著者たちの語らい─菊田俊介&加茂フミヨシ(1)

加茂フミヨシ式ギター・トレーニング by 編集部 2009年2月13日

【ゲスト】菊田俊介「シカゴはブルースのレベルが断然高かった」

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▲菊田俊介 ▲加茂フミヨシ
Photo:Kenji Oda Photo:Masafumi Sakamoto

【菊田俊介 プロフィール】

1966年、栃木県宇都宮市生まれ。86年、ボストンのバークリー音楽大学留学のため渡米。90年、同校卒業と同時にシカゴに移住。以来シカゴのブルース・シーンで活躍する。

94年からキングレコード、M&Iカンパニー、ブルーソックス・レーベル、エヴィデンス・レコードより9枚のCDを発表。

2000年より”ブルースの女王”の愛称で知られるシンガー、ココ・テイラーの専属ギタリストに抜擢され、世界各区地のフェスティバルやシアター、クラブで演奏活動を行っている。04年、テレビ番組”An Evening with B.B.King”のハウスバンドのリーダーとして、B.B.キングと共演。

05年、台湾のTAIWAN BLUES BASH 2にソロ・アーティストとして初のヘッドライナーで出演。06年、ココ・テイラーのアルバム『Old School』のレコーディングに参加。07年、7年ぶりのソロ・アルバム『Rising Shun』をリリース。08年、ココ・テイラーとともに、エアー・ジャマイカ・ジャズ・アンド・ブルース・フェスティバル、シカゴ・ブルース・フェスティバル、ケネディ・センター・オナーズ等に出演。

2009年、「菊田俊介Japan Tour 2009」のため間もなく来日予定。2月15日から3月8日にかけて全国16都市を縦断する大規模なツアーとなる。

【菊田俊介 公式サイト】

Shun Kikuta’s Website
菊田俊介ブルース日記(ブログ)

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■クラシックからジャズへ~少年時代
[編集部注:この対談は2009年1月から2月にかけて、菊田氏(シカゴ)と加茂氏(東京)の間で、Eメールで行われました。]

加茂:栃木のご出身なんですよね? 僕も栃木の矢板市に住んでいたことがあるんですよ。

菊田:では、餃子の洗礼も早い時期に受けられた(笑)。

加茂:(笑)栃木時代の思い出はありますか?

菊田:小さい頃は、野球少年でしたから。野球をやっていた記憶が強いですね、やっぱり。

加茂:野球ですか! 僕も栃木で野球を始めたんですよ。すぐ挫折しましたが(笑)。小学校3~4年生と栃木にいました。餃子の記憶はあんまりないですねー。

菊田:矢板ではあんまり餃子食べないのかも(笑)。でも野球という共通点がありますね。

加茂:菊田さんは小学校4年でクラシックを始めたようですが、これはクラシック・ギターですか?

菊田:親父がクラシック・ギターを趣味で弾いていて、若い頃は全国的にもよく知られる田部井辰雄先生に習っていたんですね。なので、小さい頃からギターや音楽のある環境で育ちました。

加茂:どんな曲を演奏されてました?

菊田:小学4年の時、親父にローポジションのドレミファソラシドだけ教えてもらって、あとは家にあったソルとかの初級の練習曲を一つ一つ音をとりながら覚えていきましたね。その当時は、完全に独学で、野球もやっていたので、気が向いた時に少しギターに触る程度でしたよ。

加茂:うちの親父もクラシック・ギターを趣味で弾いていたんですが、「禁じられた遊び」の3小節目で必ず止まってしまう演奏をいつも聞いてました(笑)。そのおかげで僕もクラシック・ギターはあまり弾けなかったのですが、やはりクラシックをやると基礎がしっかりしますかね?

菊田:やはり、運指は役にたつと思いますね。あとは、右手でしょうね。今でもフィンガーピッキングをやる上でクラッシックをやっていてよかったと思いますよ。ただ、エレキの場合は爪弾きはしないので、どちらかというと、指の腹でつま弾く感じですね。使うのは主に親指、人差指、時に中指ですね。薬指はコード弾く時だけ使うかな。

加茂:スポーツ少年だった菊田さんが、音楽に向かったきっかけは他にもありますか?

