アカデミー受賞音響スタッフが語るDolby Atmosミックスー映画『ボヘミアン・ラプソディ』の舞台裏(1)

ボヘミアン・ラプソディ by Text:Kentaro Shinozaki Interpretation:Hashim Bharoocha Photo:Akiko & Hashim Bharoocha, Yukitaka Amemiya(Twickenham Studios) 2019年4月25日

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“ライブ・エイド”の臨場感を出すため
コンサート場面をO2アリーナのPAで鳴らして収録しました

この記事が世に出るころには映画『ボヘミアン・ラプソディ』の全世界興行収入は恐らく10億ドルを突破しているだろう。それを裏付けるように第91回アカデミー賞では、ラミ・マレックが主演男優賞に輝いたのをはじめ、編集賞、音響編集賞、録音賞の計4部門を獲得した。45歳でこの世を去ったクイーンのボーカリスト=フレディ・マーキュリーの生き様を描いたこの作品は、バンド・メンバーであるブライアン・メイとロジャー・テイラーの協力もあって実際にクイーンのマルチ音源を再ミックスして使っているのもトピック。クライマックスとなる“ライヴ・エイド”のシーンは圧倒的で、とりわけDolby Atmos上映ではまさにライブ会場にいるかのような臨場感を演出している。本記事では、アカデミー受賞スタッフたちにDolby Atmosミックスを含むポストプロダクションのワークフローについてインタビュー

ジョン・ワーハースト(写真左)とポール・マッセイ(右)を取材するために訪れたのはLA。フォックス・スタジオ内にあるジョン・フォード・ステージで別プロジェクトの作業をしている2人に運よくアポイントメントが取れたのだ。ジョン・ワーハーストはスーパーバイジング・サウンド・エディターとして映画『ボヘミアン・ラプソディ』にかかわり、ニーナ・ハートストーンと一緒に第91回アカデミー音響編集賞を獲得。ポップスのレコーディング・エンジニアを経て、1990年代後半からコンサート・ムービーやミュージカル映画を手掛け、『レ・ミゼラブル』(2012年)や『ワン・ダイレクション THIS IS US』(2013年)にかかわった人物だ。一方のマッセイは本作でリレコーディング・ミキサーを務め、ティム・キャヴァギン/ジョン・カサーリとともに同録音賞に輝いた。彼もまたレコーディング・エンジニアとして活躍した後、1980年代後半からテレビ/映画のポストプロダクションに興味を持ち、『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズ、『あの頃ペニー・レインと』(2000年)、『デッドプール』(2016年)でサウンド・エンジニアを務めているベテランだ。

 

ピクチャー・エディット時に
ビッグ・イン・ジャパンな逸話はカットされた

 
早速、インタビューに移ることにしよう。映画『ボヘミアン・ラプソディ』のポストプロダクションにおける2人の役割から教えてもらった。
ワーハースト 「私は音楽編集のスーパーバイザーとして、ファイナル・ミックスに必要なすべての素材を集めるというのが仕事でした。そしてポールがその素材すべてをミックスする役割です」
マッセイ「お互いに頼り合っているわけです。ジョンが必要なトラックを提供してくれなければ、私はファイナル・ミックスができません。そして私がミックスをしなければ、ジョンはファイナル・ミックスを監督に渡すことができません。完全なコラボレーションなんです」

今回のワークフローの大まかな流れについて説明をしてもらおう。
ワーハースト 「映画の撮影が終わってポストプロダクションが始まると、まず必要な素材を集めるところから始まります。この映画で一番難しかったのは“ライヴ・エイド”のコンサートを再現しなければいけないことでした。私は実際の“ライヴ・エイド”のマルチトラック・レコーディング素材を見つけることに成功し、そこにはオーディエンスをマイクで拾った音声も入っていました。でもそのオーディエンスの音声を使うと、バンドの演奏にディストーションが起きてしまうことが分かりました。PAの外音がマイクで拾われていたからです。ですから、ファイナル・ミックスにどんな素材が必要なのかを綿密にプランニングしないといけませんでした。そこで“ライヴ・エイド”のステージを再現した撮影用のセットを組み、実際の“ライヴ・エイド”の10万人の声を土台にしつつも、新たなオーディエンスの声もレコーディングしたのです」

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『ボヘミアン・ラプソディ』©2018 Twentieth Century Fox

