第31回:Akira Sunsetインタビュー(前編)〜僕がAkira Sunriseだったら、きっともう消えてる

WEB版 職業作曲家への道 by 聞き手:山口哲一 2017/01/13

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プロの作曲家は、いかにしてこの道に入り、日々どんなことを考え、どんな生活を送っているのか。この連載では、職業作曲家たちの知られざる素顔を、プロデューサーの山口哲一氏のナビの元、お届けしています。今回のゲストは、Akira Sunsetさん。いったい、どんなお話が飛び出すのでしょうか?

乃木坂46への多数の楽曲提供で、いま乗りに乗っている作曲家のAkira Sunsetさん。今回は、山口哲一氏主宰の作曲家養成講座「山口ゼミ」のクローズドな講座にAkira Sunsetさんが登壇された際の模様を、2回に渡ってお届けします。普段はなかなか聞くことができない人気クリエイターの本音が詰まった、貴重な対談です。前半ではまず、作家としての活動を始めるまでのことや、自身のブランディングのことなどがテーマとなった、要注目の内容です。

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バンドに入ってから、本気で歌をやり始めた

山口 Akiraさんとは、今回お話するのが初めてなので、非常にフレッシュな会話ができるのかなと思っています。山口ゼミというのは、プロの作曲家になりたい人が集まっている場なので、Akiraさんがどういうふうに作曲家として成功するに至ったのかを伺って……。

Akira いえいえ、まだ成功しておりません、はい。

山口 では、どう成功しようとしているのかを、お話いただけたらと思います(笑)。まずは、どういう風に音楽に目覚めていったのかというところですが。

Akira もともと、歌が好きだったんですね。小学校くらいのときに、学芸会みたいなのがあるじゃないですか。あれで先生から「歌のリーダーをやって」と言われて、「おれ、歌がうまいのかも?」って思ったのが最初ですね。そのあと、中学生くらいで「歌手になる!」って思ってたので、まさか作曲家になるとは思わなかったですね(笑)。

山口 楽器の演奏は?

Akira 中学のときにギターを持ってたんですけど、僕は飽きっぽいタイプなので、タブ譜の時点で諦めまして(笑)。そこからはジャカジャカ弾くくらいの感じで、弾き語りをずっとやってて、普通にオーディションとか受けたりしていました。高校生のときに3曲くらい作ったんですけど、「なんでこんな大変なことをやらないといけないんだろう?」って(笑)。だから「これは俳優になろう!」と思って。「俳優になってから歌をやった方が、注目されるし、売れそうじゃん」と。最初は、そういう動機です。

山口 ライトなノリが良いですね(笑)。

Akira すいません。ナメてましたね。。。ただ、別に演技をやりたかったわけでもないし、オーディションに行ったら「特技は?」とか聞かれて、結局歌っているわけです(笑)。で、やっぱり歌手になろうと思ってレッスンとかに行くんですけど、割と優等生が多くて、「なんか違うな」ということで、「俺はバンドをやろう」と。それでバンドに入ってからですね、すごい本気で歌をやったりしたのは。今までうまいと思ってたのに、全く通用しなくて悔しかったです。それでバンドをやっているうちにラップに出会って、ひたすらラップを勉強していく。この時期が一番ハードでしたね。ラップに教科書なかったし、今ほどいろんなフローがなかったですから。クラブもあんまり好きじゃないのに頑張って通ってましたね(笑)。

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Safariiでハワイデビューさせてもらった

山口 そういった経緯を経て、まずはアーティストとしてメジャーデビューされたわけですね?

Akira バンドのときの出逢いから広がって、デビューしたのが26歳。だから、結構遅いです。

山口 そこではどんな役割だったんですか?

Akira 僕はトラックを作れなかったので歌とラップをやるという感じだったんですけど、グループのトラックメイカーのペースが遅くてファーストシングルのカップリングから全部僕が曲を作る事になりました。要は、「作曲をしなくちゃいけない」というところに戻ってくるんです。バンドの頃はオケはバンドが作ってその上にラップとメロディを乗せるだけでしたから。それでとりあえず頑張ってバイトしてMacを買って、GarageBandを入れて、ドラムだけ打って、あとはギターを入れてっていう感じでデモを作っていました。あの時はかなり恨みましたけど、そのおかげで僕は曲を作れるようになっていった。感謝ですね。で、メロディセンスを買って頂いていたので、グループがあまりうまく行かずに解散するときに「お前らのやりたいことをやれ」って言ってもらえて。僕はアコースティックなHip Hopが好きで、掘って行くとJawaiianって言うハワイのReggaeやHip Hopの要素が入った音楽に出逢いました。そして向こうの曲をサンプリングしたりしてデモを作ってるうちに、ひょんな事からハワイデビューをさせてもらったんですよ。

山口 事前アンケートで、Akiraさんにはご自身の代表作を何曲か選んでいただいています。Safariiでは、「この恋にさよなら」を挙げていただいていますね。

Akira この曲はJ-popとレゲエの要素がバランスよく入った曲ですね。元々Safariiはレゲエで行くって言うコンセプトだったんですけど、アルバム一枚裏打ちで作っちゃうとやっぱりちょっと飽きちゃって。。。2枚目からは割といろんなジャンルにチャレンジしたんですが、その辺でいろんな曲作るの楽しいなって事に少しずつ目覚めていきます。

辛かった思い出の方が覚えている

山口 アーティストとしてまずはデビューして、楽曲提供の最初はどういったアーティストへ?

