第23回:田辺晋太郎インタビュー(前編)〜曲を作るというのは、基本的には“瞬間の切り出し”だと思うんです

WEB版 職業作曲家への道 by 聞き手:山口哲一 2014/12/10

クリエイターに普段は聞けない深い話を伺っていくこの連載、今回のゲストは渡辺麻友「ヒカルものたち」の作曲家として、はたまた“肉のコンシェルジュ”として、そしてテレビやラジオのMCとして、大活躍中の田辺晋太郎さんです。

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田辺晋太郎(L)、山口哲一(R)のお2人

田辺晋太郎さんは、作曲家でありながら多方面で活躍されているため、裏方という印象が薄いかもしれません。しかし根っこにはやはり音楽があり、音楽が中心にあるからこそ、さまざまな活動が可能となっているようです。

インタビュー前半では、学生時代やアーティスト時代の話から始まり、特異な作曲観を体得するに至ったいきさつなどを、面白おかしく話していただきました。しかしその“軽さ”には、同時に非常に厳しい覚悟のようなものも感じられたことは、記しておきたいと思います。

なおこのインタビューは、ミューズ音楽院で行なわれている無料セミナーシリーズ“作曲家リレートークvol.8”の模様を再構成したものです(イベント開催日:2014年5月18日)。

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徳永英明とTM NETWORKという相反する志向

山口 今回のゲストの田辺さんは、作曲以上に話すのがプロみたいな面もあります。なので、普段はホストとして、ゲストの方に何をどうしゃべっていただくかに僕は腐心していますけど、今日は心配が要らないです(笑)。むしろ脱線して、しゃべらせすぎないかを気を付けないと(笑)。

田辺 よろしくお願いします(笑)。

山口 音楽面でのプロフィールで言うと、2000年7月にユニットChangin’ My Lifeを結成、主に作曲・ギター&コーラス・キーボードを担当というのがスタートということですね? しかも同年10月からはTOKYO MXで「電リク! BEAT BOX!」という番組が始まっている(笑)。

田辺 テレビで電リクという画期的な番組だったんですけど、そこからMCとしての道も始まっているんですね。そもそも僕は「どうやったら音楽でデビューできるかな?」というのをずっと考えていたんですけど、自分自身の音楽性が徳永英明とTM NETWORKが好きということで、メロディもののニューミュージックと打ち込みの音楽という全く相反する志向だったので、学生時代に誰ともバンドを組めなかったんです。じゃあどうしようと考えた時に、自分ひとりでやるしかないな、と。じゃあ、自分で音楽をやるにはどうしたら良いか? そうだ、役者をやって売れたら、音楽をできるよねっていう考え方だったんです。

山口 その計算はよく分からないですが(笑)。

田辺 いま僕は35歳ですけど、そんなことを考えている19歳が目の前にいたら、1時間近く説教するくらい最悪のパターンですよね。「そんな考えじゃ失敗するよ。その一番の見本が、俺だ!」って言ってやろうと思うくらい(笑)。とにかく、そういう邪な理由で芸能界に入って……。

山口 実際に俳優をされていた?

田辺 そうなんです。連ドラのレギュラーも2本やって、「さぁ、ここから!」みたいな感じだったんですけど、自分の中にはやっぱりすごくジレンマがあったんですね。演技は自分が思っているよりもヘタだし、スタッフさんには「なんでセリフを覚えてこないんだ!」なんて怒られて。でも、自分としては音楽をやりたいから役者をやっているんだっていう基本があったので、やっぱり周りとは全然ノリが違ったんですね。まあ、当たり前ですよね。要は、いちゃいけないところにいたという感じで、「ああ、これはまずいな」と思っていた。それでちょっとした事件もあって事務所を辞めることになって、Changin’ My Lifeというユニットで活動していくことになったんです。

Changin’ My Lifeでメジャーデビュー

山口 Changin’ My Lifeは、どんな経緯でメジャーデビューしたのですか?

田辺 ボーカルが、当時東芝EMIにいた三宅彰というプロデューサーにデモを送ったんです。「Myself」(3rdシングル)、「ETERNAL SNOW」(4thシングル)の2曲が入ったデモで、そんなにクオリティは高くなかったんですけど、たまたま評判が良くて。2000年7月にユニットを結成してデモを作ったら、何曲かプリプロRECしてみようというところから、あっという間に10月にはデビューが決まったんですよね。それで年末の12月からは、誰も英語をしゃべれないのにInterFMで3人の番組が始まりまして……。

