エンジニアリングへの強いこだわり。コルグに“戻ってきた”男の信条―コルグ 開発部 西島裕昭

Builders~楽器をつくるプロフェッショナルたち by 土屋綾子(RandoM編集部)/撮影:後藤武浩 2013/11/01

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コルグの開発者を迎えての第3回は、MS-20、そしてMS-20 miniを開発した西島裕昭さんの登場だ。入社後、配属当初からMS-20の開発に携わった西島さん、エンジニアとしての強いこだわりから、実は一度コルグから離れている。気になるその経緯も含めて、ナビゲーターの坂巻さんとともに、詳しくお話をうかがってみよう。

―西島さんの入社のきっかけはどういうものだったのですか?

西島:僕は大学で電子工学を専攻していて、また音楽サークルでバンドもやっていて、その両方が好きだったというのが根本にあるんです。もうひとつの決め手は、コルグの入社面接をしてくれた人が三枝(現コルグ監査役)で、はっ!この人と一緒にやりたい! と思って決めました。このときは知らなかったんですが、三枝は「日本を代表するシンセ開発の第一人者」で、コルグのシンセを最初に設計した人だったんです。

坂巻:入社は何年ですか?

西島:1977年です。コルグの新卒採用1期生でした。半年間の研修期間を経て秋から開発に配属されました。それで最初に手がけた製品が、MS-20です。
もちろん設計は三枝がやったんですけれど、回路図を渡されて「まずこれを理解してからだ」って。学生時代以上に勉強しました(笑)。発売は1978年の5月でした。

坂巻:通常の製品開発は1年かけるんですけど、MS-20は半年しかかかっていないんですよね。なんでこんなに期間が早まったんですか?

西島:まずソフトウェア開発の必要がなかったから、ということもありますが、三枝がもともと構想を持っていて立ち上げたプロジェクトで、当時のトップに「半年でやらせてください!」って言っちゃったんです。

配属直後のMSシリーズ開発。同期と楽しく苦しんだ

坂巻:この半年間って覚えています?

西島:明確に覚えています。このプロジェクトには同期も参加していたのですが、いろんな思い出がありますね。週2回くらいは会社に泊まっていました。なにしろ半年で作り上げなければいけなかったので。
シンセサイザーの回路も学生時代にはぜんぜん見たことがないし、教科書にも載ってない。でも役立ったのは結局、大学の教科書でしたね。基本的な部分で「あの辺のページに載ってたな」と思って勉強し直していました。

坂巻:単なる知識ではなく、実地で身についていったということですよね。

西島:もともと子供の頃からものづくりが大好きで、大学のときもサークル仲間のエフェクターを作ったり、アンプの修理をしたりしていたんです。加えて入社1年目ということもあったし、仕事という意識はあまり強くなかったですね。
ただ、プロフェッショナルなものづくりなので、これを設計して作り上げて、ユーザーに渡るわけですから、変なものは出せません。品質管理なんかの考え方は職場で教わりました。

坂巻:それがMS-20。MSシリーズで一番売れた製品ですね。売れると思ってました?

西島:これが売れなければ会社の危機というか(笑)。一大プロジェクトだったんです。

―それもあって半年という短い期間だったわけですか?

西島:そうです。他社から安いシンセが発表されて、それに負けちゃいかんと。

坂巻:僕からすると、その半年間ってなにも覚えてないぐらいあっという間なことなんじゃないかなと思ったけど、西島さんよく覚えてらっしゃいますよね。

西島:そうですね。入社後の研修のときは自社の工場に行って、近くの6畳1間のアパートに2人ずつで住んでた(笑)。新鮮でしたね。そこに2~3か月いました。
それもあって同期入社のやつは仲が良かったです。今会社に残っているのは数人しかいないんですけど、年に1回は飲み会をやってますよ。

