第3回:特別インタビュー 植松隆之(後編)〜未経験でも「やる気だけはあります!」っていう人の方が続くんです

WEB版 職業作曲家への道 by 聞き手:山口哲一 2013/08/07

グラフィックデザイナー植松隆之さんのインタビュー後編では、ご自身のキャリアを振り返っていただきつつ、音楽とデザインに共通のクリエイティブマインドを考えていきたいと思います。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

植松さんの代表作の1つ、水原希子さんのフォトブック『KIKO』。リボンのようにも見える黒のKが、とても印象的。本文用紙はOKアドニスラフで、ラフな手触りが楽しめる

書籍『プロ直伝! 職業作曲家への道』のデザインを担当した植松さんは、柔和な外見に似合わず、意外にもたたき上げの“職業デザイナー”でした。業界になんとか潜り込み、現場で仕事を覚え、独立に失敗し、再起する。その足取りには、音楽のクリエイターにも参考になるところが多々あります。本書でも何度も語られていますが、やる気や熱意と人間関係の重要さが、ここでも明らかにされていると思います。全クリエイターに共通の話として、ぜひ読んでみてください。

時給680円からのスタート

山口 植松さんは、そもそもどういう経緯でデザイナーになられたんですか?

植松 実は高校を卒業した時点で何も進路が決まっていない状態で(笑)、「なんかしないとなぁ」ということで肉体労働を始めたんですね。でも、「このままじゃマズイな」と思って、Macintoshを教えてくれる学校みたいなところに行って、作品づくりをした。で、その作品を持って就職活動的なことをして、編集プロダクションに何とか潜り込んだのが最初ですね。Macintoshと雑誌が好きだったので、そういうものに携われたら良いなっていう軽い気持ちで入ったんですけど……。今でも覚えていますが、当時の時給は680円でした(笑)。

山口 その編プロでは、どのような作業をされていたのでしょう?

植松 最初は文字直しのオペレートとか、ひたすらスキャンとか、そんな感じでした。でも、最先端のMacintoshを使えたから楽しかったんです。それでだんだんスキルを身に付けて、校正記号も覚えて……だから現場で覚えさせてもらったわけで、いま考えると良かったですね。半年くらい経つと、デザイナーさんが忙しそうなときは、デザイン修正みたいなところも自分で直しちゃったりし始めて……。「こういう風に直しておきましたけど、大丈夫ですか?」みたいな感じで言うと、「おお、これ良いじゃん」みたいに(笑)。

山口 すごいたたき上げなんですね。

植松 そうなんですよ。それでだんだん、「これ組んでおいて」みたいなことになっていく。外部の人からも「デザイナーの植松さんお願いします」みたいな電話がかかってくるようになって(笑)、それに対応しながらも、「僕はデザイナーなのかな?」なんて思っていたんですけど。

山口 でも実質的には、やっていることはデザイナーだった。

植松 時給は680円のままでしたけどね(笑)。ただ、そういうことを2年くらいやっていると、事務所でもだんだん古株になってくるわけです。それであるとき上司に「社員にならない?」って言われて、実はもう辞めようかなと思っていたんですけど、「恩返しのつもりであと1年は働こうかな」って。まあ、3年はいた方が良いかなっていうこともありましたし……。それで3年勤めてから某雑誌のデザイナーアシスタントを1年くらいやって、ちょうど募集をしていたMdNに入ることになるんです。

写真2re

山口 当時のデザインは、どういう環境で行なわれていたんですか?

植松 最初に入った編プロではDTPソフトを……Quark、PageMakerとかいろいろあったんですけど、ひと通り使ってはいましたね。ただMacintoshで完結はしてなくて、書体も8つくらいしか使えなかった(笑)。だからコンピューターで仮に組んで、実際は写植で指定するとか、そういう時代でした。版下DTPと呼んでいましたが、ああいう手作業を経験できたのは逆に良かったと今では思っていますけど……。で、その後の雑誌が超アナログで、MdNは逆に最先端のDTP完結型。そういう意味では、アナログからデジタルへの移行期だったんですよね。

デザイナーが独立するとき

山口 MdNには何年くらいいらっしゃったんですか?

植松 3年くらいですね。代表的な仕事としては、グループ会社のリットーミュージックの雑誌『サウンド&レコーディング・マガジン』などを担当していました。実はその後で1回独立をしているんですけど、あのころはまだ「職業としてやっていけるのかな?」っていう迷いもあって、失敗してしまうんです。それで仕事をもらっていたデザイン事務所に入れさせてもらって、デザインを一から勉強し直させてもらった。そこの社長が本当に典型的な職業デザイナーで、めちゃくちゃ働く人だったんですよね。それで「職業デザイナーってすごいな!」と思って、僕もだいぶ変わりました。

山口 その事務所ではどんなお仕事を?

