レコーダーだけでなく女性エンジニアの道も切り拓いた“異端児”―コルグ 開発部 永木道子

Builders~楽器をつくるプロフェッショナルたち by 土屋綾子(RandoM編集部)/撮影:後藤武浩 2014/04/22

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レコーダー=録音機も、多くの音響機器同様、これまで幾度もの変化を遂げてきた。テープやCDなどのデバイスによって、そして録音方法によって。開発部の永木道子さんはコルグでそんな録音の進化を大いに牽引してきたが、それだけではなく「働く女性」の扉も開けてきた人物だ。今回もじっくりお話をうかがっていこう。

※このインタビューは2013年8月に実施したものです。 現在の所属、役職は異なっている場合がございます。予めご了承ください。

坂巻:現在の所属と仕事内容を教えてください。

永木:レコーダーやDSD関連製品を開発する部署にいて、現在開発しているのは1bit対応のUSB DACですね。

坂巻:1bit関連はレコーダーから全部手がけられていますよね。永木さんって入社何年目なんですか?
(※編注:1bit=1ビットオーディオ。音声信号の大小を1ビットのデジタル・パルスの密度(濃淡)で表現する方式。PCMなど従来の録音/再生方法とは異なり、原音にきわめて近い録音、再生が実現する技術。)

永木:29年ぐらいですね。そもそもは、音楽に関係しているところに入りたいと高校のときから思っていて。よく知らないまま、シンセサイザーってきっとコンピュータで動いているのかな、と勝手に思って、情報系の学部に行ったんですよ。実はそのころはシンセはすべてアナログだったんですけど(笑)。
それで楽器会社を探しまして、その中でコルグは当時下高井戸にあって自宅に近いしということで決めました。

坂巻:最初はどこの部署だったんですか?

永木:部署はずっと同じだけど、最初にやった商品はDSS-1。だから最初から録音っぽいことをずっとやっているんだなと思いますね。
そしてDSM-1というモジュールをやって、その後は、別の開発者が作っていたM1用の音色エディット・ソフト「M1 tiny editor」の続きを任されて、会社に1台だけあった一体型のMacを使って作りました。

坂巻:そしてSoundLinkと。今までやった製品全部聞きましょうか。

永木:SoundLinkとTRINITYのオプション・ボード、その後はMTRのD8。それで後継のD16、D12、D1600、D1200、D16XD、D32XD、D3200が出て、で、D888

坂巻:ここぐらいからですよね。MR-1(1bitのモバイル・レコーダー)が始まって。

永木:そうですね。MR-1、MR-1000MR-2000SMR-2、そしてUSB DACのDS-DAC-10

坂巻:すごいですね。録音する先は別にしても、何かしら録音しているものをやっているっていう。
中でも一番印象に残っている製品ってなんですか?

永木:どれもそれぞれだけど、D8かな。D8をやろうと思ったときに、うちはSoundLinkで培った技術で録音もできるから、MTRやろう! って言ったんだけど、やったことがないし難しいということで、長い間なかなか製品化OKにならなかったんです。でも社長がいけると思ってくださったのか、プロオーディオ機器メーカー出身のオーストラリアのディストリビューターを日本に呼んでいいよっておっしゃって。その人物に「こんなことをやりたい」って説明したら、ぜひやったほうがいいって言われました。

坂巻:D8がコンシューマー向けの初めての製品ですね。どういう苦労がありましたか?

永木:ハードディスクが小さいし、操作子をどうするかに悩みましたね。入力をいっぱい付けるとどうしても高くなっちゃう、でもここにはつまみは出したいとか、製品としてまとめるのが大変でしたね。
あと一緒に開発したアメリカのスタッフとのやりとりが大変でしたね。彼らって小さいことにまったく興味がないから、「どーんと8本入力つけろ!」とか「つまみが細い」、「ボタンがちっちゃい」とか。じゃあ何センチがいいかとか図を描いて検討して進めました。

坂巻今までにないものを決めていかなきゃいけないっていうのは大変ですね。ただそのおかげで、D8からあとは基本的には一緒で行けますもんね。インターフェースの部分とかの基礎はできていたから。

永木:そうですね。D8は市場参入で、D16である程度わかったところで基礎が完成したって感じですね。D16で「みんな、16トラックくらいは欲しいみたいだ」って。

坂巻:SoundLinkのときはどう進んだんですか?

