「Dolby Atmosミックスのコツは セリフの音量に一貫性を持たせること」ー映画『ボヘミアン・ラプソディ』の舞台裏(2)

ボヘミアン・ラプソディ by Text:Kentaro Shinozaki Interpretation:Hashim Bharoocha Photo:Akiko & Hashim Bharoocha, Yukitaka Amemiya(Twickenham Studios) 2019年4月26日

1

サウンド&レコーディングマガジン5月号の企画では、映画『ボヘミアン・ラプソディ』のアカデミー受賞スタッフたちにDolby Atmosミックスを含むポストプロダクションのワークフローについてインタビュー。今回はその中から、Dolby Atmosミックスについてより詳しく聞いた部分を抜粋してお届けする。
 
ジョン・ワーハースト(写真左)とポール・マッセイ(右)を取材するために訪れたのはLA。フォックス・スタジオ内にあるジョン・フォード・ステージで別プロジェクトの作業をしている2人に運よくアポイントメントが取れたのだ。ジョン・ワーハーストはスーパーバイジング・サウンド・エディターとして映画『ボヘミアン・ラプソディ』にかかわり、ニーナ・ハートストーンと一緒に第91回アカデミー音響編集賞を獲得。ポップスのレコーディング・エンジニアを経て、1990年代後半からコンサート・ムービーやミュージカル映画を手掛け、『レ・ミゼラブル』(2012年)や『ワン・ダイレクション THIS IS US』(2013年)にかかわった人物だ。一方のマッセイは本作でリレコーディング・ミキサーを務め、ティム・キャヴァギン/ジョン・カサーリとともに同録音賞に輝いた。彼もまたレコーディング・エンジニアとして活躍した後、1980年代後半からテレビ/映画のポストプロダクションに興味を持ち、『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズ、『あの頃ペニー・レインと』(2000年)、『デッドプール』(2016年)でサウンド・エンジニアを務めているベテランだ。

8
▲今回ワーハースト&マッセイの取材を行った、LAのフォックス・スタジオ内にあるジョン・フォード・ステージ。『ボヘミアン・ラプソディ』でメイン作業したスタジオではないが、良い機会なので内部を紹介しよう。

9_10_11_12
▲(左上)左手にあるコンソールはAMS NEVE DFC(右上)オブジェクト位置の確認などを行うDOLBY Dolby Atmos Monitor(左下)モニター・スピーカーにはJBL PROFESSIONAL製を採用(右下)マシン・ルームに並ぶPro ToolsのHD MADI & Sync I/O

13
▲ジョン・フォード・ステージのAVID Pro Tools│S6。32ch分のフェーダー・モジュール、オートメーション・モジュール、ノブ・モジュール、ポスト・モジュール、ジョイスティック・モジュールから構成。なおスクリーン手前のピンポン台とビリアード台から、おおよその広さがイメージできるだろう

 

Dolby Atmosミックスのコツは
セリフの音量に一貫性を持たせること

ミックス時のモニター・スピーカー配置はどのようなものだったのだろうか?
マッセイ 「トゥイッケナム・スタジオではフロントのレフト、センター、ライトに加えて、前方からスタジオの後ろまで、左/左上/右/右上という4台のセットが8列並んでいました。また、後ろの壁には6つのスピーカーがあり、ローエンドをサポートするためのサブウーファーがスタジオ内に2台。トゥイッケナムにあったスピーカーはJBL PROFESSIONALとMEYER SOUNDだったと思います。大抵、Dolby Atmosのミックス・ステージで使用されているスピーカーは、JBL PROFESSIONALとMEYER SOUNDなんです」

