけだが、なかでも印象的なのが1985年のアルバム『愛のかたち(原題:Hounds Of Love)』からシングルカットされた「クラウドバスティング」のジャケットである。

荒野に浮かび上がるラッパ型の機械とケイト・ブッシュが写し出されたこの「クラウドバスティング」は、直訳すると「雲退治」。雲など退治できるものか、ゴシックよろしく空想の産物だな、と思うのは早計というものである。実はこのジャケットに写った機械が“クラウドバスター”。そしてかつて実際にクラウドバスターを発明した人物がいた。名前をヴィルヘルム・ライヒという。

ライヒはかのフロイトから学び、フロイト派の精神分析家として活動していたが、精神分析とマルクス主義を結びつけた主張をし、やがてドイツからノルウェーに亡命。ノルウェーのオスロ大学で性化学を研究するうちに「未知のエネルギー」を発見したという。この未知のエネルギーはオルガスムスにちなんで「オルゴン」と名付けられ、ライヒはこのオルゴンの研究に邁進した。1942年、「オルゴノン」という研究所を作り、ラジウムの放射線をオルゴンで中和する実験を繰り返したが、中和どころかオルゴンが「デッドリー・オルゴン(DOR)」に変化してしまい、実験も中止せざるを得なくなった。

研究所の上空には「DOR雲」が発生してしまったが、ライヒはオルゴンが水に引きつけられる性質を利用して、長い金属のパイプにケーブルをつなぎ、それを井戸に入れて雲のエネルギー成分を吸着しようと試みた。この機械が「クラウドバスター」である。ライヒはこの機械を使って、何度か気象をコントロールすることに成功した、ということだが、真偽の程は定かでない。彼によれば、UFOもオルゴン・エネルギーを使っているので、クラウドバスターはUFO退治も可能だそうだ。

ケイト版「クラウドバスティング」に戻ると、このミュージック・ビデオのなかで、かなり細かくライヒのやったことを追っている。ケイトは、ライヒの子供役として出演し、身柄を拘束されたライヒに代わって「クラウドバスター」を操縦し、雲を操り、雨を降らせる。実際のライヒも、最終的にはコネチカット刑務所に収監され、心臓発作で獄死したのであった。このミュージックビデオの原案は、ケイトとテリー・ギリアム(『未来世紀ブラジル』の監督)。ちょっとしたショートフィルムばりによくできていて、何度も観直したくなる。

ミュージックビデオ中に登場するクラウドバスターは、まるで農耕機のような操作で動く、かなりアナログな印象のものであるのだが、雲=蒸気を操るところなど、まさしく「スチームパンク」だ。ヴィクトリア朝の時代すなわちゴシック・リヴァイヴァルの頃のイギリスなどが舞台となり、当時のテクノロジー(蒸気機関)を駆使した架空の機械も登場するSFのジャンルであるスチームパンクは、ちょうどこのビデオが撮影された80年代にポピュラーとなったものである。ビデオのなかでの設定は1952年なので、直接的なスチームパンクとは言えないかもしれないが、クラウドバスターの機械自体は外見からしてそうした性格を持ったものだし、何より「日常的な現実の支配する世界に、突然、あり得べからざる不可能が闖入(ちんにゅう)してくる」という、ゴシック・ロマンスの特徴を見事に捉えているのではないだろうか。

この「クラウドバスティング」以外のミュージックビデオを観ると、ケイト・ブッシュのファッションは、80年代まではかなり幻想的というか前時代的という雰囲気のものが多い。パントマイムを習っていたせいか、そうした動きを含めた舞踊(のようなもの)も頻出し、何とも不思議なビデオクリップに仕上がっている。

80年代から暫しの時を経て1993年にリリースされた『レッド・シューズ』からのシングル「ラバーバンド・ガール」のミュージックビデオでは、比較的普通の現代的な装いで登場している。この時点においてファッション的に特筆すべき事柄はないが、本編はバンド演奏とダンスといういたって普通のミュージックビデオの最後、曲が終わった後に大型の送風機が「突如」セットに割り込んでくるところはゴシック的であり、この機械もまたスチームパンク的である。こうした、ぶれない姿勢がイギリスで長きにわたってアーティストとしての高い評価を獲得している所以かもしれない。2013年4月には、大英帝国勲章を授与されている。

青野賢一

青野賢一

BEAMS クリエイティブディレクター
BEAMS RECORDS ディレクター
1968年東京生まれ。明治学院大学在学中にアルバイトとしてBEAMSに入社。卒業後社員となり、販売職を経てプレス職に。〈BEAMS RECORDS〉立ち上げや、ウェブ・スーパーバイザー兼務などの後、2010年より個人のソフト力を活かす、社長直轄部署「ビームス創造研究所」所属。執筆、編集、選曲、DJ、イベントや展示の企画運営、大学での講義など、BEAMSの外での活動を行う。著書に『迷宮行き』(天然文庫/BCCKS)がある。



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