坂巻:同期っていうものが居たのがコルグにとっては初めてなんですよね。しかもMSシリーズの開発で一緒に苦しんだわけですし。

西島:本当に、一緒に苦しんだ。
でも楽しかったですよ。当時本社が大久保の貸しビルに入っていました。会社に泊まりこんだときはみんなで仕事を切り上げたら酒飲み飲み、みんなで楽器を持ってバンド演奏会。オフィスビルだったので夜は無人で、普通の音なら苦情は来なかったです。で2~3時になって、床で寝るか椅子で寝るか。で朝になったら仕事を始めるっていう生活でした。

坂巻楽しみながら苦しんでいたんですね

西島だから記憶にあるんだろうな。それにすごく勉強したしね。あの頃ついた知識っていうのは忘れないですよね。無我夢中でやったっていうのは。

坂巻:その後は別のプロジェクトもやっていたんですか?

西島:MS-20やった後はΣ(シグマ)ですね。その後はアナログ・エフェクターです。このときに作ったエフェクターは今でもバンドで使っています(笑)。

▲自作エフェクター・システム

▲このエフェクター・システムは西島さん自作の品

坂巻:西島さん今もバンドやられているんですか?

西島:やってます。大学時代の仲間と。

―西島さんのパートは何ですか?

西島:パートはギターです。様式美ハード・ロック・バンドで、幻想的でシンフォニックな曲を演奏しています。

坂巻:それ、すごく興味あります(笑)。

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管理職がいやで、開発したくて会社を辞めた

―その後は何を手がけられましたか?

西島:その後は本格的なギター・シンセ、Z3の研究を始めたんです。製品化まで2~3年かかって、それだけに専念していました。89年でしたね。ちょうどその頃にパソコンが使える時代になって、それまで回路図もすべて手書きでしたよ。
そしてZ3をやった後に、マネージャーをやれと上に言われました。だけど、いやですって言ったんです

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▲ギター・シンセサイザー「Z3」の製品写真。

坂巻:なんでいやだったんですか?

西島:設計できなくなるから。必死に拒んでいたんです。でも下に新人はどんどん入ってくるし、同期もマネージャーになっていくし。その頃DSPに興味があったんですけど、悩んだ末に、しょうがない、マネージャー引き受けますって言いました。

坂巻:エンジニアとしてのこだわりって西島さん、大きいじゃないですか。そういう信条ってどういう風に生まれたんですか?

西島:うーん、僕の家系にエンジニアが多いんですよね。小学校4年のときに祖父からハンダ付けを、父からは電気回路を教わって、それからこの世界にどっぷりです。家でそういうことばかりやっていて、学校で教わるようなことはすでに知っていたので、学校の授業はつまらなかったですね。
高校時代は僕が意見をしたために気に食わない生徒だってことで成績を落とされたことがありました。僕は、未だ証明されていないことをわかったように否定する教師が気に食わなかったんですけど。

坂巻:子供の頃からエンジニアリングへのこだわりがかなり強かったんですね。
だからさっきの、マネージャーになれと言われても、自分の中のエンジニア魂に反しちゃうし、ものづくりができなくなっちゃうというわけですね。

西島:なのでマネージャー引き受けてから2年くらい、つまんない生活をしてました(笑)。そうしたら、ちょうどバブルの頃だったのもあって、外から新規事業に誘われたんです。2つ返事で「行きます」って、辞めた(笑)。僕1回辞めてるんですよ、会社を。それが91年の夏でした。

坂巻:どうでした?辞められて。

西島:辞めたことがなければ、今こうしてないと思う。自分の人生には必要なことでした。

―転職先も楽器メーカーですか?

西島:楽器ではないですが、要するにスタジオ機材系。DSPを使った音響シミュレーターの開発会社をつくったんです。いいものできたら自社ブランドで展開しようという目論見で。ただ世には出なかった。会社を立ち上げて2年半ほどでバブルが崩壊してしまいましたからね。それで会社も解散して、その後はいろんな会社を転々としたり、1人でもやっていたりしました。

「コルグに戻りたいんじゃないですか?」

坂巻:トランジスタの時代からだんだん変わっていくのを経て、DSPやりたくて会社を辞めて。転々として……コルグに戻ったのはいつなんですか?