ミックスの際、彼らは何をリファレンスにしてイマーシブ空間を作り挙げるのだろうか?
マッセイ 「やはり前方にあるレフト、センター、ライト、サブウーファーを基準として、まずそこに集中してミックスします。Dolby Atmos、7.1、5.1で作業するときはサラウンド・サウンドのスペックが変わるので、それを意識しなければいけません。Dolby Atmosの場合は、ルームのスピーカーにたくさんエネルギーを注いでも、それがちゃんと再現されます。しかし、5.1のシステムで同じ大音量を再現しようとしても、サラウンド・システムがうまく再現し切れません。だから、Dolby Atmosで素晴らしい音を作っても、それがほかのシステムでどう再現されるのかを知っておかなければいけません。Dolby Atmosでミックスしつつも、7.1と5.1のチェックもしないといけないのです。通常、Dolby Atmosのミックスをしながら、7.1と5.1の決断もする必要があります。そうすれば大幅なミックス変化が避けられるからです」

続けて、マッセイがDolby Atmosミックスにおけるコツについても言及する。
マッセイ 「私が心掛けているのは、セリフの音量に一貫性を持たせるということです。ストーリーを伝える上で、セリフがちゃんと聴こえないといけません。ダイナミック・レンジをあまり広くしないことも大切です。小さい映画館で上映する場合、ミックスで使うスタジオよりも音量が小さくなってしまうので、あまりにもダイナミック・レンジが大きいと聴き取れない音が出てきてしまいます。例えば、コオロギの鳴き声のような小さな環境音、そしてセリフもちゃんと聴き取れないことがあります。セリフの音量が小さかったり大き過ぎたりすると、バランスが崩れてしまいます。ダイナミック・レンジにある程度の制約を与えることで、小さな映画館でもバランスを忠実に再現できるわけです」
ワーハースト 「Dolby Atmosではすべてのスピーカーに大きな音を簡単に送ることができますが、それをやればやるほど聴き取りづらくなってしまうんです。スピーカーがたくさんあっても、何を伝えたいのかをはっきりさせて、それに応じてミックスすることが大切なんです。すべてのスピーカーに常にマックスの音量を流さない方がいいです」
マッセイ 「大音量のシーンをミックスするときは、何を省くかが実は大事になります。そうすることで、注目させたい音を際立たせることができるわけです。すべての音を大音量にしてしまうと奥行きが失われて、モノラルっぽいサウンドになってしまい、音の鮮明さが失われてしまうんです」

ミックス時のプラグイン・エフェクトはどのようなツールを使用しているのだろうか?
ワーハースト 「私はSERATO Pitch ‘n Time Proをよく使っています。これは1つの音のピッチや長さを変えたり、短くするために使います。一つの音を特定の時間の中に収める際に重宝しますね。逆に、シンバルが短過ぎたらそれを長くすることもできます。それ以外は、それほど多くのプラグインを使わないですね。エンジニアによってはPro Tools│S6と無数のプラグインを組み合わせてミックスを完結させる人も多いので、やり方は人によって違いますね」
マッセイ 「私もプラグインはそんなに多く使わないタイプです。ハードウェア・コンソールで作業することの方が多いです。コンソールにはEQ、コンプ、パンが付いているのでプラグインは使いません。私はオールドスクールなエンジニアなので、リバーブもLEXICON 480Lのハードウェアを使用するケースが多いです。プラグインを使うこともありますが、ハードウェアの方が好きなんです。ただ、セリフにはAUDIO EASE Speakerphoneも使いますし、セリフのノイズ除去にはIZOTOPEを用いますね」
ワーハースト 「空間系に関しては、通常ならAUDIO EASE AltiverbやVALHALLA DSP Valhalla Reverbといったリバーブを使うことが多いですが、先ほど説明したように今回は実際にアリーナの反響音を収録/利用することで、クイーンの演奏に奥行きとリアリティを作り出すことができました。また、オーディエンスの声によく使ったプラグインがANTARES Avox Choirでした。AuxバスにAvox Choirを立ち上げて、そこにオーディエンスの声を送ることでサウンドの厚みが増すわけです。ちなみにオーディエンスの収録時期はほかにもたくさんのシーンを撮影しないといけなかったので、レコーディングに費やせる時間が限られてました。とても費用がかかっている日だったので、その日中にレコーディングを済ませないといけなかったわけです。編集ルームに戻ってから、レコーディングしたオーディエンスの音をさらに大きな群衆に聴こえるように複数のテイクを少しズラして重ねたり、先ほどのAvox Choirをかけたりしました」

