著者たちの語らい─小林信一&加茂フミヨシ(1)

加茂フミヨシ式ギター・トレーニング by 編集部 2009年4月10日

【ゲスト】小林信一「ジャパメタの衰退……ツラい時代でしたね」。『地獄のメカニカル・トレーニング・フレーズ』の著者、ついに登場!

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▲左が小林、右が加茂。 撮影:鈴木千佳

【小林信一 プロフィール】

アニメタル、アンセムのボーカリスト坂本英三のスタジオ・ワークをきっかけに、同氏のソロ・アルバムに参加し、CMソングなどのギター・レコーディング、作曲・編曲、採譜などにも携わる。

ヘヴィ・ロック・バンド”R-ONE”での活動を機に、ESP・SCHECTERギターのモニターとして7弦ギターの開発に協力。

2004年、”超絶系”ギター教則本『地獄のメカニカル・トレーニング・フレーズ』が大ヒットを記録。その後シリーズ化され、韓国版、台湾版も続々とリリースされる。最新作は、第6弾の『地獄のメカニカル・トレーニング・フレーズ 反逆の入隊編』(2009年4月4日発売)。2007年4月にスタートした『ギター・マガジン』の連載セミナー「月刊☆地獄通信」も続行中。

現在はボーカリスト井上貴史(Concerto Moon)率いるロック・バンド”BLOOD IV”にて、国内のみならずメキシコや韓国でライヴ・ツアーを行なうなど海外においても精力的な活動を展開。2009年2月には、地獄シリーズの著者4人によるスーパー・バンド”地獄カルテット”の1stアルバム『この世の地獄物語』もリリースした。

【小林信一 公式サイト】

七弦の星
小林信一ブログ

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■少年時代

加茂:ヘヴィ・メタルのギタリストは、この対談企画では小林さんが初めてなんです。僕自身、ヘヴィ・メタルは小林さんのようは弾けないけれど、聴くのも弾くのも大好きなので、すごく楽しみにしていました。

小林:ありがとうございます。

加茂:では早速。まず小林さんが楽器を始めたきっかけを教えてください。最初からギターでしたか?

小林:いえ、僕は小学校から中学校までブラスバンドでトランペットを吹いていました。楽器としてはそれが初めてですね。ただ、トランペットを始めた10歳ぐらいの時から、なんとなく将来自分は音楽家、ミュージシャンになっているだろうなって思っていました。

加茂:10歳の時点でですか? すごいですね。その頃はどんな音楽を聴いていたんですか?

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小林:小学校の高学年ぐらいでは、YMO、というかスネークマンショーが好きでしたね。それと……谷村新司さんも大好きでした。歌うことも好きだったので、歌か楽器かで迷っていたこともありましたね。

加茂:メタル、というか洋楽ではなかったんですね。

小林:全然聴いていなかったですね。

加茂:ではギターを始めたのは?

小林:高校で軽音部に入ってからです。その頃はトランペットは止めていましたし、ちょうど80年代のメタル・ブームで、ギターを聴く機会も多かったですから。

加茂:その頃だと、ボン・ジョヴィとかですか?

小林:ええ。ボン・ジョヴィが大ブレイクしたのが、ちょうど僕が高校1年生の時です。ロックをロックとして聴き始めた頃だったので、リアルタイムで好きだったバンドですね。

加茂:しかし、谷村新司さんからボン・ジョヴィって、けっこう飛びますよね(笑)。

小林:あっ、小学生の頃は谷村新司さんとか井上陽水さん、演歌歌手とかが好きだったんですけど、中学生の時は安全地帯が好きだったんですよ。

加茂:ああ~、ギターうまいですもんね。

小林:ええ。もちろん玉置(浩二)さんの歌も好きだったんですけど、あのギター・サウンドも大好きで、どっぷりハマっていましたね。バンドっていう形態がカッコいいなって思い始めたのも、安全地帯がきっかけ。高校に行ったら僕もバンドをやろうと思っていました。……その時はボーカルのつもりでしたけどね。

加茂:ということは、高校の軽音部でやっていたのもボーカル?

小林:ええ。ボーカルで安全地帯のコピー・バンドをやっていました。まあ、すぐにハード・ロックが好きになってボン・ジョヴィとかもやっていましたけどね。

加茂:他にはどんな音楽が人気だったんですか?

小林:LAメタルですね。モトリー・クルーとかも人気でした。

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加茂:ああ、僕も大学生の時にコピー・バンドをやっていましたけど、あのへんのバンドってボーカルをコピーするには高声を出すのが日本人にはキツくなかったですか?