植松 当時は何でもやっていましたけど、特に女性誌が多かったですね。サイクルが速いから、落ち込んでいる暇も無いほどでした。ダメ出しなんかバンバン食らうんですけど、落ち込んでる暇があったら手を動かせっていう世界。スパルタですね(笑)。だから辛かったのは確かですけど、仕事は好きだし、楽しかった。そこで3年くらい働いていたら、指名での仕事が結構増えてきたし、自信も付いてきたので、「また独立してみようかな?」って。それで、今に至るという感じです。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

山口 本書の内容とも、いろいろオーバーラップしそうな経歴ですね。

植松 そういえば、玉井健二さんの“完成度がめちゃくちゃ低くても、1つ確実な才能が感じられるデモが良い”という言葉も印象的でしたね。これは、デザイナーにも当てはまるな、と。事務所に勤めていたときには面接なんかもよくやっていたんですけど、専門学校を出た人たちってみんな上手いんですよ。それで「うわー、上手いなぁ〜」って思うんですけど、試しに採用しても長続きしない。職業として考えた場合に、自分の特性を活かしつつデザインをしていくというところに、なかなか到達できないのが現実なんですよね。

山口 そういう人たちは、なぜ長続きしなかったのでしょう?

植松 辞めた理由までは分からないですけど、逆に、未経験でも「やる気だけはあります!」っていう人の方が続くんです。「雑誌が好きです」とか、「ものを作るのが好きです」とか、そういう気持ちのある人の方が続くし、伸びる。そういう意味で、“完成度は低くても、何か1つ感じられるもの”の方が好感を持てるんですよ。自分自身も、下手くそだったけど、「やる気はあります!」みたいな感じでしたから(笑)。それでもいろいろな人に助けられて、なんとかやってこれたという……。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

植松デザイン事務所の作業スペース

やっぱり人間関係が大事

山口 もともと雑誌がお好きということでしたが、現在のお仕事は雑誌と書籍の比率はどんな感じなのですか?

植松 基本的には今は雑誌のページ受けはお受けしていなくて、書籍や付録つきムック等のパッケージ全体をデザインすることが多いですね。だから昔は自分のことを「エディトリアルデザイナーなのかな?」って思っていたんですけど、最近はちょっと大きく、グラフィックデザイナーと言うことにしています。ちょっと、あいまいにしていると言うか(笑)。そうすると、いろいろな仕事も来るじゃないですか? エディトリアルデザイナーとくくってしまうと、「雑誌が得意なのかな?」と思われてしまうので。

山口 では、いまはほとんど雑誌にはかかわられていないんですね。

植松 実は、いまでも定期的にやらせていただいている雑誌が1誌だけあって、これは独立時に最初にいただいた仕事なので、大事に続けているんです。最初はモノクロページから始まって、いまは4色にステップアップして、ページ数も徐々に増えてきた。今度は表紙をやらせてもらえないかな、っていう野心も出てきているんですけど(笑)。

山口 やっぱり人間関係が大事なんですね。駆け出しの時は、来た仕事は絶対に全部受けた方が良いじゃないですか? 新米クリエイターは、来たものはとにかく全部やって、週8日分の仕事をいただくようになって、それからどうするか考える。これがクリエイターの、正しいマネージメント方針だと思います。僕も本を出すようになってからは、“駆け出し”なので、原稿や公演の依頼は全部受けています。本業とのバランスで、最近は生活が崩壊しかけているんですけど……(笑)。

植松 やっぱり手を動かすと、自分の経験にもなるんですよね。それがどんな仕事でも、細かい仕事でも、スキルになりますよね。だからいまは、自分のスキルを蓄積している時期かなって思っています。

山口 20年近いキャリアがあるのに、いまがスキルを蓄積する時期なんですね?

植松 ええ。あと20年、30年ずっとデザインをやっていきたいなと考えているので、僕としてはどんどんスキルを貯めていきたいんです。

山口 素晴らしい考え方ですね。確かに仕事が、一番成長しますからね。そういう感覚は分かります。自分が上手になる感覚はうれしいですよね。その小さな喜びを自分での中でアンプリファイ(増幅)していくのは、成長するために大事ですよね? 一流と呼ばれる人って、皆さんそういうセルフコントロールが上手なんだと思います。誰だって、他人から褒められたいけれど、ユーザーの反応はつかめないことも多い。そんな中で、小さい喜びで自分を駆動させて、成長していかないと、長く続けられないです。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

エポックになった仕事たち

山口 では最後に、植松さんのエポックになったデザインを教えていただけますか?

植松 僕としては、『プロ直伝! 職業作曲家への道』がそうだと思っていますよ(笑)。この本は僕の中でも一歩前に出たというか、チャレンジしてみたところがありますからね。写真やイラストも多くない設計だったので、デザインでいろいろ試すことができそうだな、ということで。あと、本文は横組みなんですけど、カバーは縦組みなんですよね。最近はそういう書籍も多いし、雑誌なんかを見てみると、右開きでも左開きでも縦組みと横組みが混在していたりします。そういう時代だということで、あまりルールに縛られないでデザインしてみようということも、今回はありましたし。

山口 メチャクチャうれしいです。植松さんの代表作がロングセラーになるように頑張ります!