西島:コルグに戻ったのは1999年11月1日。

坂巻:よく覚えていますね。きっかけはなんですか?

西島:会社を転々として……結局最後、1人になったんですよ。1人である楽器メーカーのDSPソフト設計を2年ぐらいやってたんですが、仕様が決まっていることを実現する仕事で、おもしろくないな、新しいことをやりたいなと思っていたんです。
そんなとき、学生時代の後輩と飲みに行ったら、後輩が「西島さん、コルグに戻りたいんじゃないですか?」と言って。「ああ、そうかなぁ」って思ったけど、1回辞めて戻れるわけないよ……って、悩んだ末に一大決心して、当時の会長の自宅へ電話したんです。そしたらたまたま会長が居て、出てくれて「お前、今なにやってるんだ!?」「ちょっと、話聞きたいから会社に出て来い」って翌日呼び出されて。会社で話してて「お前今1人でやってるのか。じゃあ会社に戻って来い」と。それで戻りました。

坂巻:戻られて最初にやったのは何ですか?

西島VOXアンプの日本支部のまとめ役をやってくれ、と。設計ではないんですが、テストとか、マネジメントもやると。その部署を作ってくれたんです。それと並行して、ソフト・シンセサイザーの「KORG Legacy Collection(コルグ・レガシー・コレクション)」が始まり、その前段階に関わりました。ただそれは会社から言われてやったんじゃなくて、海外のソフト・シンセがやっとパソコンで動くようになった頃に、社内でそれに興味を持っているやつが他に2人いたので、じゃあ3人でこっそりやろうということになったんです。

―秘密のプロジェクトですね。

西島:プロジェクトと言うほどのものではなかったけど、できるかどうかやってみようと。
それである程度音が出たときに、役員プレゼンをやったら好評を得られました。他の2人は、あと半年間でより製品に近いものを作れと役員から言われて、それに専念したんです。僕もやりたいって言ったんですけど、会長から「いや、お前はVOXやれ」って言われたもので(笑)。

坂巻:レガシー・コレクション発表は2004年ですね。それで本社がここ(東京都稲城市)に移って、同時にソフトウェアを作るほうに行ったんですよね。

そして最初の上司、三枝のもとでMS-20 miniを開発

西島:移ったのですが、ちょっと違う仕事になってしまって、それは若い人がやったほうがいいだろうと言ったら揉めてしまって。
それでどうしよう、となったときに行きたいと思ったのが、新規商品開発室に居た三枝のところでした。飲みに誘って話したら、じゃあうちに来なさい、と言ってくださって、それでまた気の合う三枝と一緒にやるようになり、アナログ・シンセを始めたんです。

坂巻:そのアナログ・シンセがもとになって、高橋くんのmonotron(モノトロン)になり、monotribe(モノトライブ)につながったんですね。そして、MS-20 miniを作るようになったと。これでやっと一周しましたね(笑)。トランジスタから、DSPもやってソフトもかじって、またアナログに戻って。これって世間の技術の流れと一緒だと思いますね。どうですか? 一周してみて。

西島:それぞれのときを楽しんでるんだなって気はしてます。疲れたってときはあまりないです。管理職をやったときくらい(笑)。

坂巻:(笑)。とにかく作りたいんですね。

こだわっているのは美。優れたものは美しい

―今後はどういうことをやって行きたいですか?