菊田:家に音楽環境がありましたからね。小学3年の時にモーツァルトの「トルコ行進曲」のレコードを買ってくれと親に頼んだ記憶があります。小学時代は、シンフォニーでいえば、ベートーベンの第6「田園」とか、ショパン、リストなどのピアノ曲や、マーチも大好きでした。ワーグナーの「双頭の鷲の旗の元に」とか、スーザの「星条旗よ永遠なれ」とかステレオで大音量でかけて、指揮者になってその場にいるような気持ちになってましたよ。

加茂:素晴らしい環境だったんですね。菊田さんは高校卒業後、武蔵野音楽学院に進学されましたよね。その頃の思い出は?

菊田:武蔵野時代は、バンド活動はほとんどなかったですね。1年しかいないっていう頭があったから。当時は、クラシックをやりつつも、ジャズの勉強を始めた頃ですね。ジム・ホールとビル・エヴァンスの『アンダーカレント』や、ジョー・パスの『ヴァーチュオーゾ』あたりにはかなりハマりました。

加茂:ジョー・パスの『ヴァーチュオーゾ』はジャズですけど、ギター単独で成立するインスト作品という点では、クラシック・ギターと共通する素晴らしさがありますよね。

菊田:ありますね。だからすごく入り易かったです。そういえば、パコ・デ・ルシア、ジョン・マクラフリン、アル・ディ・メオラ(=スーパー・ギター・トリオ)の『フライデイ・ナイト・イン・サンフランシスコ』なんかも聞きまくっていましたね。フラメンコはやらなかったですけどね。

加茂:フォークやロックは?

菊田:フォークはもうほとんどこの頃には聞いてなかったかな。矢沢エーちゃんは大好きだったので、コンサートを横浜スタジアムに見に行ったりしましたけどね。でも、ギタリストで言えば、トトのスティーヴ・ルカサーや、ジャーニーのニール・ショーン、ゲイリー・ムーアとかが好きでしたね。

■ジャズからブルースへ~バークリー音楽院時代

加茂:その後、バークリー音楽院に進まれたということで、これは先日トモ藤田さんにもお伺いしたのですが、英語の不安は無かったですか?

菊田:大ありですよ(笑)。1年くらいはやっぱりよくわからなかったですもん。武蔵野の留学科だったんで、英語の授業もあったんだけど。俺も、行ったらなんとかなるだろうって、甘い気持ちでちゃんと勉強してなかったし(笑)。

加茂:英会話、難しいですよね・・・。音楽で留学を考えている方に菊田さんからのアドバイスはありますか?

菊田:やっぱり英語は大事ですよ。できるだけ話せる様になってから行くにこしたことはないですね。ただ、なかなか日本にいてもうまくならない現実もあるので、日本にいる時にある程度、音楽理論の基礎やギターのテクニック、聴音なんかを身につけておくと向こうに行ってから最初が楽ですよ。

加茂:なるほど。

菊田:僕の場合は、理論とかだいたい授業でやる内容を最初の1年分くらいは理解できてたんで、英語はわからなかったけど、先生が黒板に書けば、ああ、そういうことね、と授業についていけた。そして、1年経ったくらいから英語もキャッチアップしてきたので、授業で苦労した経験はあまりなかったですね。

加茂:バークリー音楽院ではどのような勉強をされていましたか? 菊田さんというとブルース、というイメージがありますが、コルトレーン・チェンジとかリディアン・クロマティック等、ジャズ理論系の勉強もかなりされていたのでしょうか。

菊田:もちろんコルトレーンの3トニック理論はやったし、「ジャイアント・ステップス」や「カウントダウン」なんかも当時はセッションでけっこう弾いてましたからね。バークリーではハーモニーのクラスや、コンポジション(作曲)などでも、そういった理論的な事をテーマにして曲を書いたり、みたいな授業もありましたよ。

加茂:ゲイリー・ムーアからジャズまで、とても幅広いですね。菊田さんの弾く「ジャイアント・ステップス」を聞いてみたいです!! さて、それまでジャズを勉強されていた菊田さんがブルースに目覚めたきっかけは?