Akira 最初はRSPと言う同じレーベルのグループですね。そのあとしばらく自分の曲だけ書いてたんですが、何年かして大国男児っていう韓国の5人組の男の子グループに書かせて頂きました。2グループとも歌とラップを混ぜたスタイルだったので得意な感じでした。

山口 大国男児では、「 White Love」を挙げていただきました。

Akira そんな中この曲は全員ボーカルなのでアカペラで作ったんですけど、提供作品で、編曲までやったのは初ですかね。作曲もデモ作りも大変だしレコーディングは昼から始めて朝までかかりました。とにかく大変でしたね。だから、いまだにずっと、やり遂げた感が残っています。思い出って、例えば土砂降りでズブ濡れになった日とか、辛かった時の方が覚えているじゃないですか?もちろん今聴いても手前味噌ながら名曲だと思います。

山口 その後はどんなアーティストに楽曲提供を?

Akira いろいろなアーティストに提供している内に乃木坂46と言うグループが生まれて、そこからは割と乃木坂一色で書いてました。最初は中々通らなかったんですけど、何故通らないかを考えながらコンペに出しているうちに少しだけコツがつかめてきた気がしています。「波乗り作詞作曲家」と名乗って、アコースティックな曲をメインにラップなんかを混ぜて、という楽曲を目指していたんですけど、求められる事やコンペを勝ち抜く為になんて考えているうちにどんどんオールジャンル化していきました。

名刺をもらったときに、覚えられる肩書を

山口 「波乗り作詞作曲家」というのは、変わった肩書ですよね。

Akira 僕がここで話せるのは技術的なことではなく、こういうことかなって思うんですけど。要は、名刺をもらったときに、みんな「ディレクター」「プロデューサー」とか「コンポーザー」って書いているんですよ。そもそもコンポーズって何?今もよくわかんないです。それでは、覚えられない。でも「波乗り作詞作曲家」っていうと、「なんですか、それ?」って聞かれるんですよ、この「なんですか」、それで1個勝ちなんです。別に「変なことをやれ」というわけではなくて、自分で自分をブランディングしていくというか……。音楽と一緒でフックがいるんですよ。僕はサーフィンが好きで、アコースティックな音楽が好きだったので、「イメージと通じるこういう曲ができますよ」ということが、その一言に集約されているんです。アレンジはそこまで得意じゃなくて、基本は作詞作曲なので、「波乗り作詞作曲家」。「あ、作詞作曲だったら、あいつに頼もう」って。「波乗り? なんか乗ってる気がするなぁ」。こういうところです(笑)。

山口 そういえば、Akira Sunsetという名前はいつ付けたんですか? 本名じゃないですよね?

Akira 本名じゃないです(笑)。「波乗り作詞作曲家」と同じタイミングで付けました。もともとAkiraという名前で活動していたんですけど、作家になると、「どこのAKIRAやねん?」っていう話になるじゃないですか。それで何か考えようっていうときに、夕日っぽい、切ないアコギソングが好きだから、Sunsetって付けようかなって。

山口 作曲家で本格的にやろうとしたときに、ブランディングで付けたわけですね?

Akira そうです。

山口 それは素晴らしいですね。

Akira 要は曲調が分かる、今は、求められるものをやっていった結果、いろんな曲を書く人になっているんですけど。「もともとはこういう人だよ」っていうのが、名前で分かる。でも、僕がAkira Sunriseだったら、きっとダメだったでしょうね。「何こいつ、調子に乗ってるの?」ってなりますから。でもSunsetって、割と控えめじゃないですか?

山口 そんなこともないと思うけど(笑)。

Akira さっきの「波乗り作詞作曲家って何やねん?」というのと同じで、「沈んでるやん!」って言われるんですよ。

山口 それは関西人だけでしょう?(笑)。

Akira 例えば関西の方には必ず突っ込まれるんです。「お前、沈んどるやんけー!」って。それで、「いえ、また昇るんですよ」って。「1回沈んでるんだけど」っていう説明が付けられると、またインパクトが残るんですよね。

山口 それもそうだし、Sunsetって響き自体が綺麗だけどね。

Akira ええ。そもそも好きなんですよ。夕陽って晴れてる日はほとんど見れるじゃないですか。それなのに特に都会にいると意識しないと見れないし、ふと気づくと終わってしまう刹那な時間で。だからこそ見た時に感動出来るのかなって思います。夕陽の様に、僕の曲を見つけてくれた人に感動を与えたいですね。

山口 しかし、名前の話でこんなに盛り上がるとは!

