過程の連続としての音楽~Dinosaur「Kiss Me Again」

青真鶴日記 by 青野賢一(真っ青) 2010年8月26日

8月某日
荒々しくもタイトなドラム、エキセントリックなギター、ソウルフルではあるが同時に不安定さも感じさせるボーカル。Dinosaur「Kiss Me Again」は13分という長さを感じさせない疾走感をもって駆け抜けてゆく、アンダーグラウンドディスコチューンだ。

Dinosaur(ダイナソー)名義で1978年に世に出たこの曲は、実質的にはArthur Russell(アーサー・ラッセル)の初めての商業的作品であり、また自身初のリーダー作でもある。先頃発売された『アーサー・ラッセル -ニューヨーク、音楽、その大いなる冒険』(ティム・ローレンス著・山根夏実訳・野田努監修 P-Vine BOOKS刊)によれば、インドやアフリカ、バリのガムランなどを研究し、その反復性に着目していた音楽家Arthur Russellは、ニューヨークのディスコ「The Gallery」を通じてディスコミュージックの反復性にも敏感に反応し、その熱気やエクスタシーを文字通り肌で感じて、「The Gallery」を運営していたNicky Sianoにレコード制作を持ちかけたそうだ。

レコーディングに際しては、ドラムとベースが2人ずつ置かれ、互いがぶつかり合うようなヒリヒリとしたセッションを繰り広げ、またギターでDavid Byrneが参加し、独特なプレイを展開している。

ところでこの12インチは、A面とB面ではずいぶんと印象が異なる。A面はJimmy Simpsonによるリミックス、B面は「Version」としてDinosaurリミックスつまりセルフリミックスが収録されている。

私を虜にしたのは、言うまでもなくB面の「Version」の方だ。ボーカルを片方のチャンネルに寄せ、逆のチャンネルにボーカルに呼応するようなトロンボーンのリフを配置するという、正気とは思えないパンニング、ダブルで重ねながらも微妙に合っていないボーカルなど、A面の整い具合に比べるとラフで、未完成な荒削りさがこの「Version」にはある。

先の本によれば、Arthur Russellは、この曲に限らずいつまでもマスターに手を加え、幾つものヴァリアントを作っていたそうだ。音楽を定着させることは音楽を終わらせること。そんな風に考えていたようである。整えることが当たり前となっている現在の音楽(とりわけポピュラーミュージック)とは全く異なる、過程の連続としての音楽が、Arthur Russellにとっての音楽だった。

彼の死後、幾つかの未発表音源が日の目を見たが、そういう点から言っても、彼の音楽はずっと現在進行形の未完成なままで、だからこそ他の何物にも代え難い存在感を放ち続けているのだろう。

KISS+ME+AGAIN+A+SIDE

『Kiss Me Again』Dinosaur

レーベル:Sire
1978年

書:華雪
「青真鶴日記」「真っ青」の書は、書家 華雪さんによるものです。
http://www.kasetsu.info/

青真鶴日記 by 真っ青

青真鶴日記(あおまなづるにっき)は、真っ青(山崎真央/鶴谷聡平/青野賢一)の3人がそれぞれのスタイルで音楽を見つめ綴っていく、日記形式の連載です。青→真→鶴(=青真鶴!)の順にリレー形式でお送りします。

真っ青

クラブのみならず、ファッションショーやホテル、ショップ、カフェなど、およそ音楽と触れ合うことが出来る空間すべてに良質な選曲を提供してきた山崎真央(gm projects / AKICHI RECORDS)、鶴谷聡平(NEWPORT)、青野賢一(BEAMS RECORDS)の3人が結成したユニット「真っ青」。20年以上のDJキャリアに裏付けされたスキル、レコード・CDショップのバイヤー経験がもたらす豊潤な音楽的バックグラウンド、そしてアート、文学、映画などにも精通する卓越したセンスから生まれるそのサウンドは、過去、現在、未来に連なる様々な心情を呼び起こし、聴くものの目前に景色を描き出すものである。


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