山口 当時InterFMには英語をしゃべれないと出られませんでしたから、それは画期的ですね。

田辺 まあ、半年で終わりましたけど(笑)。

山口 そんな田辺さんに選んでいただいた“ご自身にとってエポックになった曲”、まずは「Myself」ということですね。

田辺 デビューのきっかけになった曲として、選びました。イントロの転調からして、小室哲哉さんを大好きなのが分かりますね。もともとChangin’ My Life自体、僕が小室さんになりたくて始めたようなところがあって(笑)。曲を書いて、女の子を前に立たせて、「ウォウウォウ」言いたかったんですよね。

山口 この曲はオリコンで15位、セールス的にも5万枚と健闘しています。

田辺 なぜそこまで売れたかというと、ボーカルが『満月をさがして』というアニメで主役の声に抜擢されたんです。

山口 声優さんとしてもデビューしたわけですね。

田辺 女の子が歌手を目指すみたいなストーリーで、主役の声とEDが同じというのは、見ている女の子からするとうれしかったんでしょうね。3枚目がダメだったらおしまいかなと思っていたんですけど、これでChangin’ My Lifeは延命された面があったと思います。

アーティストから作家へのシフト

山口 続いて選んでいただいたのは、同じくChangin’ My Lifeの「Love Chronicle」ですね。

田辺 6枚目のシングルで、表題曲は「エトランゼ」という曲なんですけど、両A面という扱いでした。この曲は、基本的にはデュエットくらいの感覚で作ろうっていうことがあって、「愛と青春の旅立ち」という洋楽の曲がありますけど、そのイメージで作ったものです。

山口 デュエット曲ということで、珍しく田辺さんの歌声を聴くことができますね。

田辺 基本的に僕は楽器が弾けなかったので、コーラスでしか参加できないという面もあったんですけど(笑)。ギターなんかも全部フリでしたから、エアギターはだいぶ僕の方が早かったですよ。で、この曲は確かBumkamuraスタジオを使っていて、ミックスしてくれたのがGoh Hotodaさんなんですよ。それくらいお金がかかったユニットで、Gohさんもミックスしながら「この曲は良いね!」なんておっしゃってくださっていたんですけど、実質的にはこの曲が最後になってしまった。当時、アーティストはレコード会社と2〜3年契約というのが普通で、次にもう1回契約できるかどうかは、とても大事なことだったんです。それによって、アーティストでいるのか、元アーティストになるのかという大きな違いが出てくるわけですから。それでも結局は契約が終わってしまったので、「このままでは終わらんぞ」っていう反骨精神みたいなものは、この時にすごく注入されましたね。

山口 それが、作曲家としてやっていこうと思ったモチベーションの1つになっている?

田辺 そうかもしれないですね。ただ、ユニットやっている時から自分は作曲担当だったこともあるし、曲については、プロデューサーや外部の方からも非常に評価をしていただいていたので。だから自分としては、「小室哲哉になる!」「キーボードは弾いているフリでなんとかなる!」という感じでした(笑)。

山口 補足する必要は無いとは思いますが、小室さんはちゃんと弾いていますけどね(笑)。

田辺 もちろんですよ(笑)。そんな中で、絶対に作曲家として頑張ろうと思っていたら、一応アーティストをやっていたこともあって、作曲家事務所には割と入りやすかったんですね。デモ曲もたくさんあったので、それを持って作曲家事務所に入ることになりました。

オマージュを織り込む作曲法

山口 作家としての最初期のお仕事として選んでいただいたのが、飛輪海(フェイルンハイ)の「Treasure」ですね。

田辺 台湾のアイドルなんですけど、日本でデビューする際のファースト、セカンド、サードは全部僕が作詞・作曲していて、そのセカンドシングルですね。ちなみに、自分としての参考曲は宇多田ヒカルの「トラベリング」でした。

山口 自分用参考曲(笑)。でも、いきなり作詞・作曲・アレンジまで頼んでもらえたというのは、良かったですね。

田辺 最初に、コーラスも含めて全部入れた完成形で持っていっていたからでしょうね。東芝時代の三宅プロデューサーにはいろんなことを教わりましたけど、すごく良かったのがコーラスワーク。あとは「王道のポップスとはこういうことだ」っていうのを徹底的にたたき込まれました。それで、自分の中ではコーラスアレンジまで入れていきたいということがあって、結果的にファーストシングルの時にそこを割と気に入ってもらえたんですよね。

山口 なるほど。ちなみに事前のアンケートでは、“この曲には、自分の音楽的なバックグラウンドをオマージュ的に織り込みました”と書かれていますね。

田辺 具体的に言うと、BメロがTM NETWORKの「We love the EARTH」のサビと全く同じコード進行だったりします(笑)。歌詞の中にもいろんな自分の好きな曲のパーツを入れていたりして、特に飛輪海(フェイルンハイ)の3曲では、作りながらも自分が楽しめるという良い体験をさせてもらいました。こうやって話せば分かってもらえるかもしれないですけど、パッと聴いただけでは分からない程度に自分の好きな要素を入れていくのは、とても楽しいんですよね。

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納得のいく曲を書くまでにかかった10年

山口 続いて「A Song For You」(パク・ヨンハ)ということですが、この曲にはどのような思い出があるのでしょう?