小林:確かに出ないですね。キーを落としたりもしましたけど、モトリー・クルーなんて最初から全音下げ。さらに下げてどうするんだって感じですよね(笑)。安全地帯やボン・ジョヴィぐらいならまだ良かったんですけど、ハイ・トーンのボーカルも好きになってくるし、自分ではそれが出せないっていうこともわかってくる。だんだん、歌からギターに興味が移っていきましたね。ギターなら音が出ないっていうことはないですから。

加茂:それで本格的にギターを始めたわけですか。

小林:ええ。高校1年の時は歌だけでしたけど、2年になってギターを始めました。最初は、歌いながらギターも弾けたらカッコいいかなって程度でしたけど(笑)。

加茂:その頃よくコピーしたギタリストは誰ですか?

小林:一番はドッケンのジョージ・リンチですね。一番僕自身にヒットしたギタリストでしたし、今でも変わらずナンバー・ワンです。一番大きな影響を与えてくれましたね。

加茂:ということは、あの一風変わったアングルのピッキング・フォームとかも真似したり?

小林:最初は真似していましたけど、全然弾けない(笑)。いまだにあのフォームのコツは謎ですね。

加茂:余談ですけど、ジョージ・リンチはいつでもピッキング・ハーモニクスが出せるんですかね? 僕はダウンでしかピッキング・ハーモニクスが出せないですけど、アップでも出す人がいますよね?

小林:僕はアップでも出せますね。オルタネイトでピッキング・ハーモニクスを出すのは夢でしたし(笑)、かなり練習しましたよ。

加茂:夢なのも凄いし、弾けるのも凄い!!(笑)アップでどうやって出すんですか?

小林:ピッキングの時に親指の先端を当てるんです。

加茂:ちょっと手首を回転させる感じですね?

小林:そうですね。普通に親指の先端が触れれば鳴るので、そんなに難しくないと思いますよ。……ただ、そんなに実用性はないですけどね(笑)。

■大学時代

加茂:ところで、プロとして活動を始められたきっかけですが、アンセムやアニメタルのボーカリスト、坂本英三さんのスタジオ・ワークに参加されたのが最初だとか。どういう経緯だったんですか?

小林:そもそもの話をすると、英三さんは大学の先輩だったんです。僕が入っていたサークルのOBが英三さんで、OBが集まる会で知りあったんですよ。

加茂:話はズレますけど、小林さんって理系だったそうですね。僕も大学は応用数学科で、理系のギタリストっていうことで親近感があるんですよ(笑)。

小林:僕も本当は応用数学とかに進んで、コンピューターとか計算式だけをやってみたかったんですけど、実際は化学の専攻で実験とレポート作成の毎日でしたね(笑)。

加茂:ハハハ。ちなみに、大学に進学した時は音楽についてはどう考えていたんですか? 先ほどの話だと、10歳の時にミュージシャンになると思っていらしたわけですけど。

小林:もちろん、音楽は続けるつもりでした。高校でバンドを組んだ時から、将来はミュージシャンになると決めていましたから。ただやっぱり、親はバンド1本でやっていくことには大反対でしたね。

加茂:僕の場合とまったく同じですよ(笑)。大学では、すぐに先ほどのサークルに入ったんですか?

小林:それが……、大学にはさまざまな音楽ジャンルのサークルがあって、てっきりメタル系のサークルだと思って最初に入ったところが、 全然違ったんですよ。

加茂:えっ!?

小林:1年生の時に、いつも長髪にウェスタン・ブーツという、すぐに舞台に上がれそうな格好をしている先輩のサークルに入ったんですね。もう、集まってタバコを吸っているだけでカッコイイ感じで、これはメタルだと思っていたんですけど、実はグラム・ロックのサークルだったんです(爆笑)。

加茂:ハハハ! ずいぶん違いますよ!(笑)

小林:言われてみればスカーフしているし、グラム・ロックだった(笑)。……かと言ってすぐ辞めるわけにもいかず、メタルをやることも許してもらっていたんで、とにかく1年間ガマンして在籍しました。

加茂:それで2年になってやっとメタルのサークルに移るわけですか(笑)。でも、実験の毎日ではギターを弾く時間なんてなかったのでは?

小林:ええ。時間はなかったですね。だからとにかく寝ない、ですね。ただ、楽器を買うにしてもお金が必要ですし、バイトもしなくちゃいけない。とにかく短い時間で高給のバイトを探しましたね。

加茂:どんなバイトですか?

小林:塾の講師とか家庭教師ですね。

加茂:……メタルの格好で、ではないですよね?

小林:いえ、さすがにシャツは着ていましたけど(笑)、このままですよ。ネクタイは必要でしたけど、長髪は話をして許してもらいましたしね。塾としても、ロックな、変わった先生がいるっていうのは生徒の目を引きますから(笑)。

加茂:それはスゴイ! 濃い大学生活ですね(笑)。その頃はライブ活動もしていたと思うんですが、メタルだとどういうライブハウスに出るんですか?

小林:目黒の鹿鳴館とかライブステーションなど、先輩バンド達が出ていたところが中心ですね。「X JAPANとか有名なバンドも、ここがスタートだったんだよ」みたいな話に憧れてやっていました。

■メタル失速の時代を越えて
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加茂:ひとつお聞きしたいんですが、日本のメタルって、ある時期にいわゆるメタルとヴィジュアル系的なものとで枝分かれしましたよね。小林さんのスタイルとしては、どういう方向性を考えていたんですか?