“ライヴ・エイド”のステージ・シーンは撮影用セットとCGを合わせて出来上がっているが、どこかの会場を流用したのではなく、ゼロから組んだというのだから徹底している。
ワーハースト 「ロンドン郊外にある飛行機の滑走路に“ライヴ・エイド”の会場やステージを完全に再現しました。PAも入れて、バンドのパフォーマンス用のモニター・システムも用意しましたね。フレディ・マーキュリーを演じたラミ・マレックは、すべてのテイクで実際にマイクを使って歌い、私たちはそれをレコーディングしていきました。そのテイクを“ライヴ・エイド”のオリジナル・マルチに合わせ、ラミとフレディの声をミックスしたんです。そうすることで本当にラミが歌っているような感覚を作り出しました。ラミが歌っているときの吐息や、マイクに唇が当たるときの音も追加して、ラミとフレディの声に一体感を生み出しました。映画では映像と音を完全に一致させることが大切なんです」
 
新たに観衆の声を録るために集められたエキストラは600人以上に及んだ。フレディの“Deyo!”というコール&レスポンスの音声もこのときに収録された。
ワーハースト 「600人のオーディエンスの声はカブリが無い状態でレコーディングする必要がありました。ですから、AVID Pro Toolsでコール音声の個別ファイルを用意し、現場でPAシステムから“Deyo!”のファイルを一つずつ流して、オーディエンスのレスポンスを録音するという作業を繰り返しました。このようなレコーディング以外に、ポストプロダクション用にもっと小規模なグループの声もレコーディングしました。一方、劇中の会話の編集は映画が最終形に近づいてから取り掛かります。ポストプロダクションで最初に私たちに渡されるのはピクチャー・エディットという仮編集バージョンです。ピクチャー・エディットは常に編集が加えられ、セリフがどんどん差し替えられていきます。でも、絶対に使われるシーンも幾つか決まっており、私は早い段階から“ライヴ・エイド”の素材集めに取り掛かることができたのです。そうやって必ず使用されるシーンの作業から取り掛かって、映画の最終バージョンが完成したらファイナル・ミックスに着手するというのが大まかな流れです」

ちなみにワーハーストによると、初期のピクチャー・エディット時には日本のシーンもあったそうだ。ただし最終的にカットされている。
ワーハースト 「日本武道館でコンサートを成功させたクイーンがロンドンに戻ると、ヒースロー空港にはファンが一人も待っていなかったというシーンがありました(笑)。日本では有名になっても、まだイギリスでは有名ではなかったことを伝えるシーンでしたね。しかしながら全体のストーリー上、このシーンは必要無いということになったんです。最近のほとんどの映画では、ピクチャー・エディットが進んで制作側にストーリーがはっきり見えてくると、プレビューという上映会が開催されます。制作に一切かかわっていない一般の人たちに映画を見せて意見を聞き、それに基づいてまた編集していくわけです。そのプレビューのために、私たちは映画のテンプ・ミックス(テンポラリー・ミックス)またはラフ・ミックスの作成を任せられます」
マッセイ 「テンプ・ミックスを作るために制作側はさまざまな決断を早いうちにしなければいけません。音楽の世界で言うとデモを作るのと同じです。デモの段階でどういう方向性のサウンドにするか、曲の構成をどうするか決めますよね。そしてデモを何度も作って、満足いくものになったら最終的なレコーディングをする。映画も似たプロセスです。テンプ・ミックスは後で破棄されるものですが、プレビューに対してオーディエンスがどんな反応をするのか判断するために必要なものです。それと同時に、サウンド編集チームも役者のADR(アフレコ)を進め、エディットしていきます。シーン変更でカットされる可能性があることを知っていながらです。テンプ・ミックスはファイナル・ミックスほど豪華なものではなく、例えば家のリビングでの会話シーンではちゃんとセリフがオーディエンスに届くかどうかといった点が大事です。しかしながらテンプ・ミックスには会話の背景にある時計のチャイムや車が通る音などは入っていません。そうした細部の音はファイナル・ミックスで一緒になるのです」
ワーハースト 「このような作業は大勢のチームと一緒に行います。セリフ、サウンド・エフェクト、音楽など各分野のエキスパートが集まり、ピクチャー・エディットが変更されるとそれに伴ってすべての素材を編集し直します。通常は10~12人で、映画が編集されている最中はこのチームで作業を行っていくのです」
 

新たにレコーディングできた
2万人のハンド・クラップ

 
冒頭で述べたように、この2人への取材はフォックス・スタジオで行ったが、映画『ボヘミアン・ラプソディ』の作業ではほかにもさまざまなスタジオを使ったという。

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▲100年以上の歴史を持つロンドンのトゥイッケナム・スタジオは、映像収録用の3ステージに加え、ポストプロダクション用のサウンド・ポスト×4部屋、ピクチャー・ポスト×4部屋も併設。写真はサウンド・ポストのTheatre 1で、AVID Pro Toolsシステムを中核としてコンソールにAMS NEVE DFC、Dolby Atmosに対応した環境をJBL PROFESSIONALスピーカーで組んでいる