田辺 実はこの曲は、彼のコンペ用に書いた曲ではないんです。会場の皆さんなら分かってもらえるかもしれないですけど、音楽作家を目指している人ってそんなにお金を持っていないじゃないですか? それで彼女の誕生日にも、「君のことを思って書いた曲なんだ」って、曲をプレゼントしたりする。そんな気持ちを込めて、結婚するかしないかの時期に歌詞も含めて作った曲なんですよ。しかも、とても歌が上手い人が歌ってくれたので、「アーティストでいれば良かった」「歌で頑張れば良かった」という自分の気持ちも成仏した。言ってみれば、自分でも納得のいく曲ができたということですね。高校生のころから作り始めていますから、10年くらいはかかっているんですけど。

山口 メロディを書くに当たって、自分なりの鍛え方とかはあったのでしょうか?

田辺 良い曲は、作る時にその曲の長さを超えてはいけないと思っています。例えば5分の曲だったら、1コーラスは1分ちょっとじゃないですか? それを作るのに2時間も3時間も粘って考えても、そんなに良い結果にはならないだろう。そう考えているんです。もちろんトラックを作る場合は、何時間でもかけた方が良いとは思いますけどね。

山口 それは興味深いですね。

田辺 曲を作るというのは、基本的には“瞬間の切り出し”だと思うんです。人にはそれぞれ、いろんなバックボーンがあるじゃないですか。例えば小さいころから聴いてきた音楽、もしかしたら昨日夢で見た映像、本屋で立ち読みしていたこと、流れていたBGM、それまで頑張ってきたこと、そういういろいろなことが体の中にデータとして入っているので、実際に作る時は、それらをいかにパッと切り出すか。そういう瞬間芸だと、思っているんです。もちろん、レコーディングとかはまた別の話ですけどね。

山口 どうしてそういう考えにたどり着いたのでしょうか?

田辺 しゃべる仕事として、テレビ埼玉の「ごごたま」という番組の中で「音楽探偵田辺晋太郎」というコーナーを持っていたことがあるんです。10分くらいのコーナーなんですけど、ロケであちこちレポートして、最後にまとめとしてその場で即興の曲を作るということをやっていたんですね。

山口 それで毎回曲を作るというのは、なかなかハードなお仕事ですね。

田辺 曲とはいっても30秒〜1分くらいのものですけど、要は収録ですから、そこで「ちょっと時間をください! 誰も話しかけないで!」なんて言って、何時間も個室にこもるわけにはいかないじゃないですか? その場の流れ、ノリでパッと曲を作るわけで、「ああ、作曲って諦めなんだな」というのを、その間に体得したんです。“諦め”というとネガティブにとらえられそうですけど、“明らかにする”という考え方もできて。その瞬間をパンって切り出して、「もうこれで良い。今のベストはここなんだ!」と思わなかったら、やっていられない環境でしたからね。まあ、ユニット時代も曲を作るのは早かったんですけど、さらに意識が変わったというか。

山口 その収録が修行になったんですね。その時はギターを弾いて歌っていたのですか?

田辺 ええ。それで30曲以上は作っています。ただ、使えるキーがCとAとGしかないんです。それ以外のキーだと、指が痛くなる(笑)。まあそんなことがありまして、作曲に関してはそういうスタイルで向かうようになりました。

(後編に続きます)

POSTSCRIPT by 山口哲一

晋ちゃんに初めて会ったのは、東十条の焼きトン屋でした。最初に書籍を出した時の記念でふくりゅう君と一緒に行って、紹介してもらったのですが、巧みな話術と人柄に一発で魅了されました。僕の第一印象は、「若い頃のタモリさんって、こんな感じだったんじゃないかな?」でした。

その予想通り、テレビやラジオのパーソナリティーや焼肉コンシェルジュとして多方面に活躍を広げているのですが、この日は、初めて(?)、ゆっくり音楽の話ができてうれしかったです。音楽を自分の核に持っている人が多彩に活躍してくれるのは、音楽の持つエネルギーを確認する気持ちになってうれしいです。もっともっと活躍してほしいですね。

田辺晋太郎(たなべ・しんたろう)