永木:SoundLinkは、あんな巨大なものは初めてやるということ、そして複数の開発者の思想がまとまるようにするのが大変でした。バリバリのアセンブラの人が書いたコメントもないコードを引き継いだ後輩が解読に苦心してましたね。
GUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース:画面の情報表示)のほうは、大きいコンソールでやってみよう、大きい液晶ディスプレイを付けてみよう、コンソールと本体を別にしよう、みたいにちょっと今までないようなことをしていましたね。(小林)誠さんと毎日、パネルに並べるものを描いて切った紙を2人で並べて、ああでもない、こうでもないと。当時は楽しかったですね。ずっとそういう風にやってたから。

坂巻:おもしろいですね。SoundLinkに携わった人はそこからいろんな方向に行ってますもんね。誠さんはTRINITYに行き、金森さんとかはOASYSに行き。それだけSoundLinkがチャレンジングな商品だったということですね。

永木:よくやれたなと思います。

坂巻:そうですよね、本当に。で、そこからレコーダーの歴史があったりとかして、DSDに入ってくると思うんですけど、DSDはまさに今苦労していますからね(笑)。

永木:当時、私はDSDのエンジニアではないけど、D888やって、ああやっと終わったってときに1bitってものをやってくださいってなって。「なんかよくわからないけど、がんばろう!」みたいな。最初は1bitがなんなのかもわからなかったんです。以前初めてこの技術について知ったときには、シンプルってことだけはわかったけどレコーダーには使えないんだなって思っていました。……のに、いつのまにかやることになっていて。
開発をやっていくなかで、自分でも1bitの良さに気づいていきましたね。なんか、いい音っていうより、まず楽。ずーっとヘッドホンをかけてやっているわけじゃないですか。そういう自然で楽だなっていう感覚から、きっといいんだろうなと。

坂巻:で、最初にMR-1ができて、その後MR-2000SとMR-2を作っていくと。

子供も仕事も大事。女性エンジニア人生も切り開いた

坂巻:永木さんがこれもすごいなって思うのが、結婚されて子供ができて、在宅勤務されてたんですよね。それまで在宅勤務に関して一切ルールがなかったんですけど、永木さんのために決まりが生まれたと聞きました

永木:そうですね。子供が熱出して、それが毎週とかになってしまうと有給が全然足りなくって。どうしていいかわからないって相談を上司にしたら、当時の会長が固定給で在宅勤務にしよう!と発案して。やらしてもらいました。

坂巻:女性エンジニアってそういう問題が常について回りますけど、当時って辞めるもんだって感じですよね?きっと。

永木:ですね。ただ雇用機会均等法の2年目に私が入って、法律的には整った頃だったんですよ。

坂巻:なるほど!とは言え現実的にはまだ違った時期ですよね。

永木:わたしともう1人エンジニアで入った女性がいたんですけど、入社当時は毎週火曜日と木曜日に社内のゴミを集めるのは女子社員の役で、2人もエンジニアだけどやってくださいってことになっていました。

坂巻:えええっ。そんな時代があったんですか!? 今じゃ信じられない。

永木:他の人達の使ったマグカップを洗うのとかも。「均等じゃないな」って。

坂巻:ですね。なかなか大変じゃないですか? 育休はまだしも在宅って難しい面もあるし。でも自分としては仕事やりたいしっていう。

永木:大変でしたけど、ずうずうしくなって、仕事を続けようって思うようになって。子供もすごい大事だけどそれだけじゃやっていけないし、バランスを取っていかないと。心は痛かったですけどね。

坂巻:永木さんは責任感強いですし、男前な部分ありますよね。

永木:あ、男っぽいのは昔から(笑)。子供のときから興味がお人形とかじゃなかった。車とか怪獣が大好きだったし、小中学生のときは飛行機のコックピットのポスターが欲しかった。

坂巻:ええ〜!