ワーハースト 「ファイナル・ミックスはロンドンのトゥイッケナム・スタジオでした。また、音素材の準備をしている段階でフォックスが“putmeinbohemian.com”という企画を開催しました。これは、ユーザーがスマートフォンのアプリをダウンロードして、それを使って「ボヘミアン・ラプソディ」の歌を吹き込み、それをフォックスに送ってもらうというもので、何万人ものファイルが私たちの元に送られてきました。それらをすべて編集して、プリミックスし、少数のトラックにまとめなければいけませんでした。YouTubeに私のアビイ・ロード・スタジオでの作業映像(https://www.youtube.com/watch?v=Ijxu2EHV5XA)がアップされていますが、それがまさにこの作業です」
マッセイ 「早い段階でのセリフのプリミックスはLAにある私のスタジオで行い、その後は主にロンドンに行ってトゥイッケナムで作業しました。トゥイッケナムでは数カ月作業し、ファイナル・ミックスに関しては4週間で仕上げました」
ワーハースト 「その4週間の間は、文字通り週7日仕事をしていましたね(笑)」

ファイナル・ミックスは締め切りとの闘いだったのだろう。さて、本作はDolby Atmos版の評価も非常に高い。彼らが大本のミックスを始めた際、どのフォーマットでモニタリングしながら進めたのだろうか?
ワーハースト 「テンプ・ミックスは5.1か7.1で作業し、ファイナル・ミックスはネイティブ・フォーマットのDolby Atmosでした。そしてDolby Atmosでの作業が完了した後に、劇場バージョンの7.1/5.1、IMAX 12.0/5.0、ホーム・シアター用のDolby Atmos 7.1/5.1を2トラック変換したものなど、幾つかのダウン・ストリーム・バージョンを作ります。また、世界のマーケット用のミュージック&SEオンリー・バージョンを作る必要もあります。全体のミックスは同じで、各国の言語に吹き替えられるように英語のセリフをすべてカットしたものです」

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▲トゥイッケナムのTheatre 4。AVID Pro Tools|S6システム、Dolby Atmos for Homeに対応したDYNAUDIOスピーカーを備える

こうした作業はチーム内のメンバーが各スタジオに分かれ、分業しながらどんどん進めていく。
ワーハースト 「テンプ・ミックスやファイナル・ミックスは大きなスタジオで行いますが、素材の整理は専用の編集ルームで行います。編集ルームはPro Toolsシステムと、サラウンドあるいはステレオ・モニター・システム、そしてリファレンスの映像用に大きな画面があるだけです。そこではアシスタントたちが作業し、素材を配置してミックスをするための準備を整えます。最終的な形ではなくても、すべての音素材を配置して、ミックスしやすい状態にします。そしてミックスでは大きなスタジオを使い、作業セクションはセリフが左側、音楽は中央、SEは右側にクルーを配置して行うことが多いです。それらを複数のPro Toolsで再生して、メイン・コンソールでミックスするわけです」
マッセイ 「例えばこのジョン・フォード・ステージを使う場合だったら、裏の部屋にある6台のPro Toolsでプレイバックをします。各Pro Toolsは128~256trを再生できます。さらに大規模な作業をするときは、10~20台のPro Toolsシステムを同時に再生することもありますね」

2人の言葉からも分かるように、作業の土台となったDAWはPro Toolsだったという。映画業界でもPro Toolsはスタンダードなチョイスなのだろうか?
ワーハースト 「Pro Toolsの利点は、サード・パーティのソフトウェア・デベロッパーがたくさんあることです。2000年代初頭は、ほかのワークステーションもありましたが、Pro Toolsが共通言語になっていきました。Pro Toolsのセッションを東京やLAのスタジオに送れば、すぐに作業ができるからです。エンジニアはみんなこのような共通フォーマットを求めていました。みんながPro Toolsを使うようになったので、違うプラットフォームを使うと大変なことになってしまいます(笑)」

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▲(左)マシン・ルームにあるTheatre 1のオーディオI/O。Pro Tools A/BそれぞれにAVID HD MADIが用意されている。(右)こちらのラックにはAVID Pro Tools│MTRX(下)やSONNET xMac Pro Server(中央)などがマウントされていた