1978年11月5日生まれ。

音楽家

大学時代にTVドラマ等の俳優業の傍ら音楽活動を始め、 2001年5月東芝EMIより「Changin’ My Life」のメンバーとしてデビュー。主に作曲、ギター&コーラス、キーボードを担当。計シングル6枚アルバム3枚を発表。3rdシングル「Myself」 (テレビ東京系アニメ「満月をさがして」エンディングテーマ)は累計5万枚のス マッシュヒットを記録。 その後フリーランスの音楽プロデューサーとしてとして楽曲提供、プロデュース活動を開始。主な楽曲提供者は俳優の城田優、瀬戸康史、声優の神谷浩史、小野大輔、杉田智和、海外アーティストではパク・ヨンハ、飛輪海(フェイルンハイ)、ヴァネス・ウーなど。

2012年11月21日、国民的人気アイドルグループAKB48の「まゆゆ」こと渡辺麻友3rdソロシングル「ヒカルものたち」の作曲を担当。同楽曲で自身初のオリコン週間ランキング1位を記録する。

MC/ラジオパーソナリティ

2001年10月から東京MXTV「電リク!!ビートボックス」 の月曜MCを担当。2004年4月より衛星放送WOWOWにて「週刊!音魂ウィークリー チャート」 のメインMCを担当。2006年10月からおよそ2ヶ月間、テレビ埼玉「ごごたま」のメインMCを担当、その後翌年4月から同番組内にてリポートコーナー「音楽探偵 田辺晋太郎」をおよそ一年に渡り担当。
2012年4月からTOKYO MXにてプロ野球パ・リーグ専門情報番組「パ・リーグ主義!」メインMCを担当。

2012年10月、文化放送にて自身初のAMラジオ生ワイド番組レギュラーパーソナリティとして「田辺晋太郎 あなたへバトンタッチ」がスタート。

その他にもJ-WAVE「HELLO WORLD」、FMヨコハマ「MORNING STEPS」などでパーソナリティを代演

肉マイスター

2013年5月、宝島社より著書「焼肉の教科書」を発売、シリーズ累計14万部のヒットとなる。
その後「肉マイスター」としてテレビ・ラジオの出演、および雑誌の監修や連載などを手がける。

2014年10月、一般社団法人「食のコンシェルジュ協会」を立ち上げ初代代表理事に就任。「焼肉マイスター検定」を行う。

主な監修
・マガジンハウス「TARZAN」肉特集
・マガジンハウス「Hanako FOR MEN」VOL.12肉食紳士・ぴあ「おいしい肉の店」
・大和書房「やっぱり肉料理」
主な連載
・マガジンハウス「TARZAN」Let’s A・M・M CLUB!
・WEBマガジンNeoL「本当にあった旨い店」

肉マイスターとしての主なテレビ、ラジオ出演
・テレビ東京「なないろ日和」
・テレビ朝日「モーニングバード」
・テレビ朝日「坂上忍の成長マン」
・テレビ朝日「おためしかっ!」
・日本テレビ「今夜くらべてみました」
・J-WAVE「渡部建のゴールドラッシュ」
・TOKYO FM「クロノス」「ブルーオーシャン」「シンクロのシティ」「スカイロケットカンパニー」
・JFN「FACE」
・TBSラジオ「OLERA」
・文化放送「くにまるジャパン」「大竹まことゴールデンラジオ!」
・ニッポン放送「垣花正のあなたとハッピー!」

山口哲一(やまぐち・のりかず)

1964 年東京生まれ。(株)バグ・コーポレーション代表取締役。『デジタルコンテンツ白書』(経産省監修)編集委員。プロ作曲家育成「山口ゼミ」主宰。 SION、村上“ポンタ”秀一など の実力派アーティストをマネージメント。東京エスムジカ、ピストルバルブ、Sweet Vacationなどの個性的なアーティストをプロデューサーとして企画し、デビューさせる。プロデュースのテーマに、ソーシャルメディア活用、グローバ ルな視点、異業種コラボレーションの3つを掲げている。音楽ビジネスの再構築を目指す「ニューミドルマン養成講座」や、エンタメ系スタートアップ向けアワード「Start Me Up Awards」をオーガナイズするなど、音楽とITの連携について積極的に活動している。

著書に、『ソーシャルネットワーク革命がみるみるわかる本』(ふくりゅうと共著/ダイヤモンド社)、『世界を変える80年代生まれの起業家』(スペースシャワーブックス)などがある。最新刊は、『DAWで曲を作る時にプロが実際に行なっていること』(小社刊)。

『プロ直伝! 職業作曲家への道』の詳細はこちら(リットーミュージック)

『ソーシャル時代に音楽を“売る”7つの戦略』の詳細はこちら(リットーミュージック)

『エンジニアが教えるボーカル・エフェクト・テクニック99』の詳細はこちら(リットーミュージック)

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