続いて、ミックス時のパンニング・ツールはどのようなものを用いたのかも聞いてみた。
ワーハースト 「アビイ・ロードでオーディエンスの声をまとめているときはTHE CARGO CULT Spannerを使いました。オーディエンスの音にもっと幅を与えて、動いているような感覚を作り出すためです。常に音が変化しているような感覚を作り出さないといけないシーンだったので、Spannerはサラウンド内で微妙な音の動きや変化を演出するのに重宝しました。映像を見ながら設定を変えていけるので便利です」
マッセイ 「私はDolby Atmosのパンナー、それからAMS NEVE DFCのパンナーを使いましたね」
 

映画の題材となっている人たちが
ここまでサポートしてくれるケースは珍しい

劇中で“ライヴ・エイド”のシーンに入る際、上空からステージまでをドローンで撮影しているかのようなカメラ視点のダイナミックな移動がある。環境音もそれに従って変化していくという、なかなか手の込んだ演出だ。あの場面のミックスを振り返ってもらおう。
ワーハースト 「まずは風とオーディエンスの音を組み合わせて、上空の高さを表現しました。クイーンのエンジニアが何十年分のクイーンのライブ・レコーディング素材をたくさん持っていたので、その中からライブで演奏した曲の冒頭とエンディングに入っているクラウド・ノイズを切り取って、それも使いました。エアホーンを吹いたり、大声でチャントするファンの音が入っていたりして、それをミックスに取り入れたのです。カメラが上空からスタジアムに下がっていくと、さまざまなファンが映るわけですが、右側の隅っこにエアホーンを吹くファンがいたり、チャントするファンの集団が別の場所にいたりして、カメラから見えて来るファンの姿を、音で表現したかったわけです。“ライヴ・エンド”の現場に到着すると、さまざまなファンの集団がその場を楽しんでいる様子を表現したいと考えました。カメラがオーディエンスの中に入っていく際、低域を強調したかったので、Pitch ’n Time Proを使って、全体の音を1オクターブ下げています。そうすることで、オーディエンスの重みを表現しました」
マッセイ 「最初はオーディエンスの音声だけを使って、シーンによってその音量を上げたり下げたりしていたんですが、それだけでは物足りなかったんです。そこで、エアホーンを吹く人とか、叫ぶ人とか、もっと詳細なディテールが無いといけないことに気付いたんです。そうすると、カメラが前に進むにつれて、映画館で見ている人はどんどんライブに入り込めるわけです。そのようなディテールを取り入れることは非常に効果的でした。エアホーンを吹く人などは、昔のクイーンのコンサートの素材から取り出し、“ライヴ・エイド”のオーディエンスの声と組み合わせました。それ以外のコンサートのオーディエンスの音も重ねており、何万人ものオーディエンスを上空から見て、その群衆の中に入っていくような感覚を表現できたんです」

何より圧巻なのは“ライヴ・エイド”のクイーンの演奏シーンだ。派手な演出が無くともライブ・パフォーマンスの映像だけであそこまで観客の気持ちを揺さぶるというのは尋常なことではない。サウンド作りの秘けつを教えてもらった。
マッセイ 「最初の4曲の演奏で、徐々に盛り上がっていく感覚を表現することが大切でした。最初の「ボヘミアン・ラプソディ」が、最後の「伝説のチャンピオン」と同じテンションであってはいけなかったわけです。だからクイーンが4曲を演奏していく中で、ミックスで少しずつオーディエンスとバンド演奏の低域を強調したりスタジアムの奥行きを出して、1曲ずつ徐々に熱気が上がっていくようにしました。オーディエンスも最初から大音量で叫んでいるのではなく、曲が進むにつれて徐々にヒート・アップするようにしたのです。そうすることで、最後の「伝説のチャンピオン」でフレディとバンドの一体感を表現して、スタジアムのクライマックスを表現できました。20分というシーンの中でそうした流れに留意してミックスを進めたのです」
ワーハースト 「実際の“ライヴ・エイド”では、クイーンの出番のころには既にコンサート開始から5時間ほどが経過していました。ですから会場のオーディエンスはちょっと疲れ気味だったんです。“ライヴ・エイド”のクイーンのコンサートが“ロック史上の伝説的なライブ”として語り継がれている理由は、そんな状況でもクイーンが数万人のオーディエンスと完全に一体になったからなんです。私たちもコンサート・シーンのクライマックスで、スタジアムがクイーンと完全に一体化する感覚を表現したかったんです。このようなコンサートを成功させるには、パフォーマー、音楽、オーディエンスが一体にならないといけません。“ライヴ・エイド”のシーンでは、この3つの要素が徐々に一つになっていく様子を見せることができたと思います」