西島:まずちゃんとしたコルグのアナログの資産がいっぱいありますから、それを後輩にちゃんと繋いでいくことですね。そうしないと僕だっていつ死ぬかわからないし。

坂巻:いやいや、死ぬ感じまったくしないですけどね。

西島:(笑)。僕は生き方として、いつ死んでもいいように好きなことやってるわけ
間違いがあったら訂正しないといけないけど、自分が正しいと思ったらいくら上が違うと言っても自分が納得するまでは「正しい」って言い続ける。それが反発食らう原因にもなるんですけどね。でも経営者たちは本当のこと見てくれてますよ。

坂巻:コルグはそんな感じがします。続けることが大事だって。

西島:そういう部分があるから経営者になれるのであって、って自分でやってみてわかりました。それも会社から出てわかったことですね。

坂巻:西島さんが一番ものづくりでこだわっている部分ってなんですか?

西島美しいということ。美だね。
僕は電気回路の設計で一番大事にしているのは回路図なんですが、これは絵画と同じで、人が書いたものを見るとその人の技術レベルもわかるんです。やっぱり、すぐれたエンジニアが書いた回路図はきれいなんですよね。人が見てわかる、理解できる。鑑賞するに値する。だから回路図にはこだわります。汚い回路図は見るのもいやですね。基板もそうです。

坂巻:電気の流れがきれいな基板は、音もきれいだって言いますよね。

西島:それは絶対言えると思う。ものづくりをずっとやっているので、たとえ試作であっても、人に見せても恥ずかしくないものを作りたいんです。穴あけにしろ、曲がっていたらいやなんです。

―高橋さんも回路図に対するこだわりを語っていました。書いているとき、一番楽しいと。

西島:本当に? そうなんです、楽しいんですよ。僕は一番楽しいのは、オシロスコープの波形を見ることですね。エンジニアの大事な道具ですから。あとハンダにこだわります。ハンダ付けが下手なやつはだめだね

坂巻:なにがだめですか?

西島なにもかもだめ
きれいに作ろうとしないということは、いい加減なんだよ。だからちゃんとしたものを作るやつはなんでもきれいなんです。

坂巻:確かに西島さん、試作品もめちゃくちゃきれいです。

西島:自分の作ったものに、愛着を持ちたい。大事にしたいと思っています。僕の自宅の押入れにはそういうものがいっぱい入ってます。

坂巻:物持ちいいですよね。昔から持っている物を見せてもらうんですけど、ものすごくきれいな状態で残しているんですよ(笑)。年に1回虫干しするんですよね?

▲西島さんが自宅に保管している、アナログ・シンセの実験基板

▲西島さんが自宅に保管している、アナログ・シンセの実験基板

▲なんと、こちらはmonotribeの試作品!確かに細部まで美しく作られている

▲なんと、こちらはmonotribeの試作品!確かに細部まで美しく作られている

 

―MS-20の基板とパネルも保管してるそうですし、かなりしっかり管理されているんですね!

西島:家族にも絶対触らせない。掃除させない。

坂巻:西島さんの大事にしていることがすごくよくわかりましたね。僕「こだわりは美」って感動しました。

西島優れたものって美しいじゃない。アスリートの体も、車も。楽器もそうなんです。だから僕は美しいものを目指します

坂巻:電子楽器ってそういう意味で言うと形と機能ってある種、切り離されているじゃないですか。どんな形でも同じ音が鳴らせられちゃう。でも実際に世にあるものは、良い効能があるものが最適化されて、無駄のない状態になっているんですよね。

西島:そう。だから洗練されていて、必然的に美しいんです。

坂巻:その洗練を与えなきゃいけないんですね、僕らは。しかも普通の計算していくだけじゃなくて、必要以上にこだわって作っていかなければいけませんね。
なるほど、それで美ですね……かっこいいですねぇ。

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「いつ死んでもいいようにやっている」と西島さんは気負いない、自然な表情で語った。彼のこれまでの社会人人生を聞いた後では、この信念が本気のものだとわかる。自分には今なにができ、何をやりたいのか? そのために必要な居場所はどこなのか? それをいつでも誠実に選び取るには覚悟も、そして自信も必要だ。
でも、なんだか、そう思えば思うほど、同時に「誰もがいつでも自由な意思で歩いていけばいいんだな」と感じてきた。……実にかっこいい生き方ではないか。

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