菊田:B.B.キングの『ライヴ・アット・ザ・リーガル』をボストンに行って1年目くらいに聞いてブルースを好きになったんですが、当時はブルースどっぷりではなく、ジャズもやりながらブルースも好きで、というスタンスだったですね。でも、元々ハードロック、ヘビメタ大好き少年だったから、ブルースにけっこう簡単に入って行けたのは大きかったかもしれない。

加茂:ブルースをやっていた人がジャズに目覚めるというのはよく聞きますよね。逆に、ジャズからブルースに目覚めた菊田さんは、その当時、ブルースに対してどのような感覚を持ったのか、知りたいです。ジャズにはなくて、ブルースにはある「何か」が菊田さんを捉えたのでしょうか?

菊田:バークリーという音楽学校の宿命なんだろうけど、理論に裏付けされた音楽の捉え方、あるいは作り方、弾き方ってのが中心になっていて、それを上手にできるのが良しとされていた。なんとなくそういう機械的な音楽へのアプローチに抵抗があったのは事実だと思いますね。

加茂:なるほど。

菊田:あとはやっぱり、ペンタトニックへの愛着じゃないですか? だって、コンディミ(コンビネーション・オブ・ディミニッシュ・スケール)でのらりくらりとフレーズを弾いて行くよりは、カキーンとチョーキング一発交えたブルージーなフレーズ弾いた方が、ホームランって感じするもんね(笑)。コンディミは意表を突くセーフティーバントだよ(笑)。

加茂:ホームラン!と、野球に例えちゃうところが野球少年の片鱗をのぞかせますね(笑)。「コンディミはセーフティーバント」・・これも名言ですね(笑)。

菊田:いっぱいスケールを覚えるのが面倒だったというのもあります。コードチェンジ弾くのも苦手だしね(笑)。

加茂:でも、そういう多彩なアプローチを学んだ上で、あえてペンタトニックで弾かれるというあたりに菊田さんの奥深さを感じます。

菊田:それから、もともと歌のある音楽が好きだったし、親しめるメロディのある音楽が好きだったからというのはあるでしょうね。だから今でも、マイルスやコルトレーンのバラードをはじめ、メロディのあるジャズは大好きで聞いていますよ。

■ブルースの聖地、シカゴへ

加茂:バークリー卒業後にシカゴへの移住を決意されたそうですが、やはりブルースをやるならシカゴに住む、というこだわりがあったのでしょうか。日本に帰って・・・という考えはなかったのですか?

菊田:バークリーを卒業する前年にシカゴに遊びに来たら、バディ・ガイのライブを見てブっ飛び、いくつもあるローカルなブルース・クラブでバンドのライブを見ることができて、ブルースのレベルも断然高かった。さらにシカゴの人や街の雰囲気がすごい気に入っちゃって、卒業する時には迷わずシカゴを選びましたね。

加茂:ブルースのレベルが高い、というのはどういう点で判断されたのでしょうか?

菊田:まずは歌がうまいよね、みんな。それと、リズムが強いし、グルーヴする。ギター・ソロよりも、リズム・ギターで圧倒される事が多かったかな。それに、世界を見ても、バディ・ガイやオーティス・ラッシュやジュニア・ウェルズや、ルイス・マイヤーズやココ・テイラーなんかがローカルでやってる街なんてないもんなあ。当時は、シカゴ・ブルースの創生期の世代がまだたくさんいましたからね。

加茂:なるほどー。そして菊田さんはシカゴの地で、1990年からクラブ・ギグやCDリリースなど多方面でのご活躍が始まったわけですが、プロになったきっかけを教えてください。

菊田:アメリカでは、日本で意味するプロというのはないんですが、クラブで演奏したり、ストリートでプレイしたりして音楽で生計を建てるようになったのは、シカゴ移住して4ヶ月目くらいですか。日本食レストランでバイトしていたんだけど、3ヶ月で馘首になってそれから当時知り合ったミュージシャン仲間に誘われて、昼はストリートで小銭を稼ぎ、夜はブルースクラブに行って飛び入り営業を繰り返して(笑)、少しずつ仕事をもらうようになりましたね。

加茂:日本で意味するプロ、というのはどういう意味ですか? たとえば、プロダクションに所属している、とか、月給制で働いている、といった意味でしょうか? この辺、読者の方にも興味深いところだと思うので、できれば詳しく教えていただきたいのですが。