スタッフたちがここまで熱量を保ちながら制作に没頭できたのは、“クイーン”という伝説的なバンドの作品”という点が非常に大きかったようだ。
マッセイ 「クイーンという、今でも愛され続けるアイコニックなロック・グループの音楽を手掛けられたとことは、とても光栄でした。そして私とジョンにとって、音楽をベースにした映画にかかわることができたのは、とてもモチベーションが上がりました。クイーンがまだバンドとしてアイデンティティを見つけていない状態から、彼らが徐々に成功し、アメリカや世界中をツアーしていく様子を描いているので、サウンド面でも同じ成長を反映させたかったのです。“ライヴ・エイド”のような大規模なコンサートを再現できたのも、とてもやりがいがありました」
ワーハースト 「ファイナル・ミックスを完成させた後も私自身がクイーンの曲を聴き飽きていなかったので、それだけクイーンが素晴らしいバンドだということです。この仕事が特別だったのは、クイーンのメンバーたちが全面サポートをしてくれたことです。彼らは、所有しているすべての素材を使わせてくれて、しかもコンサート会場であるO2アリーナまでも使用させてくれました。映画で使うためにファンにハンド・クラップまでお願いしてくれ、それを私たちは収録することができました。これはとてもまれな状況です。通常は、映画の題材となっている当事者たちが、ここまでサポートしてくれることはないからです」

ブライアン・メイとロジャー・テイラーからの信頼を得ることができたのは、映画のクオリティ・アップだけでなく、彼らのモチベーション・アップにもつながったようだ。
マッセイ 「ブライアン・メイとロジャー・テイラーと直接作業できたことは、本当に貴重な体験でしたね。私たちが作業しているとき、彼らは頻繁にスタジオに来てくれました。彼らにミックスを送って聴いてもらうこともあり、とても助けてくれました。彼らはレコードの世界の人たちなので、映画をミックスする環境は彼らにとっては見慣れない世界であり、Dolby Atm
osが何なのかを一生懸命理解してくれるようとしていました。私たちがそうしたことを彼らに教え、彼らはどういうサウンドにしてほしいかを熱心に伝えてくれました。とても勉強になる体験でしたね」
ワーハースト 「映画の撮影に入る前に、ブライアンとロジャーがアビイ・ロード・スタジオに来て、撮影前にどんな素材が必要かを話し合いました。ブライアンはギターを持ってきて、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」がどうやって生まれたかを演奏しながら教えてくれました。彼の演奏をアビイ・ロードでレコーディングしたんですが、そのときに、“自分がブライアン・メイとアビイ・ロードに一緒に居るなんて信じられない”と思いましたね。15歳のころの自分に、“いつかブライアン・メイと仕事するよ”と言いたいです(笑)。

この映画のファンたちにもメッセージをもらおう。
マッセイ 「この映画をぜひとも楽しんでほしい。ぜひDolby Atmos上映で見て、私たちが思い描いたサウンドで楽しんでほしいです。日本に限らず、世界中のファンから“何回もこの映画を見ている”という声が届いているので、それだけフレディとクイーンの音楽が素晴らしいということを証明していると思います」


TUNECORE JAPAN