永木:すっごくそういうの好きだったんで、中学のときにアマチュア無線部に入ったものの、半田ごても触らしてもらえず、「なんで女子が来てんだよ」みたいな対応されてました。1年間見ているだけ、まったくやらせてもらう感じがなくて。ちょっとハードを敬遠するようになったのはそういう理由からなのかも(笑)。

―そういうトラウマがあるんですか!

永木:コルグはさっき言ったように私ともう1人女性がいたけど、別の会社では募集要項に「男子○名」って記載されてて。でもコルグはまったくそういうことはなかったんです。

坂巻:たぶん何か考えてそうしたわけではないでしょうけどね。

永木:ええ。でもそれがいいなと。面接行ったら「いい?ここは社会の吹きだまりだけど」って言われた。

坂巻:(爆笑)。

永木:面接する課長が言うからすごいなと。そうやって根性見てるんだなと思って「ぜんぜん平気です!」とか言っちゃったりして。

偏らずにいろいろな人の声を聞く

坂巻:で、DSDは僕が会社に入った頃からやっているのでもう9年ぐらいだと思うんですが、こっち(稲城市)移ったくらいのころに作り始めたんでしたっけ。DSDでやろうって話はそのころにありましたよね。

永木:研究としてはやっていたから、時期がはっきり言えないけど。数年やってきて、最初MR1が出たときはAESですごい賞賛されて。にもかかわらず、SACDも一般にはあまり普及せず、世間からは終わった技術だと思われてしまって。だいぶいろいろと言われましたけど、聴いてるうちに「これはいいはずだから、これが廃れるわけがない」ってずっとやっていたのと、大石くんというエンジニアがすばらしくて、やりつくしてもらった。そういうの恵まれてなかったら、うちで1bitやっていませんよね。

坂巻:技術的な観点ではどれも成功していますし、ビジネス的にもDS-DAC-10でさらに前進したという感じですよね。なかなかDSDって世間的には今一歩でしたけど、DS-DAC-10でものすごく広がりました。

永木:DS-DAC-10を出すことになったのはやっぱり配信ですね。サンレコさんとコルグでライブ・レコーディングをやって、それをOTOTOYさんで配信するっていう。それが始まってから「DSDってのがあるらしい」と、PCオーディオ・ユーザーの間で浸透し始めて。それまではずっと楽器マーケットでやってきたんですけどね。オーディオの展示会などを通して徐々に。「聴いたら良さがわかる」ということを、評論家の人が言ってくれたり。実際に買って頂いたユーザーさんたちから「自分がどう使っているか」の意見を聞くようになってきたら、DAC出したらいいかなって思うようになったんです。そこに配信が始まったので、これは絶対DACだと。

坂巻:実際ちゃんと世の中に伝わりましたもんね。永木さん、ずっと実験しながら物を作ってますよね。

永木:そういうものだと思ってて。最初から製品にしちゃったら、もしかしたら失敗するかもって思うから。実験がまずあってというのは、昔はみんなそういう感じでしたよ。
D16は大変だったけど、そこで実験を重ねたからその後はスムーズにできて、バージョンアップしたらD16も一緒にバージョンアップしていたから、MTR買っとけば大丈夫だよってお客さんに言ってもらえたりしました。

坂巻:ものを作っているときに、どういうところからフィードバックを得ているとかありますか?エンジニアさんとか。

永木:1bitをやろうと思ってからはいろんなエンジニアの方に話を聞きに行きました。赤川新一さん、オノセイゲンさん、そしてオーディオの評論家の方々などですね。
Clarity(クラリティ:DSDが録音できて編集ができるDAW、販売はされておらずAESで研究発表という形で公開された)の後に評論家の三浦さんと話して、「もうこれからDACを作って、春のドイツのショーに出しなよ!絶対受けるから!」って。すぐにはそうはならなかったですけど、勇気をもらいました。
また角田郁雄さん(評論家)がMR-2000Sを使ってくださったり、麻倉怜士さん(同)はMR-2をすごい気に入ってくださって、我々の知らないところでも「MR-2は良い」という話をしてくださったりして、今のDACも気に入っていろいろ意見をくださるし。そういうのがありがたいですね。
ただ気をつけてるのは偏らないように。1人の人の意見を聞いてると偏っちゃうから、いろんな人の声を聞くようにしています

