第21回 マリアンヌ・フェイスフル―20世紀ユースカルチャーの生き証人

音楽家は服を着る by 青野賢一 2014年8月21日

1960年代のロンドンに美しく咲いたポップ・アイコン=マリアンヌ・フェイスフル。波瀾万丈と言われるデビュー以来の彼女の足跡を追いながら、その時代、その文化を眺めてみよう。

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「Dior Homme」のクリエイティブディレクターを退任後、フォトグラファーに専念していたエディ・スリマンが、2012年に「SAINT LAURENT」のクリエイティブ・ディレクターに就任したことは、ファッション業界において大きなニュースとなった。メンズ、ウィメンズのコレクションのほか、キャンペーンのヴィジュアルやストア・デザイン、そして「サンローラン リフォームプロジェクト」と呼ばれるブランド再編プロジェクトなど、イヴ・サンローランの意志を正しく継承しながら現代に則したブランドの姿を構築する取り組みを一手に担うエディが立ち上げたプロジェクトのひとつに「サンローラン ミュージックプロジェクト」というものがある。Dior Homme時代から、音楽、とりわけロックへの愛情を服や写真などで表現してきたエディだが、この「サンローラン ミュージックプロジェクト」では、ダフト・パンク、ベック、キム・ゴードン、コートニー・ラヴ、B・B・キング、チャック・ベリーといった錚々たるミュージシャンがSAINT LAURENTの服を纏って登場している(もちろん撮影はエディ・スリマン)。その最新のキャンペーンにフィーチャーされているのが、マリアンヌ・フェイスフルだ。

1946年ロンドンに生まれたマリアンヌ・フェイスフルは、1964年、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ作のドリーミー・ポップス「As Tears Go By」で歌手デビュー。そのルックスからポップ・アイコンとして人気を博した。1950年代から60年代にかけては、若者から圧倒的な支持を得ていたロックンロールを巧みに取り入れたガールズ・グループや女性シンガーが量産された時代であったが、マリアンヌ・フェイスフルもそうした一連のムーブメントのなかから登場したと考えていいだろう。

1964年はバーバラ・フラニッキがロンドンにブティック「BIBA」をオープンした年でもある。ファッションの力点がオートクチュールからプレタポルテ(既製服)へと移り、またユース・カルチャー、ストリート・カルチャーがファッションに影響を与えていた60年代。イギリスでは「スウィンギング・ロンドン」と呼ばれた時代に登場したマリアンヌ・フェイスフルは、まさに時の申し子であった。1965年には当時の夫ジョン・ダンバーとの間に授かった子供を出産するも、ミック・ジャガーとの恋愛関係が本格化し離婚。元々は品格ある家柄の出身である彼女だが、やがて「セックス、ドラッグ、ロックンロール」を地で行くような行動が目立つようになる。特にドラッグ問題が酷かったが、パブリック・イメージと元来の自分とのギャップに悩まされていたというから、ドラッグはそこからの逃避の手段でもあったのかもしれない。

1970年、ミック・ジャガーと別離。ドラッグ、アルコールへの依存もさらに高まり、デビュー当時の透明感のある歌声から、60年代の後半にはしわがれた声へと変質した。「Sister Morphine」の頃にはすでにその傾向が見てとれるだろう。70年代はマリアンヌ・フェイスフルにとって相当辛い時期だったに違いない。すでに述べたようなドラッグ、アルコールへの依存に加え、摂食障害なども生じ、自殺未遂もあった。暮らしぶりも荒んで、一時はホームレスのような状況だったという。

そんな彼女が再び表舞台に上がる契機になったのは、1979年にリリースされたアルバム『Broken English』だった。発売元は、クリス・ブラックウェルの「Island Records」。ボブ・マーレィ&ザ・ウェイラーズの作品をはじめ、レゲエのイメージが強いかもしれないが、70年代後半から80年代にかけては、ニューウェーヴ色の濃い作品を多数リリースしていたことでも知られるこのレーベルのカラーに相応しく、『Broken English』もシンセサイザーを導入し、ジャケットのイメージと違わないダークな世界を展開している。ドラッグ、煙草、アルコールによってハスキーに変わってしまった彼女の声に実にしっくりくるサウンド・プロダクションも秀逸である。この『Broken English』以降、マリアンヌ・フェイスフルがすっかり立ち直ったかというとそんなことはなく、80年代半ばまではドラッグに頼り、死の淵を彷徨うこともあった。そうした状況から完全に抜け出したのは1980年代も終わりに近づいてからだという。

マリアンヌ・フェイスフルは、1987年のアルバム『Strange Weather』を境に、コンスタントにアルバムを制作、発表しながら、映画『マリー・アントワネット』(2006年)ではマリア・テレジア役を、2007年公開の『やわらかい手』では主演を務めた。アラン・ドロンの相手役を演じた『あの胸にもういちど』(1968年)の頃のように、内面とパブリックイメージとのギャップに悩まされ、ドラッグに頼るナイーブな彼女はもういない。環境や時代に翻弄されながらも、生き続けてきた強さが今は優っている。その生き証人が彼女の声であることは言うまでもないところだ。

エディ・スリマンの「サンローラン ミュージックプロジェクト」にマリアンヌ・フェイスフルがフィーチャーされているのは、この秋冬のSAINT LAURENTのウィメンズ・コレクションが60年代の英国を想起させるものであるからだろう。彼女は60年代イギリスを代表するポップ・アイコン。その彼女が現代のSAINT LAURENTの服を纏って登場することは、エディによるSAINT LAURENTが、とりもなおさずイヴ・サンローランの考え方を正しく受け継いでいる証左であると言えよう。イヴ・サンローランは1966年、プレタポルテのライン「Saint Laurent Rive Gauche」のブティックを立ち上げ、当時のユースカルチャーを牽引するひとびとのための服を提案した。そのSaint Laurent Rive Gaucheと同時代のアイコンであり、現在も活躍するマリアンヌ・フェイスフルはまさに今フィーチャーするに相応しい存在なのである。

マリアンヌ・フェイスフルのファッションを振り返ってみると、Aラインのワンピース、サイケデリックなフラワーパターンのブラウス、ヴェルヴェットのジャケットといった60年代の着こなしがやはりひと際キュートだが、以後もMVやライブ映像で見る限り時代に則したファッショナブルさを保っているようである。そうした「立ち止まっていない」感じは音楽性にも現れているように思うが、いかがだろうか。9月にはブライアン・イーノ、エイドリアン・アトリー(ポーティスヘッド)といった面々が参加し、ロジャー・ウォーターズ、ニック・ケイヴらが楽曲を提供したニューアルバム『Give My Love to London(邦題:ロンドンによろしく)』のリリースが控えている。20世紀のユースカルチャーの繁栄と喪失を体現してきたマリアンヌ・フェイスフル。彼女が愛され、傷つき、死に直面し、這い上がってきたことを見守っていた街=ロンドンへの思いが詰まった新作を楽しみに待ちたい。

青野賢一

青野賢一

BEAMS クリエイティブディレクター
BEAMS RECORDS ディレクター
1968年東京生まれ。明治学院大学在学中にアルバイトとしてBEAMSに入社。卒業後社員となり、販売職を経てプレス職に。〈BEAMS RECORDS〉立ち上げや、ウェブ・スーパーバイザー兼務などの後、2010年より個人のソフト力を活かす、社長直轄部署「ビームス創造研究所」所属。執筆、編集、選曲、DJ、イベントや展示の企画運営、大学での講義など、BEAMSの外での活動を行う。著書に『迷宮行き』(天然文庫/BCCKS)がある。



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