Akira 名前は、めちゃめちゃ大事ですよ。一昨日かな、大先輩主催の飲み会があって、50人くらい有名な作家さん来たんですけど、かなりの方が僕の名前を知ってくれていました。これは自慢でもなんでもなく、まだ駆け出しの自分がこんなに名前を知って頂けてるとは思いもしませんでした。逆も然りで特徴のある名前の方は全員分かるんです。「ああ、お字面は見かけております」、みたいな不思議な挨拶から入るみたいな。オジヅラって。笑

POST SCRIPT by 山口哲一

新世代のヒット作曲家という印象を持ちました。ポジティブバイブレーションを感じるし、明るい。それでいて目的に対して合理的で、余計なことは考えないという割り切りが話を聞いていて気持ちよかったです。

「Akira Sunset」という作家名や「波乗り作詞作曲家」という肩書など、フリーランスクリエイターに大切なセルフブランディングも秀逸だなと思いました。僕も山口ゼミの最後の講座で、「作家名を今月中に決めなさい」と指導しています。理由は、「コンペに通ってから考えていたのでは間に合わない」からです。ネーミングのポイントは、SEOチェック(検索した時に同名の有名人などノイズがはいらないか)で、そこがクリアーなら本名も推奨しますが、強く言うのは「名前の使い分けはただの自己満足だからしない。一つの名前を一生使うと決めること」です。

Akira Sunsetさんの「成功事例」を、指導の際に、今後は引用させてもらおうと思います。

Akira Sunset

自身のユニットSafariiとして2007年Hawaiiでデビュー。そして2008年Sony Music Recordsからメジャーデビュー。3rd single「この恋にさよなら」がスマッシュヒット。YouTUBE再生回数は現在700万回を突破。http://safarii.jp/

2012年後半から波乗り作詞作曲家と銘打ち作家活動を始める。
2014年乃木坂46に楽曲提供した「気づいたら片想い」が60万枚を越え2014年オリコン年間10位。
2015年作編曲した乃木坂46「今、話したい誰かがいる」は映画「心が叫びたがってるんだ」の主題歌に。そして70万枚を超え2015年オリコン年間6位。
2016年、NMB48に提供した「道頓堀よ、泣かせてくれ!」が映画「DOCUMENTAY of NMB48」の主題歌に。
作編曲した乃木坂46「ハルジオンが咲く頃」は80万枚超えを果たす。
現在、多方面のアーティストやNTT Docomo、JA全中等の企業系楽曲も手掛ける。http://hoverboard.co.jp/artists/18/

山口哲一(やまぐち・のりかず)

(株)バグ・コーポレーション代表取締役

『デジタルコンテンツ白書』(経済産業省監修)編集委員

音楽プロデューサー、エンターテック・エバンジェリスト。

国際基督教大(ICU)高校卒。早稲田大学在学中から音楽のプロデュースに関わり、中退。1989年、株式会社バグ・コーポレーションを設立。「SION」「村上”ポンタ”秀一」「こだまさおり」のマネージメントや、「東京エスムジカ」「ピストルバルブ」「Sweet Vacation」などの個性的なアーティストを企画しデビューさせる。プロデュースのテーマに、新テクノロジー活用、グローバルな視点、異業種コラボレーションを掲げ、音楽ビジネスを実践している。2010年頃から著作活動を始め、国内外の音楽ビジネス状況の知見を活かし、音楽(コンテンツ)とITに関する提言を続けている。エンタメ系スタートアップを対象としたアワード「START ME UP AWARDS」、ミュージシャンが参加するハッカソンとコーライティングセッションを同時開催する「クリエイターズキャンプ真鶴」をオーガナイズ。超実践型 作曲家育成セミナー「山口ゼミ」で音楽家の育成を、「ニューミドルマン養成講座」では、デジタル時代に対応した音楽ビジネスを担う人材の育成を行っている。2005年から2013年まで一般社団法人日本音楽制作者連盟の理事を、2011年から2012年に公益社団法人日本芸能実演団体協議会(芸団協)の理事を務める。

著書多数、最新刊は、全分野のコンテンツビジネスをIT視点でビジネスパーソンに説く『10人に小さな発見を与えれば1000万人が動き出す。』(ローソンHMVエンタテイメント刊)、『新時代ミュージックビジネス最終講義』(弊社刊)。

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