坂巻:MR-2000Sのときに赤川さんが「アナログテープはもういらないかもしれない」っておっしゃていたのが印象的でした。ずっと、デジタルが表現できる最もいいものっていうのを目指しているわけじゃないですか。そこで、エンジニアさんの信頼のおけるメディアであるテープがいらないって言われたのがものすごいことだなと。そこまでいったんだ、すげーなって思いました。
そういうわけで永木さんは、コルグにおけるレコーディングの技術革新をやっていて、在宅勤務制度まで作り上げてしまったという。

永木異端ですよね(笑)、コルグの異端児。みんなシンセをやっているなかでレコーダーをもそもそと。

坂巻:あとさっきの、大石さんにやらせてみたいと思うとかで感じるのが、母たる部分ですよね。

永木:(笑)出ちゃうんですよね。人としゃべるときに「ああこれお母さんみたいだよなぁ」って。この心配の仕方はお母さんだよなーって思っても。以前テレビで、上司が部下に接するときのしゃべり方っていう番組を見たんですが、男の人が出てきて「君○○だよー、しっかりしたまえ。」って普段やってるのを、次に女性がそのままやると、おかしいんです。じゃあ次はお母さんみたいなしゃべり方で話して、「でもこれもおかしいですよね?じゃあどうしたらいいと思いますか?」って。
その答えが、「ないんです」って。女性の上司が部下に話す話し方のパターンって、まだ事例が豊富にないんです。

坂巻:でもお母さんみたいでいいんじゃないですか?

永木:みんながいいかどうかわかんない。会社来てもお母さんいるのかよって思うかもしれないし。
だから世の中にまだそういう標準がないんだなって。社内でもだいぶ増えましたけどね、女性エンジニアも。

坂巻:そうですね。そこも永木さんがひとつの形を作っていっていると感じますよ。
では、永木さんがものづくりにおいて一番重視していることを教えてください!

永木喜んでもらえるようにっていうことですね。GUIのところはできる限りこだわってて。D16やD32XDとかで、大きな画面にいっぱい表示できようになったから、みんなでブレストをやって絵を描いて。そういう風に、ユーザーの人はもちろん、開発者にもみんなで関わってほしい。
あんまりプロジェクトが巨大になってくると「自分ここしか知りません」ってなりがちなんだけど、そういうのは嫌なんです。独りよがりにはならないけど自分のこだわりもいれて、使い勝手がいいようにってことをずっと思っていますね。それでユーザーの人が楽しいって思える製品ができるんだと思います。

―喜ぶってことはユーザーの方だけではなくて、社内の人もってことなんですね。

永木:そう、社員もみんなユーザーとしての目線はあるので、とはいえ凝り固まらないように。自分もユーザーではあるけど、一般のこういうユーザーだったらどう使ってどう楽しいかなって考える。技術ありきじゃなくて、こういう時こうだったらいいのかなっていう気持ちを大事にしたい。価格とかスケジュールとかがある中でそういうことを意識するのって大変なので、心がけているっていう感じですね楽しく作ったものを、楽しんでもらいたい
製品できてもお母さんの気持ちになっちゃうから、なにかで使われてるところを見ると子供の発表会みたいで緊張します(笑)。でもその反面、やっぱり嬉しくなりますね。

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新しいことに飛び込んでいくチャレンジングな姿勢と、作る人も楽しむよう心がける温かさ、そして製品への愛情。インタビューでは「女性の働き方」という点にもフォーカスしているが、ご本人の言葉はそれをことさらに強調するわけでもなく、今までもそうであったように、前向きに突き進んで今を楽しんでいる方だなという印象があった。そして「ユーザーも、作る人も楽しむ」という視点は新鮮だ。役割分担という名の領土を争うことに意識が向いてしまって、結果出来上がったものに責任感を覚えない……なんて幸せじゃない、みんなが楽しくなるために必要なエネルギーなら使って損はない! ということを一言で表す、とてもいい言葉だと思う。

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