【後編】8年もの歳月が費やされたサウンドトラック制作についてー映画『ボヘミアン・ラプソディ』の舞台裏(5)

ボヘミアン・ラプソディ by Text:Paul Tingen Translation:Takuto Kaneko 2019年4月29日

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サウンド&レコーディングマガジン5月号の企画では、映画『ボヘミアン・ラプソディ』のアカデミー受賞スタッフたちにDolby Atmosミックスを含むポストプロダクションのワークフローについてインタビュー。今回はその中から、サウンドトラックの制作についてより詳しく聞いた部分を前編から後編にわたって全文お届けする。

ここからは実際に劇中の“ライヴ・エイド”で使われたPro Toolsセッションを見ながら話を進めていこう。このセッションは約90trから構成されており、オリジナルのマルチ、グループ用Aux×15、マスター×3、ステム用Aux×15、ステム録音用トラック×17、それにエフェクト用Aux×12という6つのカテゴリーに分類できる。オリジナルのマルチトラックは22のオーディオ・トラックで構成されている。内訳はオーディエンス×2、エレドラとタムを組み合わせたもの×2、オーバーヘッド×2、ハイハット、キック、スネア、ベース、シンセ×2、ピアノ、アコースティック・ギター、エレキギター×2、そしてマーキュリーのピアノ前ボーカル・マイク、ハンド・マイク、さらにおのおののメンバーとキーボーディストのスパイク・エドニーのバッキング・ボーカルという構成だ。これらオーディオ・トラックはAuxトラックでグループ分けもされている。その内訳はキック、スネア、ドラム・キット、ベース、ギター、アコースティック・ギター、キーボード1、キーボード2、バッキング・ボーカル×4、リード・ボーカル、アンビエンスとなっている。これらはステレオ・サブミックス・トラックに送られ、メインのマスター・トラックへとつながる。通常のミックス用セッションならこれで完結しても問題ないが、今回は映画用のステムも作成する必要があった。ステレオ・ミックスは対応するトラックが用意されているが、それとは別に15あるグループ・トラックそれぞれに対応したステムの記録用トラックも用意。12本のエフェクトAuxトラックには、通常よく見られるリバーブやディレイのほかに“SPLINGE”と題されたトラックも見られたが、これはクイーンのメンバーが好んで用いる設定のディレイということだ(後述)。エフェクトについて、3人はまずすべてのオリジナル・マルチトラックで使用されているプラグイン、 BRAINWORX BX_Console Nから話を初めてくれた。

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▲今回の映画用に“ライヴ・エイド”をリミックスしたAVID Pro Toolsセッション。上部が元のマルチ、下部がステムだ。曲ごとではなく、ライブ全体を通してミックスしているのが分かる

クイーンの面々が気に入っている
“SPLINGE”ディレイとは?

マクレー 「BX_Console NはNEVEエミュレーションのチャンネル・ストリップです。通常の卓のチャンネル・ストリップ同様、EQとコンプレッサーとして使っていますよ。全体をうまくまとめるのに役立つんです。キックにはSOFTUBE Summit Audio TLA-100Aも挿していますが、これはちょっとした厚みを足すためですね。キックはAVID D-Verbに送って、ミディアムのノンリニア・リバーブもかけています。スネアではSOFTUBE Summit Audio Grand Channelを使っています。これは追加のEQとコンプ、それにサチュレーションを足すためのものですね。さらにスネアもD-Verbに送って、こちらは短いノンリニア・リバーブをかけています。スネアにはこのほかにRELAB LX480もかけていますね。ベースとピアノはどちらともUNIVERSAL AUDIO UAD-2 1176AEでコンプレッションしています。ピアノにもLX480をかけていますね。ギターは“SPLINGE”ディレイへセンドしていて、使っているプラグインはWAVES Super Tapです。ランダムな値に設定してあり、アリーナの壁で反響する効果を狙いました。ブライアンはギターにリバーブをかけるのがあまり好きではないので、代わりにディレイを使うのです」

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▲クイーンのメンバーが気に入っているという通称“SPLINGE”ディレイ、WAVES Super Tap。設定はランダムに決めたもののようで、アリーナの壁で反響する効果を狙ったという

そして、やはり注目はボーカル・トラックの処理だ。
マクレー 「ボーカルもUAD-2 1176AEを使用しています。ここでは比率の高いレシオにし、アタック/リリース共に速めにして素早いトランジェントを逃がさないようにしました。その後、よりスロウでソフトなUAD-2 Teletronix LA-2Aを使い、全体的なレベルとサウンドをならしています。その後段でクリスピーな感じを足すためUAD-2 Neve 1081をかけ、その後ダイナミックEQのTOKYO DAWN RECORDS TDR Novaで調整しました。これはディエッサーと似たような用途で、時折出てくる耳障りな成分を抑えるために使用しています。ボーカル・トラックで使用した空間系はLX480とWAVES H-Delayです」