菊田:僕が言いたかったのは、日本ではプロとアマという言い方をすごくするじゃないですか。実際にはどのへんが境界線なのかは僕にもよくわからないけど、中央に出てスタジオやったりツアー・バンドに入ったり、たぶん音楽で食っていくという状況が(日本においての)プロなんだろうと。アメリカでは、そういう意味でのプロ、アマというのはないですね。シカゴ一といわれる女性の某ジャズ・シンガーの例を出すと、彼女はちゃんと昼の仕事をしている。でも、歌わせたらもう素晴らしいシンガーで、シーンでも第一線で活躍している。誰も彼女を昼の仕事をしているからアマだとは言わないわけですよ。実力があれば、それでオッケーみたいな感じかな。もっとも、ツアーが多くなってくれば、昼の仕事はできなくはなってきますけどね。

■間もなく始まる日本ツアー

加茂:なるほど。・・・ところで続きの質問はまだあるのですが、それは次回にまわすとして、まもなく始まる「Shun Kikuta Japan Tour 2009」の話を先にさせてください。2月15日から3月8日にかけて、札幌から鹿児島まで全16都市に及ぶツアーですが、意気込みは?

→ツアー・スケジュールはこちら

菊田:全国の美味い物を食い尽くしますよ(笑)。はは、それは冗談としても、とにかく一人でも多くの人に見に来ていただきたいですね。ブルースっていいな、とか、菊田のギターって下手だけど気持ちがいいなとか(笑)、なんでもいいからポジティブなものを感じてもらいたいです。そうして世の中に貢献するのが僕の使命だと思っていますから。

加茂:曲はどんなものを予定していますか?

菊田:曲に関しては、オリジナルとブルースのスタンダードが半々くらいかな。スタンダードでもアレンジを変えてみたり、自分の色はどんどん出して行きます。インストもけっこうありますし、ブルースという括りでは収まりきれない菊田の世界をどんどん出していきたいですね。

加茂:楽しみですね!

(この対談は次回に続く!)

▲故・塩次伸二氏と。2008年2月、京都「モジョ・ウェスト」にて。菊田が弾いているのはMoonのTE-Shun Kikuta Model。(撮影:968)

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【菊田俊介Japan Tour 2009】

2009年2月15日(日)の札幌を皮切りに、日本を北から南へ縦断するツアー。「各地のブルースシーンに何かポジティブな影響を与えられれば」という、じつに菊田らしい意向のもと、メンバーにはそれぞれの土地の地元のバンドを起用。そして本場シカゴで鍛えぬかれた菊田のブルース・ギターを、間近で体験する絶好のチャンス!

→スケジュールはこちらをごらんください。

【菊田俊介の教則DVD/教則本】

DVD『シカゴ・ブルース』
DVD『R&Bギターの常套句』
DVD『ブルース・ギターの常套テクニック』
書籍『飛入り歓迎! ブルース・ギター・ジャム・セッション』
書籍『飛入り歓迎! ブルース・ギター・ジャム・セッションR 伝説再臨』

【菊田俊介の最新アルバム】

『Rising Shun』(2007年)
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【菊田俊介のアルバム(主要作品)】

『ゼイ・コール・ミー・シュン』(1995年)
『シカゴ・ミッドナイト』(1996年)
『ライブ・アット・パークタワー・ブルース・フェスティバル/菊田俊介&J.W.ウィリアムス』(1997年)
『ハート・アンド・ソウル/Shun Kikuta and Nellie”Tiger”Travis』(2000年)

加茂フミヨシ

加茂フミヨシ

超絶技巧ギタリスト/クリエイターとして活躍する。傍ら、最先端エレキ・ギター奏法の求道者としても、多くのヒット作教則本を発表。2011年に、スティーヴ・ヴァイがバークリー音楽大学で記録した“世界最大規模のオンライン・ギター・レッスン”のギネス世界記録に挑戦。ヴァイの“ギター・レッスン受講者4,455人”の記録を“8,776人”に更新し、イギリスのギネス・ワールド・レコーズより日本人ギタリストとして正式承認される。世界に名を刻んだエレキ・ギター界の伝道師である。



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