小林:あの当時はヴィジュアル系はイヤでした。「俺達はホンモノで、化粧とかは必要ない」って思っていましたね。

加茂:アンセムとかラウドネスの路線ですね。ただ、ある時期からヴィジュアル系バンドに比べて活動する場が狭まってしまいましたよね。そのジレンマとかはありませんでしたか?

小林:ありましたね。……それが原因で一度バンド活動を止めてしまいましたから。ちょうど僕達が活動していた頃はジャパメタが衰退して、今で言うV系が活性化してお客さんも増えていった頃。オーディションでテープを持っていっても、「ヘヴィ・メタルです」って言うと「ウチはヘヴィ・メタルは出れないんだ」って断られたりしました。

加茂:当時、僕はアマチュアでしたけど、シーンの移り変わりは見ていましたよ。邦楽がJポップって呼ばれ始め、ジャパメタは失速していった時代ですよね。

小林:何かにあたりたい、ツラい時代でしたね。がんばろうにもがんばりようがないわけですから。

加茂:ロックというものが、クランチ・トーンのギターをかき鳴らす方向に変わりましたしね。速弾きとかテクニカルなギターはヴィジュアル系に行くか、B’zのフォロワー的な方向性に行くしか生き残れない時代がありましたよね。……でも、小林さんの音楽って、それこそジョージ・リンチとかの王道的で、かつ伝統的なメタル・スタイルを貫いている印象を感じました。どうやってあの時代を乗り越えたんですか?

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小林:ああ、すごく良い質問です。当時は、とにかく活動ができないし、バンドを続けていくことも難しかった。と言っても時代を戻すことはできないわけで、心苦しいんですけど、いったんバンド活動は止めてしまいました。ヘヴィ・メタル・バンドというこだわりは一度リセットして、ギタリスト小林信一という道を進んでみようと思ったんです。

加茂:ギター1本で、と方向転換したわけですね。

小林:アンセムやラウドネスの頃とは時代が違う、と言うとキレイですけど、要は一度そこで諦めたわけです。そこからはいちギタリストとして何ができるかを、ひとつひとつ積み上げていこうとしました。……その時は髪も切りましたよ。

加茂:いわゆるギター・インストみたいな方向性も考えていたんですか?

小林:ソロっていうのは、いずれできればいいかなって感じでした。いわゆるシュラプネル系のギタリストというよりは、もう少し幅広い意味でギタリストとして活動していきたいと思っていましたね。幸い今は、こうして教則本を作れたりバンド活動ができたりしていますね。

加茂:シェクターで7弦ギターの開発に携わったりというのも、そのひとつですよね。小林さんにとって、7弦ギターの魅力とはなんですか?

小林:1本弦が増えただけですが、やっぱり新しい楽器ですし、いろいろな新しい可能性を持っていると思います。

加茂:演奏面で難しいこととかはありますか?

小林:弦が多いぶん、ミュートとか、気にしなくちゃいけないことは多いですね。

加茂:手が大きくないとダメとか?

小林:いや、大きいにこしたことはないですけど、僕ぐらいの手でもそれほど気にならないですね。

加茂:ちょっと左手を比べてもいいですか? (手を重ねて)確かに、僕が大きめっていうのもありますけど、それほど大きくはないですね。……ポール・ギルバートとかは、さらに大きいですもんね(笑)。

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小林:スティーヴ・ヴァイとかも大きいですよね。

加茂:僕自身、例えばシュラプネルとかのテクニカルなプレイをコピーしようとした時、まずつまづいたのがストレッチだったんですよ。小林さんがお好きなジョージ・リンチもストレッチを多用しますが、どうやって身につけましたか?

小林:とにかく横に指が広がるように、拳を挟んだりして広げていましたね。とにかくヒーローがジョージ・リンチでしたから、「ストレッチができなきゃギターを辞めろ!」みたいなノリでしたね(笑)。彼は肉体派ですから、きっとそう言うはずだ、と(笑)。……多分Mなんでしょうね、僕は(笑)。「ツライ! でも気持ち良い!」みたいな感じでした(笑)。

(この対談は次回に続く!)

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加茂フミヨシ

加茂フミヨシ

超絶技巧ギタリスト/クリエイターとして活躍する。傍ら、最先端エレキ・ギター奏法の求道者としても、多くのヒット作教則本を発表。2011年に、スティーヴ・ヴァイがバークリー音楽大学で記録した“世界最大規模のオンライン・ギター・レッスン”のギネス世界記録に挑戦。ヴァイの“ギター・レッスン受講者4,455人”の記録を“8,776人”に更新し、イギリスのギネス・ワールド・レコーズより日本人ギタリストとして正式承認される。世界に名を刻んだエレキ・ギター界の伝道師である。



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