2013年2月9日から2月17日まで、「音的|soundlike ( spatial / humane / time / observational )」という個展を開催した。1年間にわたって今展の会場となったアサヒ・アートスクエアにて「蓮沼執太のスタディーズ」というリサーチ・プロジェクトを行い、その場所の理解を深めた上で作っていった展覧会。 場所が東京だけあり、会期も9日間と短いことから、僕は毎日展示スペースに通い、コツコツと日記を書いていた。作品解説のような一面もあるが、朴訥に当時の気持ちが現われている記述だと感じる。その内容を公開していこうと思う。
2月9日(土)
他人の気持ちなんてわからないんだから、歩み寄ってみる
『手すりの気持ち|Hearts of Handtail』という作品があります。今展はアサヒ・アートスクエアの4階と5階に作品を展示しています。その階層を行き来できる階段にインストールしてみました。果たして、この作品のことをみんな気付いているのだろうか?このスペースはお風呂みたいな天然リバーブが在る、白壁の非常階段のようなところ。そこの手すりに小さいスピーカーをいくつか設置し、とても小さい音楽が再生されています。こうやって言うと、少し冷たいヒトみたいに思われてしまいますが、結局ヒトは他人を理解できないもの、と思っています。でもこれはネガティヴなことではありません。理解出来ないからこそ、その対象に向かって、自分から歩み寄って、考え、想像をしてみる。こういう行動そのものが大切な気がしています。なので、あなたも微音がする手すりに歩み寄って耳をすまして聴いてください。
2月10日(日)
4階作品の音/そのミキシングのこと
いわゆる「音の干渉」というのは最初から受け入れているのは前提で、今回はより一歩先へ踏み込みました。鑑賞者の意識を動かす運動を作りたいと思いました。それは聴取の問題でもあるのですが、敢えて全体的に会場で響く音をテクニックでまとめあげず(=上手にミキシングをして、調和のとれた音響・音楽にせず)荒削りな状態にさせておくことで、鑑賞者にとってそれが、どこからが音で、またどのタイミングでそれが『音楽』になるのか。つまり観てくれている/聴いてくれている人自身の意識の中で「音」を聴くことで「音楽」作ってもらいたいと思ってます。荒削りな音たちを「音楽」として掴み取ってもらうイメージです。それは鑑賞者にキャッチしてもらうので、それらの作品や空間の捉え方は、鑑賞者への鏡にも成りえます。4階作品『コミューナル・ミュージック』はサウンド・インスタレーションではあるけれど、それ以外の音が出力される作品たちは、あくまでマテリアルの1部としてのサウンドがあるコンセプションです。
蓮沼執太
