1:ぶれの音楽

音楽からとんでみる/蓮沼執太 by 蓮沼執太 2011/07/08

ぶれている音楽。僕はブルブルとぶれながら、振動しながら、作品制作をしている。

れている音楽。僕はブルブルとぶれながら、振動しながら、作品制作をしている。

アメリカに「Western Vinyl」という小さな音楽レーベルがある。
インディーズ・ミュージックを扱う世界のレーベルの中でも、とても小さいレーベルのひとつ。
そんなレーベルから、2006年の10月に初めての音楽アルバムを発表した。

その年の4月に大学を卒業した僕は「これが自分の作品だ。」と胸を張って呼べるものを
どうしても、どうしても作りたかった。
こんなモヤモヤとした気持ちを素早くカタチにする表現が、自分にとっては「音楽のアルバム」だったようだ。
今思うと、当時は音楽、映像、写真、絵画、彫刻、文章でも、「作品」と呼べるようなカタチができれば、
どんな表現でも良かったのかもしれない。

そんな初めての音楽アルバムは、とてもシンプルな構造で作られている。
大学在学中からフィールドワークのときにマイクで集めたたくさんの環境音と
プログラミングのパッチから出力した電子音を自分の演奏にのせていくスタイル。

とても簡素な音楽。自分の内側から自然にできた作品。
だから、作り方としてのアンビエントアルバムだと自分で思っている。
これといった方法論もなく、歌のメロディも歌詞もなく、何も起こらない音の響きを集めていく。
ただがむしゃらに12曲をアルバムの容器へと落とし込む。

目的は作品を完成させること、この1点。それにまつわるプロセスすべてが初めてだらけ。
アルバム用に録音をすること、音楽レーベルとやり取りを交わすこと。
徐々にアルバムのカタチが見え始めたら、今度はアルバムのアートワーク、デザインの制作を進めること。
と、次から次へと、すべてを自分自身で作り上げていく。
これが作品制作の醍醐味、作品をつくりたいという欲なんだ、と感じた瞬間だ。

確かに結果や目的を達成することは大きな感動を生む。
けれど僕にとっては、その結果に到達するまでの紆余曲折するプロセスがとても魅力的でスリリングで、
人間を、自分を成長させるのである。
その度に、新しい考え方、理解の仕方を与えてくれる。プロセスが一番大切なんだと気づかせてくれる。

分の音楽制作のスタンスについての話や意見で、こう聞かれることがよくある。

「アルバムごとに作風が変わって、いろいろな手法でコンサートをしていますよね。」
朴訥とした意見であったり、不思議そうな顔をして質問されるときもあったり、偏りがあることも多い。

もちろん作家としての一貫性を極め、決まったスタイルを継続しつつ発展させていくようなすばらしさもある。
音楽であれば、その一音が鳴るだけで作家の顔やその人らしさがわかる音。人知れず覚える音。音の感触に
その人のスタイルが強く刻まれる音。
それはある種ひとりの作家としての一貫性であり、鮮やかな個性だと思う。強く憧れる。

では、自分の活動に一貫性は存在するのだろうか、と考えてみる。
当たり前のように、制作している作品やその環境、時間が違えば、関わってくれる人間やコンテクストも違ってくる。

僕の場合、アルバム作品、パフォーマンス、コンサート、インスタレーション、他のアーティストの共同作業など、
発表の機会があるならばいかなるときでも、いちいち真剣に、かなり真剣に向き合ってきた。
そのチャンスに正面から向き合えば向き合うほどに、自分の作品はその場所やその環境に適したものになると
無根拠に信じているところもあったりする。

そんな風にして活動を続けていき、一回一回の機会に対して全力を尽くしていくことが、
僕にとっての作家としての一貫性なんだと、思えるようになってきた。
まっすぐ筋を通しながら、通していきたい、と思いながら、右へ左へハンドルを切りながら少しずつ前に進んでいく。
なので、いつだって僕は「真っ直ぐに、ぶれていく」みたいだ。

そんな原点が、やはり1枚目のアルバム制作過程とその結果であるCDなんだと感じるときがある。

品が無事に完成し、一連の作業は終わりだと思っていたら、まったくそうではなかった。まだまだ行う
ことがあった。
それは、完成したその作品をオーディエンスに届けるということ。これも制作過程の1つだ。

僕はこのアルバム1枚目の完成時から今の2011年まで、一度もプロモーション活動というものをしたことがない。
ここで言っているプロモーション活動というのは、媒体、メディアに作品をピックアップしてもらうために、
音楽レーベルが宣伝費を出してアルバム作品を広告をすること。

作品をオーディエンスへ届けるためには、欠かせない大切な行程。
そんな音楽流通の世界では当たり前のようなシステムを僕は受けたこと、使ったことがない。
さらに実は、そうでもしないと多くの批評家、評論家はアルバム作品を媒体で取り扱ってくれません。
目に見えないシステムがあります。これは活動を続けてきてわかったこと。
音楽雑誌に至っては、紹介してくれたのは英国音楽雑誌『WIRE』のみ。
だけど、考えてみれば、アメリカの小さいレーベルから出た日本人初期作品。メディアの大半は目に入るわけもない。
アルバム楽曲自体が電子音、環境音が中心のインストゥルメンタル音楽であるから、それは当然と言われれば、
そのとおり。

その出自と偶然で現在まで辿っている道なわけで、自身の活動を制限されるものもなく、責任も自分で負っている。
自分で自由に判断し、活動を続けさせてもらっていることは、それはそれで、とても光栄なこと。
本当にラッキーなこと。

だからこそ、僕は過程が一番楽しい。
いつまで経っても完成しない時間。ずっと作っている最中に居たい。これからもまったく変わらない。
それは、ずっとアマチュアを続けることに近しい。

蓮沼執太

蓮沼執太 1983年東京都生まれ。東京藝術大学大学院映像研究科研究生修了。音楽作品のリリース、蓮沼執太フィル/チームを組織して国内外でのコンサート公演、コミッションワーク、他ジャンルとのコラボレーションを多数制作する。音楽祭『ミュージック・トゥデイ』を企画・構成をする。主な個展に『音楽からとんでみる3|have a go at flying from music part 3』(2011年 ブルームバーグ・パヴィリオン|東京都現代美術館)、『音的|soundlike』(2013年 アサヒ・アートスクエア)。舞台作品に『TIME』(2012年 神奈川芸術劇場、国立新美術館)、音楽アルバムに4枚組CD『CC OO|シーシーウー』(2012年 HEADZ / UNKNOWNMIX)。 http://www.shutahasunuma.com/

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