植松 あとは自分らしさがよく出たなって思っているのは、水原希子さんのフォトブック『KIKO』ですね。これもカバーは一発でOKだったんですけど、この本が結構売れてくれて、かなり自信になった面があります。特に女性のフォトブック系ってワイワイガヤガヤと色を使うのが主流だったんですけど、これは実はあんまり色を使っていなくて。担当編集者さんとも「そういうのは今回、やめたいですね」っていう話をしていて、それがうまくはまってくれたかな、と思っています。あと、デザインが出版社の社内でも評判が良かったらしくて、そうなるとやっぱり売ってくれるじゃないですか? だから、デザイナー側も対編集者だけではなく、対営業だったり、対社長とか……やっぱり、小さい出版社では社長さんが全権限を握手要る場合もありますから、そういうことも意識しつつ、編集者と話をして作っていかないといけないんですよね。

山口 『KIKO』は素晴らしいですね、大好きです。そして、考え方が、まさに一流の職業デザイナーなのだと思います。今日はありがとうございました。

植松 いえいえ。こちらこそ、書籍のデザインに関してこのような場を作っていただき、本当にありがとうございました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

植松さんの膨大なお仕事から、フォトブックを厳選してご紹介

POSTSCRIPT by 山口哲一

エンタメ・コンテンツは、ユーザーから支持されて売れるかどうかが、唯一、最大の評価指標であるというのが原則です。僕は、音楽プロデューサーとして、長年そういう仕事をしてきましたし、著者として書籍を出版させていただく時も、基本的には同じスタンスで、「ヒット or ダイ」みたいな気持ちでいます。随分前から、「売れるためなら人殺し以外は何でもやる」が口癖だったりします。

ただ、ヒットの法則は、誰も知りません。それが、エンターテインメントビジネスの醍醐味であり、難しさなのですが、長くこの仕事に携わってきた者として、十分条件は分からないけれど、必要条件は、ある程度把握しているつもりです。

ヒットのための必要条件は、コアメンバーが同じ方向を向いて、能力を最大限発揮していることです。中心的にかかわっている人たちの力が100%集中できていること、これが無くして、成功した作品は、まあ、ほとんど無いと言ってよいでしょう。

今回、植松さんとお話しをして、心底、嬉しかったのは、『プロ直伝! 職業作曲家への道』は、その必要条件をクリアしているのが分かったことです。インタビュー等で登場していただいている皆さんの多くは10年以上のお付き合いで、信頼関係がある方々です。僕が本書を出そうとした意図は深く理解してくれていますし、日本の音楽業界・音楽シーンの課題について問題意識を共有しています。

ありがたいことに、出版社、編集者とも、良好なコミュニケーションがとれています。エディトリアルデザイン兼装幀をお願いした植松さんが、こんなに深い理解と共鳴をして、自分の代表作とまで言うほど、力を込めてくれているとしたら、この本がヒット作になるために必要な条件はクリアしています。

僕は当事者過ぎて、実際に売れるかどうかは、もちろん判断できませんけれど(今のところ好調のようです)、かかわってくれた皆さんが「この本良いよね」と思ってもらえる、そんな“場”を作れたことで、とても幸せな気持ちです。

一人でも多くの人に読んだもらいたいなぁと、改めて強く思っています。

植松隆之(うえまつ・たかゆき)

1974年群馬県生まれ。千葉県柏市で育つ。高校卒業後2年間は月島の倉庫で肉体労働。20歳の時にアルバイトでDTPオペレーター兼デザイナーとして編集プロダクション勤務。その後は出版社、デザイン事務所を転々としながら2011年に独立。植松デザイン事務所として現在はフリーのグラフィックデザイナーとして活動中。

山口哲一(やまぐち・のりかず)

1964年東京生まれ。(株)バグ・コーポレーション代表取締役。『デジタルコンテンツ白書』 (経産省監修)編集委員。j-Pad Girlsプロデューサー。SION、村上“ポンタ”秀一など の実力派アーティストをマネージメント。東京エスムジカ、ピストルバルブ、Sweet Vacationなどの個性的なアーティストをプロデューサーとして企画し、デビューさせる。プロデュースのテーマに、ソーシャルメディア活用、グローバ ルな視点、異業種コラボレーションの3つを掲げている。2011年頃から著作活動も始める。2011年4月に『ソーシャルネットワーク革命がみるみるわか る本』(ふくりゅうと共著/ダイヤモンド社)刊行。2012年9月に『ソーシャル時代に音楽を“売る”7つの戦略』(共著/小社)刊行。

TUNECORE JAPAN