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▲(上)“ライヴ・エイド”のマルチのボーカルにインサートしたプラグイン。このUAD-2 1176AEではアタック/リリースともにほぼ最速、レシオも20:1にしてトランジェントを抑えるような設定(中)UAD-2 1176AEの後段はUAD-2 Teletronix LA-2A。オプティカル・コンプ系のスローなコンプレッションで全体的なレベルを調節している(下)UAD-2 1176AEの後段にかけたのはUAD-2 Neve 1081。4.7kHz以上を少しだけブーストしてクリスピーな感じを足している

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▲(左)TOKYO DAWN RECORDS TDR Novaで3kHzと8kHz辺りの「耳障りな成分」を抑えるために使用(右)マーキュリーのボーカル・トラック(オリジナル・マルチ)のインサート/センド・スロット。BRAINWORX BX_Console N→1176AE→Teletronix LA-2A→Neve 1081→TDR Novaというインサート順

マスターと同じ結果のコンプを
個々のステムにかける方法を活用

映画向けのステム用トラックにはUAD-2のMASSENBURG DESIGNWORKS MDWEQ5とAVID Impactをかけたという。
フレデリクソン 「MDWEQ5はPAL回線の固有周波数に対処するためのものです。PALフォーマットだと15.625kHzにノイズが乗るので、その帯域を処理しています」

ここでステム用トラックについて、彼ら3人が何年もかけて培った効率的なステムの作成方法を説明してくれた。これは各ステムを個別に書き出すのではなく、すべてを同時に、しかもステレオ・マスターのコンプレッサーが同じようにかかった状態で作成するユニークな方法だ。ステムをそれぞれステレオ・バスに通しただけでは当然同じ効果は得られない。
マクレー 「全体のミックスから何かを別に取り出し、それにコンプレッサーをかけてもマスターと同じように動作しませんよね。これに対処するために編み出した方法がこれです。まず通常のステレオ・ミックスとは別にマスターのプラグインをバイパスした状態のステレオ・ミックスを用意します。それからマスターのプラグイン……ここではMDWEQ5とImpactですが、それらを各ステムのAuxトラックにコピーし、Impactのサイド・チェイン入力に上記のプラグインが使用されていないステレオ・ミックスを送るんです。こうすることで、通常のステレオ・ミックスと同じ処理がなされたステムを同時に複数作ることができるんですよ。この際のキー・センドにはモノラル・バスを使用することになるので、ステレオからモノへの変換時には注意する必要があります。いろいろ試した結果、センド・フェーダーを2.7dB下げるとちょうどいいことが分かりました。これはPro Toolsバージョン11以降の話で、それ以外のバージョンではミックス・エンジンの違いによりこの値は変わってきます。ともあれ、こうして作成したステムをすべて足すとオリジナルのステレオ・ミックスと全く同じサウンドになるんですよ」

ミックスの際のモニタリングだが、メイのアラートン・ヒル・スタジオでは主にGENELEC 8260A+サブウーファー7271A、テイラーのプライオリー・スタジオでは主に8250A+サブウーファー7270Aという組み合わせが使用されたそうだ。いずれもSAMシステムで音場調整されている。
シャーリー・スミス 「YAMAHA NS-10Mに加えてコンピューターのスピーカー、カー・オーディオ、モノラルのラジオ、その他のスピーカーもチェックで使用しました。スタジオで集中して聴くことも大事ですが、実際のリスニング環境を想定して作業するのも大切ですよ。何かほかのことをしながら聴いたり、別の音を流しながら聴いたり、あるいは隣の部屋で流してみて良い感じに聴こえればミックスの完成度もより高まりますよね」
最後に彼らは『ボヘミアン・ラプソディ(オリジナル・サウンドトラック)』のCDマスタリングに関する話で締めくくった。
フレデリクソン  「ゲートウェイ・マスタリングのボブ・ラディックと15年以上も一緒に仕事をしてきています。クイーンがユニバーサル・レコードに移籍した際のリマスターには1年も費やしましたね。我々が世界中を探して最高の状態の音源を見つけてくる作業と併せて、ボブが素晴らしい作品作りに貢献してくれているのです」

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▲ポストプロダクション・チームとブライアン・メイ(中央)の集合写真。左から見て3番目にクリス・フレデリクソン、ジョシュア・J・マクレー、ニーナ・ハートストーン、ポール・マッセイが並び、メイの右隣にジョン・ワーハーストとティム・キャヴァギン、そして一番右がジャスティン・シャーリー・スミス


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