そしてコントロール・サーフェスとしてPro Tools│S6システムを用いるケースも増加しているそうだ。
マッセイ 「特にサウンド・エフェクトの世界ではPro Tools│S6はスタンダードですね。とはいえ、私はPro Toolsが発展する前からこの業界に携わってきたので、一番のお気に入りコンソールはAMS NEVE DFCとHARRISON MPC5です。個人的にこれらのコンソールを使用し、Pro Toolsと同期して作業することが多いですね」
ワーハースト 「私は主にPro Tools│S6を使いますが、非常に小さな規模のスタジオではArtistシリーズのコントローラーを使います。Pro Tools│S6をいつも使えるなんてぜいたくなくらいですよ(笑)。編集ルームでは、主にキーボードとマウスだけで作業しています」

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▲Theatre 4のS6は24ch分のフェーダー・モジュール、オートメーション・モジュール、ポスト・モジュール、ディスプレイ・モジュールから構成

ちなみに、今回の映画では一体どれほどのトラック数をミックスしていったのだろうか?
ワーハースト 「厳密な数字は分かりませんが、オーディエンスだけで500trは使いました」
マッセイ 「音楽用には150trを使用しましたね」
ワーハースト 「音楽用としては“ライヴ・エイド”のオリジナルのマルチトラックを使ったんです。そして、シンバルがクローズ・アップされるシーンでは新たにシンバルの音を追加したり、シーンによってバスドラを加えることもありました。実際にコンサートの現場に居るような感覚を作り出したかったんです。これを実現するためにクイーン専属のエンジニアたちが協力してくれたのは幸運でした。彼らはロジャー・テイラーのドラム・キットのサンプル・ライブラリーも持っていたので、シンバルやバスドラの音も提供してもらえたのです。彼らはクイーンのサウンドを知り尽くしているので、ファイナル・ミックスにも立ち会ってもらいましたね。さらに幸運だったのは、ポストプロダクションの作業中に現在のクイーンがツアーをしていたことです。ロンドンでのコンサートがO2アリーナで何度か開催され、コンサートの前に数時間かけてその場所を使わせてもらう許可が下りました。そこで、映画内のコンサートの曲をPAに通して大音量でプレイバックさせてもらって、22本のマイクで収音しました。それによってアリーナの臨場感が再現できたわけです」
マッセイ 「私はO2アリーナで収録した音をリバーブのように使用して、ミックスにより深みを持たせるようにしました。D
olby Atmosのイマーシブ・ミックスでは、天井のスピーカーや周りのサラウンド・スピーカーを使うことで、スタジアムの後ろの方に居るときのサウンドやステージ上のバンドの音を忠実に再現できましたね」

さらに興味深い話として、O2アリーナのクイーンのコンサートにて、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」用のハンド・クラップも収録したという。
ワーハースト 「ハンド・クラップというのものは、うまく素材を重ねないととても人工的でデジタルなサウンドになってしまうものです。ですが、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」はオーディエンスのハンド・クラップがキモとなる曲です。O2アリーナで会場の音をレコーディングした際、私はコンサート前のブライアン・メイにクラップのことを相談しました。2万人のオーディエンスがほかの音に邪魔されずに、一斉にハンド・クラップをする音をレコーディングできたら最高だと言ったんです。そうしたらブライアンがコンサートの最中、私たちのためにオーディエンスにクラップをさせたのです(笑)。ブライアンは「ウィ・ウィル・ロック・ユー」の冒頭の足踏みとクラップのリズムをオーディエンスにやらせたわけです。オーディエンスに“これを映画の中で使うかもしれないよ”と言ったら、オーディエンスも張り切って大音量でクラップしてくれました。2万人による足踏みとクラップのリズムをクリーンにレコーディングできたわけです。私たちはその中から良い部分のサンプルを切り取って、“ライヴ・エイド”などさまざまなシーンで使うことができました。「RADIO GA GA」のシーンでも、この2万人のハンド・クラップを使いました」

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『ボヘミアン・ラプソディ』©2018 Twentieth Century Fox
 

映画『ボヘミアン・ラプソディ』

監督:ブライアン・シンガー
音楽プロデューサー:ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー
出演:ラミ・マレック、ルーシー・ボイントン、グウィリム・リー、ベン・ハーディ、ジョセフ・マッゼロ、トム・ホランダー、マイク・マイヤーズ
【ストーリー】フレディ・マーキュリーとクイーンのメンバーたちがスターダムを駆け上がる様子を描いた2018年作品。バンドの結成、成功、プライベートの問題、そして“ライヴ・エイド”のギグで伝説になるまでを、クイーンの名曲とともに追っていく。テープの多重録音やパンニングで驚喜する姿などレコーディング・シーンも興味深い。なお、本編前の「20世紀フォックス・ファンファーレ」はメンバーのブライアン・メイがギターで弾いている。


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